20241019 自然からみた景色

明日のために今日を失うことなかれ
明日は今日のためにある

ん?

何かが引っかかる。お寺を通り過ぎた後もその言葉を何度か心の中で復唱してみる。上記は月替わりでお寺の掲示板に貼り出される『今月のお言葉』みたいなものだ。

上の句は特に気にならない。その通りだ。"明日のために今日を大切に生きよう"というような意味合いだろう。何の問題もない。耳にタコができそうなほど聞きなれたよくあるフレーズだ。

問題は下の句である。

明日は今日のためにある

上の句の流れからして"今日は明日のためにある"の間違いではないだろうか。「なるほど、お寺の坊さんが明日と今日を間違えたのだな。」最初はそう思っていた。が、二週間以上経っても一向に書きかえられる気配はない。

もしこれが意図的なものだとしたら、

上の句は左から右、山から海、過去から未来へ流れる真実
下の句はそれに逆流する真実

二つのフレーズが相反するように聞こえるのは、ヒトの共通認識にある都合よく解釈した自然の摂理を信じて疑わないからなのだろう。つまり、上の句はヒトから見た景色であり、下の句は自然から見た景色なのかもしれないということだ。そう考えると上の句も下の句も実は全く同じことを言っているとも考えられる。もちろんこの考え方もヒトである自分が都合よく解釈したものに過ぎないのではあるが。

今朝もその前を通りかかったが、やはり変わってはいなかった。


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