20241110 空腹朝日荷

荷を背負って走りだす

今朝は25ポンド。約12kg。そのほとんどはペットボトルに入った古い水で、飲料水として役に立たないものだ。徐々に夜が明け、朝日が遠い山の端から顔を出し始める。

レースでもイベントでも何でもない。こんな日常をわざわざ切り取ったところで誰の目にも留まらないだろう。だがそれで良い。むしろそうである方が都合が良い。

ほとんどの方は日常的な行為を日々のトレーニングと位置づけているだろう。目標を設定し、忙しい合間を縫って時間を確保し、そこに向かってコツコツと積み重ねていく。それが自然な形だし、その方が人生を有意義に楽しめると思う。

でも、自分は違う。ストーブの上でやったあぶり出しのように、何も自分を特別視しているわけではない。そうじゃない。波打ち際のように静かに打ち寄せる空腹感、大地の傾きによって否応なく晒される膨大なエネルギー、そしてかつての長旅の一端を担う背中の荷。これで十分だ。これ以上に何を求めることがあるだろう。

決して次に繋がるものではない。その瞬間に完全になくなってしまう。過去にも同じことがあったし、この先にも同じことがあるだろう。それらが同時に起こっていることに気づけば、まるっきり何も為していないことに気づけるはずだ。何もしていない、あるいは存在さえもしていないと同じとも。でもまだそこは白い靄で覆われている。

空腹感、朝日、荷

今はまだこれらが必要だ。


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