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土星ぐらし

犬がまた漂流していた。トイレにちょこんと座って不安そうにあたりを見まわしている。ケージのなかはおしっこの海だ。小さな島々のごとく浮かぶうんちの合間にはブランケットが沈んでいる。ブリブリと寝床で用を足してピカピカの便所ですやすやと眠る。まさに逆転のライフハックである。いっこうに改善されそうになかった。

「おしっこやうんちの粗相をけっして怒ってはいけません」。犬のしつけサイトで読んだ情報を頼りに淡々と。トイレットペーパーを巻きつけた手を天空からのばし、おしっこなる海を吸いとり、うんちなる島々を絡めとっていく。ああ。指についてしまった。いらだちを抑えるようにびしょびしょのブランケットをビニール袋へ放りこむ。あとで風呂場へ持っていかなければ。昨夜に洗ったばかりなのに。もう。くそ。けっして怒ってはいけない。

2階の寝室から1階のリビングへあとからおりてきた妻も目のまえに広がる惨状にめげることなく、除菌&消臭シートでケージの床を拭いていく。すると迫りくる危機から救われて安堵した犬が感謝を示すように妻へ飛びつく。踏みあらしたうんちを手足にこぶりつけたまま。買ったばかりのパジャマめがけて。迫りくる危機はきみである。妻が「おすわり!」と言えば言うほど興奮してしまって聞かない。二本足で立ちあがるとケージに沿って両手をあわあわさせながら行ったり来たり踊りはじめる。ケージのワイヤの一本一本へ余すことなくうんちを塗りたくる見事なまでの手さばきである。見かねた私が「土星!」と名前を厳しく呼ぶ。すると犬は降参するように寝転がり、床に背中をこすりつける。げ。そこはちょうどまだちゃんと拭けていなかったところ。犬は「だから怒ったらダメなんですよ」とでも言うようにこちらを見上げて「くぅーん」と鳴く。

しかたない。シャンプータオルで犬の身体もそのまま拭いてしまうことにする。犬は寝転がったまま幸せそうに目を細めて手や足をさっと次々に妻へ差しだす。まるで名犬のように。ついでに私もおしりを「よしよーし」と拭いてやると犬のアレが赤くアレになっている。さすが名犬である。見て見ぬふりをして口元も仕上げに拭う。なにやら茶色い。まさか。口の臭いをかいで迷いは確信へと変わる。また食べてしまっている。うんちを。名犬なのだ。

妻に犬の歯磨きをまかせて、袋に入れたブランケットを2階の風呂場へ持っていく。昨夜にうんちまみれの犬とともに洗ったときのケモノ臭が、小窓から差しこむ爽やかな月曜日の朝陽にまだ立ちこめている。ブランケットを袋から取りだし、茶塗られた記憶もろともブラシでこそぎ落とすように洗うと「忘れさせはしないぞ」と茶しぶきが勢いよく全身にはねかえる。ぬお。最悪だ。手をとめて肩を落とす。さっきまでブランケットが入っていた袋に書かれた「あなたの笑顔のチカラになる」とのスローガンが目に入る。おもわずチカラなく笑ってしまう。たしか近所のドラッグストアでもらったやつだ。そうだ。ひどい風邪をひいているのだった。こんな早朝から繊維の奥深くまで入りこんだクソのかけらをいつまでも夢見心地のままトランクス一枚で追いかけている場合ではない。

なにかをぶつけるようにしぼったブランケットを洗濯機で脱水しているあいだ、クソを浴びた自分の身体も洗うことにする。風呂場のとなりの洋室に積まれた洗濯物の山から着替えとバスタオルを探す。汚れた手や足で踏まないように。散乱するヒートテックやらエアリズムやらの隙間を縫って四つ足でクンクンと歩きまわる。四月から小学生になった息子の部屋にする予定とは思えないほどの荒れっぷり。完全に生活がまわっていなかった。

ふう。そんなわかりやすいため息をひとつ。熱いシャワーを思いきり頭から浴びる。はずが昨夜に犬を洗った38℃のままだった。「▲」ボタンを鼻息荒く連打して温度を上げる。今度こそ、ふう。どうも腕が痛くてうまくあがらない。うんちまみれのブランケットを毎日洗っているせいだろうか。それともただの四十肩なのだろうか。鏡にはひと昔前の人口ピラミッドのような中年の体型が浮かぶ。もう体力が追いつかない。犬のブランケットよりもはるかに安いタオルで我が身を拭き、髪をセットするのも面倒でいつものキャップでごまかして1階へおりる。すでに息子も起きていてケージの外へ解放された犬から逃げるようにソファの上で着替えている。

「土星にする」。そう犬に名前をつけたのも息子だった。なぜ土星なのか。結局その理由はわからないまま、まさかの土星との暮らしがはじまったのである。おかげさまで迎えいれた生後2か月のオスのトイ・プードルは名前に恥じない壮大なスケール感のカオスを我が家にもたらしてくれている。

いまも保護犬施設のインスタグラムには土星を抱いた写真が載っている。「家族が決まりました」とのメッセージとともに。はたして家族になれているのだろうか。花柄のスタンプで顔を匿名に塗りつぶされた自分たちの姿をじっと見つめる。

土星はお迎えしたときからすでに大きかった。現在は生後6か月になるが街ゆく人だけではなく動物病院の先生にまで「トイ・プードルですよね?」と首をかしげられるほどに。たしかにどこかちがうような。大きな胴体のさきっぽに土星のようなかたちをした小ぶりの頭がひとつ。そして妙に長い鼻。ほんとうに宇宙からやってきたのかもしれない。

地球の生活にまだ慣れないのか、ひどい噛み癖がなかなかなおらなかった。保護犬施設のサイトに載っていた「とてもやんちゃな性格です★」との紹介文とともに頭を激しく左右に振ってブレブレな写真が「そういうことだったのね……」と頭をよぎる。息子と安心して遊ばせることができない思いえがいていたのとはすこし、いや、かなりちがう生活。しばらくして息子はひどく咳払いをするようになった。病院で検査をすると風邪やアレルギーではなく精神的なストレスが原因の症状らしかった。幼稚園を卒園して小学校への入学を控える難しい時期の癒しにもなってくれたらいいな。そう生まれてはじめて飼った犬への期待は叶わず、むしろ逆効果になってしまったのかもしれない。いったい親としてなにをしているのだろう。

ただ、犬は息子のことが嫌いなのではなく、むしろ好きすぎるらしい。今朝もソファの上の息子へ激しく飛びかかりつづける。息子は「おすわり」でも「ふせ」でもなく「くたびれる!」と難易度が高すぎる命令を犬に何度も叫ぶ。そんなコマンドが効いたらさぞかし便利だろうが残念ながらくたびれてくれる気配はない。くたびれるのはこちらのほうである。

犬の気を息子からそらすためにエサを用意する。そろそろおなかが減っているはずだ。犬も目を輝かせて短いしっぽを振る。おすわり。おて。ふせ。まて。エサを食べるとき犬はすべてを完璧にこなす。「おて」を教えるために妻に自ら「おて」をして見せた栄光の日々の成果である。えらいじゃないか。右手を犬のまえにかざし、しっかりと待たせてから「よし!」。力をこめて叫ぶと犬は座ったままぴくりとも動かない。勢いよく食いつくと思って右手を思いきり振りあげた私の腰は危うく外れそうになる。

どうやら最近、食欲がないらしい。犬も犬で疲れているのだろうか。そのとき息子が「外で食べさせてあげようよ」と告げる。よし。どうせ食べないならためしてみるか。ケージの扉をあけてエサの入った皿を外に出す。すると犬はとても嬉しそうにガツガツと食べはじめる。「はじめての外食だね」と息子は笑いながら犬のそばに座る。食べているあいだは飛びついてこないのだ。そして「かわいい」と犬の姿を近くで嬉しそうに見つめながら「土星、結婚して」とおもわず小声で漏らす。息子も息子で犬のことが大好きなのだ。噛まれる恐怖心がまだ消えないだけで。プロポーズされた犬もまんざらでもなさそうにむしゃむしゃと息子を見つめかえす。そこには二人だけの時間がたしかに流れはじめている。もちろん、結婚は認めないけれど。

入学したばかりの息子と通学路を歩いて小学校へ送った帰り道。妻と二人で歩きながら「ぶっちゃけ、どう?」とたずねる。すると妻も「正直、しんどいね」と答える。

「成犬になったらマシになるとは聞くけどね」
「まあね」

「もうすこしの辛抱かね」
「かねえ」

「なんだか思ってたのとちがかったね」
「うん」

「でもさ。うまくいかないときこそどうあるべきなのかを親としてこどもに見せられる機会なのかも」
「たしかに」

そんなことを二人でポジティブに考えながら家へ戻り、幸せに輝く未来へと力強く向けた視線の先に、うんちまみれの犬が待っていた。またもやトイレではなく、さっき新しく入れたばかりのブランケットの上にこんもりとしたうんちが置かれ、ハンバーガーとポテトのおもちゃまでもがご丁寧に並べられている。まさに幸せ。ハッピーセットである。

犬は悪びれるどころか「今度はちゃんとできましたよ!」と得意げに笑っている。前向きの鏡じゃないか。妻も私もついつい笑ってしまう。「よく食べるようになったね」と私が言うと「うん。うんちもいい感じだね。すごい臭くて健康的な味」と妻も答える。味って。食べてる。妻は嬉しそうに続ける。「いいなあ、土星は快便で。私も便秘解消にボラギノールでも買ってこようかな」。それは痔の薬である。

うんちの始末をしているうちに午前中で帰ってくる息子を迎えにいく時間になってしまう。「いってくるね」と出ていく妻を焦りながら立って見送る犬。しばらくすると諦めたのかチラリと私を見やる。「はあ、あなたと一緒ですか」と不満げな様子で長い鼻をケージの隙間から出して「フーン」と力なく伏せる。なんだかかわいそうで扉をあけてやる。犬はむくりと起きあがり、私の足へおしりをこすりつけて座る。いつも妻に甘えるときにだけする行動だ。めずらしい。かわいいじゃないか。思えば息子も妻にばかり甘える年ごろになってしまったな。たまに甘えてくると思ったらなにか裏があったりするし。おや。なんだ。臭うぞ。見ると犬のおしりにはうんちが。犬よ、おまえもか。完全に拭いていやがる。勘弁してくれ。朝からうんちばかりじゃないか。「けっして怒ってはいけません」とのフレーズが頭をよぎる。もう怒る気力すらない。

もはや『生活の5割が犬』だった。そんなタイトルの新書があったらさぞかし売れないだろうな。どうでもいいことを考えながら「よしよーし」と犬のおしりをまた拭く。ああ、疲れている。昨日もトイレで自分のおしりを「よしよーし」と呆然と拭いてしまっていたほどに。妻も限界だ。つい先日もトリケラトプスのオブジェに乗るお子さんの写真を見せてくれた相手に「これってホンモノですか?」と真顔で聞いていた。白亜紀じゃあるまいし。とにかく、おたがい疲れきっているのだ。夫婦の時間はもちろん、家族の時間がどんどんうんちに塗りかえられていく。

トイレットペーパーを適当な長さに巻いて並べる。あらかじめ交互に重ねておけば取りやすくて効率的かもしれない。そんなことをしているうちになんだか熱があがりそうな予感がする。きょうの仕事もあとまわしに2階の寝室で倒れこむ。だがしばらくして「ガリガリガリガリガリ」とプリズン・ブレイクみたいな音が響いてきて目が覚める。1階のリビングに設置した見守りカメラのアプリをひらく。すると犬がなにやらガツガツ食べている。いったいなにを。うんちだ。バリバリの不良の体調のせいでパラリラパラリラと遠のく視界にクソを食べる犬の姿がダイナミックに映しだされる。

ふらふらとまた起きあがりリビングへ。すると犬はくちゃくちゃと音を立ててうんちを食べながらケージからのばした手で穴を掘っていた。35年ローンで買った新築一戸建てのマイホームの壁にぽっかりと。もちろん、ケージもうんちまみれである。またもや除菌&消臭シートで床を拭き、シャンプータオルで犬の身体も拭いてブランケットを洗うのか。これはタイムループかなにかだろうか。いや、ちがう。少なくともループではない。今度は壁の穴も埋めなければいけないのだから。時は確実に進んでいる。

まさにトイ・プードルの乱といった様相のなか、とっさにトイレットペーパーを手にとる。ああ、しまった。せっかく交互に重ねておいたのに、すべてをまるごとうんちの上に落としてしまったじゃないか。いったい、なんのためにあんな準備をしておいたのだろう。私のなかでなにかがキレる。乱の首謀者の顔をじっと見据えて「わんわんわんわおーん! ぐるるるるっわおーん!」と本能につきうごかされるように吠える。

野生のなにかが目を覚ましたらしい私のまえで、肝心の犬は首をかしげたまま座っている。「なにしてるんですか」といったように。ほんと。なにしてるんだろう。それでも私は「うわんうわんうわんうわわわあああああああああん!」とさらに力強く吠える。自分の気持ちを言葉にすることなくそのまま伝えるように。いいのだ。これでいいのだ。換気のために窓があけっぱなしだったのを忘れていた以外は。息子の新入学のおたよりに書かれた「こどもを守るためにご近所のきずなを大切にしましょう」との言葉が音を立てて崩れおちていく。しかも見守りカメラもつけっぱなしじゃないか。妻に見られてしまったかもしれない。完全に頭がおかしくなった夫の姿を。犬は「ふわうわうわうわあーう」と気のぬけたあくびをして眠たげに伏せる。それから憮然とした表情で立ちあがるとおしっこをトイレの外へ堂々と放つ。土星、怒りの放尿である。

ひととおり片づけてから庭で犬のトイレをまるごとホースで洗う。クソのカスがまたもや顔に飛びちり「ぎゃあ」とおもわず声を上げる。平日の真昼間に犬語も交えながら喚く中肉中背の黒いキャップを被った40代から60代と思われるうんちまみれの不審な男。通報されかねない光景とは裏腹に、家の壁に並んで立てかけられた犬のトイレのそばには小さな虹がかかる。余計なお世話である。揺らめく七色のアーチ。その向こうから手をつないだ妻と息子の姿が近づいてくる。「うんち?」「うんち」。「おかえり」「ただいま」のかわりに「うんち」をかわす家族のコミュニケーションとはいったい。

リビングでは犬がさきほどとは打って変わってむくむくと期待に膨らませた長い鼻をケージの隙間から突きだしている。妻は「おにくちゃーん!」と呼びながら抱きあげる。どうやら息子を迎えて元気が戻ったらしい。妻はご機嫌なときになぜか犬のことを「おにくちゃん」と呼ぶのである。よかった。どうやらカメラも見られていなかったようだ。

「なんなの、おにくって」と私はホッとして笑う。「わからないけど。なんかお肉って感じだから」。すると「土星」と名付けた息子までもが「おにくちゃーん!」と呼びはじめる。そのたびに犬もとても嬉しそうに手足をばたつかせる。そのうちに息子も「おにくちゃんって呼んでほしい」と言いだし、妻は息子のことまでを「おにくちゃーん!」と何度も抱きしめる。もはや、おにくちゃんだらけである。やれやれ。なんだこれは。「今度はちゃんとうんちしようね」と私は犬に声をかける。犬は「わかりました!」といったようにしばらく走りまわると、うんちではなくおしっこをあたりにまきちらす。その手があったか。

ありあまるパワーを発散してもらうためにみんなで散歩へ向かう。土星色のハーネスに青い星のリード。宇宙へ旅立つような姿で近くの霊園を歩く。まわりに公園がないのである。まあ、どちらもおなじようなものだ。どうせ死ぬのだから。生きるものはみんな。土星も。10年だろうか。15年だろうか。それとももっと短いのだろうか。

いつかに「もし土星がいなくなったらどうする?」と息子へ聞いてしまったことがある。そのときは土星の噛み癖が絶頂期で息子の体調もますます悪化するばかり。息子と土星の交流もまだほとんどなく、これからほんとうに飼っていけるのか不安で夫婦ともどもすっかり疲れはてていた。息子は「絶対にイヤだ」と迷うことなく答えた。それからなのかはわからないが幼稚園で描く家族の絵にはいつも茶色のクレヨンでぐるぐるに塗られた土星の顔があった。「土星がいなくなっても絵にいっぱい描いておけば大丈夫」。息子は目をパチパチとさせながらなにかを覚悟するように言った。もう二度とあんなことは聞かないと心に決めた。

きっと明日からもうんちとおしっこにまみれた日々は続いていくのだろう。2階の寝室で夜更けに目が覚める。忍び足でトイレに向かう。そしてまたベッドへ戻る。たとえ喉がカラカラでも1階のキッチンに水を飲みにはいけない。犬を起こしたら吠えられてしまうから。おしっこやうんちを漏らされてしまうから。そんなよくわからない時間が朝から朝までまた垂れながされていくのだ。それなのにどうも憎めない。憎たらしいときもあるけれどかわいい。憎かわいい。まさに「おにくちゃん」である。

道ばたの枯れ葉に飛びこんで貪ろうとする犬を必死に引きながら歩く。すっかり力強くなったものだ。お迎えしてからしばらくのあいだ、ケージのそばに布団をひいて一緒に寝起きした夜を不意に思いだす。土星が不安そうに目を覚ますたびに私も目を覚まし「大丈夫だよ」としばらく見つめあったあとでまた安心したように眠る。あのときは寝不足が続いて大変だった。今だって毎日のように疲れきっている。それなのになぜだろう。土星がいなくなると思うとこんな気持ちに襲われてしまうのは。疲れた。もういやだ。ああ、ほんとに疲れた。限界だ。そう嘆きながらもスマホのフォルダには土星の写真が並んでいく。いまもこうしてお墓のまえでなぜか突然立ちどまり震えている彼にまたカメラを向けている。

「土星のおかしをそろそろ買いにいかないとね」。道ゆく人たちが「?」と振りかえるコスモな会話をしながら家へ帰る。最近は家族でスーパーへ行くとまっさきにペットコーナーへ寄ってしまうようになっていた。息子は「これずっと食べたかったやつなんだ」とまるで自分が食べるかのように土星のおかしを嬉しそうに選ぶのだ。

まだ慣れない散歩にみんな疲れきった様子でリビングに寝転がる。土星は床に座ったまま虚空を見あげて怯えている。いったいそこになにが。もしかして連れて帰ってきてしまったのだろうか。霊園から。やめて。いや、ちがう。どうやら奮発して大型に買いかえたテレビの真っ暗なディスプレイに浮かぶ毛むくじゃらな存在の姿に動けなくなってしまったらしい。それはきみである。

ひとまわり大きくなった四角い枠のなかにうつる、ひとり増えた四人の影。その像をぼうっと眺めていると息子が不意に「家族でだれがいちばん好き?」と妻へたずねる。妻は息子のほっぺたをツンツンしながら「もちろん一番だよ」と答える。息子は「ダメ。土星もいちばんにしてあげて」と真剣なまなざしで返す。妻は声にならない声をあげて息子を力強く抱きしめる。私は幸せそうにじゃれあう二人のそばで「ねぇ」と力なくつぶやく。「パパも一番にして」。すると固まっていたはずの土星がその願いに華を添えるようにまたおしっこを漏らす。

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