『バタフライナイフ』
1/
「……バタフライナイフ?」
突然の言葉にただでさえ他人に怖がられる顔が更に歪む。
周りに人はいなくて良かった。
いればこの顔のせいで確実に避けられていただろう。
そうなれば俺のガラスのハートが傷つくことは必至だった。
スマホが電話の着信を告げ、何事かと画面を見れば非通知、悪戯だろうと無視しようとしたところで操作もしていないのに勝手に通話が繋がった。
そして第一声が『バタフライナイフって知ってる?』となれば、嫌でもこんな顔になるのだが、生まれついた顔面の凶悪さが悪い、ととっくの昔に諦めている。
『そうそう、バタフライナイフ。知らないかい?』
そんな俺の心を知ってか知らずか――まぁおそらく知ったうえで無視しているのだが、スマートフォン越しの声は呑気に話題を進めてきた。
思わずため息を吐くが、スマホの向こうの人物はそんな事を気にするようなタイプではない事を知っている。
「……あの折り畳み式のナイフですよね?」
仕方なしに話題に乗る。
話題に乗らなければ何度でも同じ手法で連絡を取り続けてくるだろう。
思い浮かべたのは折り畳み式のナイフ。
テレビやアニメなんかで悪役が持っているイメージの強いアレだ。
そして、知っている情報を付け足すなら大抵は簡単に倒されるような噛ませ役の不良が持っているイメージがつよい。
『そうそう、よく噛ませ役の不良が持っているイメージの強いアレだよ』
電話の主はあっさりと肯定してくれた。
しかし、それがどうしたというのだろうか。
というか、何でその話を俺にしてきているのだろうか。
疑問はあった。
というよりはさして疑問でもないのだ。
以前の『特別な弾丸』の事件のときのように、スピーカーの向こうの彼が俺に接触してくるときは、つまりそういう事なのだ。
また、事件に巻き込まれて命の危機に晒されるような状況になることを考えたくないだけである。
『まぁ、そのバタフライナイフってやつが手に入ってね』
「手に入ったって……。手に入ったんじゃなくて、盗んできたんでしょう?」
『いやいや、今回は違うよ。多少、強引な手を使ったとはいえきちんとした手段で手に入れたものだよ』
電話の主はそれだけ告げると、通話が切れた。
嫌な予感がする。
その場からすぐに立ち去ろうとスマートフォンを仕舞おうとしたところで、後ろから肩を叩かれた。
観念して振り返る。
そこには黒のハットと黒のスーツを身に着けた、全身黒づくめの青年が立っていた。
先程までの通話の相手、アーゼル・ギルファントと名乗る自称『道具屋』の青年だった。
年齢不詳の童顔には楽し気な笑みが浮かんでいた。
「桐間周(きりま しゅう)くん。選ばれた君には件のバタフライナイフを送ろう」
断る暇もなく、折りたたまれた金属の塊を右手に握らされた。
「……いや、いらないんすけど……」
「えぇー。前回、君に迷惑をかけた僕なりのお詫びのつもりなんだから受け取ってよ」
「いやっすよ!! 前回の『弾丸』でもう特殊な道具は懲り懲りなんすよ!! そもそも、俺の面でこんなもん持ってたら警察の方々になんていわれるか……!!」
事情聴取なんて日常茶飯事なのだ。
高校生であることを理解してもらうのにも時間がかかるのに、刃物なんて持っていた日には大事になるに決まっている。
日々真面目に働く警察の方々にこれ以上迷惑をかけたくない。
しかし、俺のそんな境遇にも目の前にいる顔のイイ優男には思いもよらないようで、疑問符を浮かべただけだった。
「そうなったら明日葉さん呼べばいいじゃない。前回の件で随分関係が出来ただろう」
「炎堂さんだってそんな暇じゃねーよ!!」
炎堂明日葉(えんどう あすは)は刑事の女性だ。
凛とした佇まいの若い大人の女性で、現在目の前にいるアーゼル・ギルファントを追っている人物だ。
目の前の『道具屋』がとんでもない事件を各地で起こすせいで絶えず忙しいのだそうだ。
前回の『弾丸』の件で散々お世話になり、彼女のおかげで今生きているといっても過言ではない、俺にとっては恩人である。
そんなアーゼルを追う彼女であるが、どうも二人は知り合い以上の関係があるらしく、アーゼルは随分親し気に炎堂さんの名前を呼ぶ。
「そもそもアンタがくれる道具なんて絶対特殊な道具じゃねーか!! 渡されたが最後、またどうせ命狙われたりするんだろ!!」
「……はっはっは。……まぁ、お礼は渡したから」
「せめて否定してくれ!!」
懇願するように叫ぶが青年はどこ吹く風。
アーゼル・ギルファントはハットに手をやり、目深に位置を直すと闇に溶けるように、視界から消えた。
「……おい!!」
文句すらまともに受け付けてくれないのが、彼らしい。
裏の世界で生きる彼には常識というものがそもそも無い。
「……どうすんだよ、これ」
残ったのは出所も、詳細も、渡された理由もよくわからないバタフライナイフが一本。
途方に暮れた初秋日曜の午後。
2/
「で、ヤツになにがしか渡されたわけか」
クックックと楽しいそうに笑うのは我が部活の部長、月瀬水仙(つきせ すいせん)。
わざわざ日曜に出かけることになったのは目の前の先輩が原因だった。
いつも通りの急な招集をかけられたのだ。
律儀に従う俺も俺だが、従わなければ後が怖い。
「……もう疲れましたよ。……で、なんか用事だったんすか?」
いったい何のために呼び出したのか、と尋ねるが部長は私物のノートPCから顔を逸らさない。
「用事? いや、別に特にない」
「は?」
まさかの返事に疑問を返すがそれ以上、部長が何かをいう事は無かった。
どうやら理由もなく呼び出されたようだった。
傍若無人を地で行く、目の前の先輩はこういう事をよくやる。
完全な出かけ損だった。
勘弁してくれ、という言葉を飲み下して机に突っ伏す。
カタカタと部長の軽いキータッチの音と、風が部室のカーテンを揺らす音だけが二人しかいない部屋に良く響いた。
「で、お前は『道具屋』に何を渡されたんだ?」
一段落着いたらしい部長がこちらに話しかけてきたのは、俺が机に突っ伏してしばらくたってからだった。
部長の方に顔を向ければ、目があった。
「……バタフライナイフ?」
「バタフライナイフ?」
数秒、視線があったまま沈黙が流れたが、やがて部長が右手を差し出してきた。
ブツを見せろ、という事だろう。
突っ伏した状態から起き上がって、ポケットを探す。
家のカギとスマートフォン、それから折りたたまれた金属の塊が出てくる。
それら全部をいったん机に広げてから、バタフライナイフだけを部長に渡した。
部長は受け取ると息を吐いてからまじまじとバタフライナイフを見始めた。
どういう経緯からかは知らないが、部長は随分と裏の世界に精通しているらしい。
『弾丸』の件でも、(傍若無人な態度や言動は置いておけば)非常に助かった。
こうして部長と顔を突き合わせる仲だったから、あの事件を切り抜けられた。
今日の俺に命があるのはひとえに部長と炎堂さんのおかげ、といっても過言ではない。
素直に感謝したいが、部長の俺に対する傍若無人さがその気持ちを掻き消してくるので口に出して伝えることは少ない。
「なるほど」
「なんかわかりました?」
俺が心の中、文句を言っていると部長が言葉を吐き出した。
部長は器用にバタフライナイフを展開させると、刃の根元をこちらに示した。
ナイフをよく見る。
「なんか……マークですか?」
根元には何かのマークが刻印されていた。
「どうやらジョー・ブレイズのナイフらしい」
今度は器用に刃を折り畳み、鉄の塊になったバタフライナイフを部長が投げ渡してきた。
軽く弧を描くように投げられたナイフを受け取り、改めて刃を出して確認する。
よくわからないマークだった。
「なんスか、そのジョー・ブレイズって。ナイフのメーカーか何かですか?」
「人の名前だよ、桐間クン」
パイプ椅子にもたれ掛かるように背伸びをしながら答えてくれた。
部長の薄い胸が強調された。
「裏の世界ではちょっとした有名人の名前だ。バタフライナイフのジョー、なんて通り名ぐらい聞いたことあるだろう?」
「一般人なんで、無いです」
「慈善活動みたいな事してたアメリカンギャングのリーダーだった。義賊ってヤツだよ」
こちらの否定を聴いているのかいないのか、部長は言葉を続ける。
「二十年ぐらい前に殺されてしまったんだがね、彼のそれまでの活動と悲劇的な最期が相まってヒーロー扱いされることが多い」
部長は椅子から立ち上がり部室の窓辺に移動した。
風で揺らぐカーテンを開けて窓枠に寄りかかった。
日が傾き始めた空は橙に染まり始めている。
「悲劇的な最期って、どんなのすか?」
「まぁ、よくあるヤツさ。ギャング同士の抗争で一般人が巻き込まれるのを止めようと、複数の組織に声を掛けて停戦の場を設けようとしてたんだが、そこで呼びかけた連中に裏切られた、って話。最期は一対多勢でリンチされて、死体は判別が困難なぐらいぐちゃぐちゃだったって噂だ」
「うへぇ……。いやっすねぇ」
「クックック、ヒーロー気取りは程々にしとけって教訓だな」
いつものように意地の悪そうな笑いだったが、その声はいつものように自信過剰な風ではなかった。
そして、その表情も逆光で読み取れなかった。
なにか部長にとっては思い入れのある話なのかもしれない。
もしかしたら――
「知り合い……だったんですか?」
だから、知っているのかもしれない、と思った。
部長は俺の言葉に呆れたようにため息を吐いてから、こちらに近寄り、俺の頭を軽く叩いた。
「――痛っ」
「阿呆。二十年前の話だって言っただろう。私も生まれる前の話だ」
いくつだと思ってるんだ、と付け足した。
時々見る部長の憂いを帯びた表情は、元々顔が整っていることも相まって、俺と一つしか違わないという事実を曖昧にさせる。
もし、部長が十歳ぐらい年上でも俺は疑わないだろう。
いつの間にか部長は自分の席に戻っていて、開いていたままだったPCを閉じていた。
「そのナイフのマークはジョー・ブレイズが愛用していたマークだ。あの『道具屋』の事だわざわざ紛い物を掴ませることは無いだろう」
「じゃあ、本物ってことですか」
「九割九分そうだろうよ。しかも、前の『弾丸』がそうだったように、なにかしらのいわくなり、特殊な性質なりがあるのは確かだと思う」
「その辺、部長も知らないんですか?」
「知らん」
ぶっきらぼうに答えながら部長はPCをカバンにしまっていた。
どうやら、お開きのようだ。
これ以上、答えてはくれないだろう。
俺もぼちぼち帰る準備をしなければ。
そういえば何時だろうか、と先ほど机に広げたスマートフォンで確認したところで部室の扉が開いた。
「貴方たち、今日はもう下校時刻ですよ」
姿を見せたのは通学用カバンを手に下げた髪の長い女性。
「え、早くないですか伊吹先輩」
「今日は日曜ですし、運動部が早めに上がってますから」
ほらほら、と俺の帰り支度を急かす。
伊吹湊(いぶき みなと)先輩は我が校の生徒会長であり、そして――
「水仙ちゃんも早く支度してくださーい」
「……もう終わってるよ、湊」
部長の幼馴染だそうだ。
俺は部長と対等に話している人物を教師や生徒、学校外の人間全て含めたうえで伊吹先輩以外に知らない。
「ちゃんと二人で活動していたんですね」
「いつもそうだぞ」
「嘘じゃない」
「嘘じゃないぞ、今日だってそうだったろう」
「まぁ、いいです。水仙ちゃんが部室を維持したい以上はこのまま二人で活動しててくださいね」
「めんどくさいが、まぁその程度で融通が利くんなら検討しよう」
俺が帰り支度をしている間も何やら二人で話していた。
「周、早くしろ。鍵閉めるぞ」
「あぁ、待ってください!!」
机に置いたままの家の鍵とスマートフォン、そしてバタフライナイフに手を伸ばした。
一瞬、迷った。
このまま、ナイフは置いていってもいいんじゃないか。
しかし、もし危険度が多少でもあるならきっと部長はなにかしらの警告をしてくれただろう、と思う。
答えてはくれなかったが、それは危険度が低いからだろう。
結局、ナイフもポケットに突っ込んで部室を出た。
まだまだ明るい夕暮れ。
しかし、学校には既に人の姿はほとんどなく、不思議な静寂があった。
「周」
「なんスか?」
校庭で、鍵を返しに行ってくれた伊吹先輩を待っていると、部長が口を開いた。
「『道具屋』が何を考えているのかは知らんが、とりあえずナイフは身に着けておけ。お前は非力すぎる」
忠告。
「なにかあるってことすか?」
「さぁ、な。無ければいいが」
意味深に部長が空を見つめた。
わざとらしいその態度が冗談なのか、本気なのかわからなかった。
部長に問い詰めるべきか、悩んだところで伊吹先輩の姿が見えた。
「帰るぞ」
「……ウス」
「ごめんなさい、待たせてしまって。何か話してたの?」
「あぁ……いや、別に……」
「周がナイフ持ち歩いてるって話だよ、湊」
「言っちゃうんすか!? というか、その言い方だと、俺が好き好んでナイフ持ち歩いてるイタいヤツみたいじゃないですか」
「? 違うのか?」
「違うでしょう!! 成り行きじゃないですか!!」
「クックック、そうだったか?」
「思いっきり笑ってるじゃいスか!! 伊吹先輩、部長が滅茶苦茶です!! 信じないでください!!」
「うーん……。よくわからないけれど、あんまり危ない事してはいけませんよ、周君」
完