見下しについて
個人的に昨年色々あった。
昨年に限らず2021年から色々あった。
しかし今現在に至ってみれば、結局自分にできること、できたことはさしてなかった。
それは自分が大した事のない存在であり、また強い努力も望んでいない怠慢な性格な所為でもあるが、
自分という人間のダメな所や可能性を考えた結果できないと苛つく程の可能性もないのだからできる事をできる範囲でしている事にまあまあ満足しながら
何も誇らず清貧して暮らしている。だけである。
だけれどもこんな自分でも人にやや頼まれる事があった。けれど私はその期待に応えられなかった。
応えなかったとも言える。
相手の望む形と自分の思う展望が合わなかったのだ。
どちらかが悪いとは私は思わない。
どうしようもない事もあると私は考える。
だが他者はそうは思わないだろうとも思うので愚痴。
私は積極的に人を傷付けたくない。なので必要な言葉でも言わずに流す事も多々ある。
けれど配慮が足りずに言ってしまう事もあるかもしれない。きっと相手もそうかもしれない…
私は人として価値を低く見られがちなのでよく人に見下される。
ムカつかない訳ではないが価値を高める努力をしてこなかったので仕方ないようにも思っている。
但し、私も私を見下す者に価値を感じない。
私に価値があろうが無かろうが「人を見下す」者はそれだけで要注意人物である。
人は無意識に我儘なもので、相手を見下しているくせにその相手に自分の要求が通じたり、気を使ってもらえると思っている事が多々あるのだ。
「お前は私より存在が下なのだから、お前が私の為に何かして当然だ。」とでも思っているのだろうか?
まあそれはその人それぞれの問題なのであまり言及はできない。
だがそれを感じるので、私は私を見下す人とは距離を取らなくてはいけないのである。
人は群れたがるし、優劣を付けたがる。それを鑑みればそういう心理状態を持つこともやや当然かとも思われる。
私は自分が低い人間だと自覚しているから、低いところから人を見る。だが今までの経験から、相手がどのような立場であっても「人を見下す」ことはしない方がいい。
馬鹿でも能無しでも自分が「見下されている」事は敏感に感じられるものだ。そしてその結果は不快感や信頼の喪失などで済めば良い方で、時には「強い憎しみ」さえ生む。
以前ある場所で、仕事はあまりできなかった人が嫌がらせだけは誰もが考え付かない方法で迷いなく効果的に行ってきたのを目の当たりにした。
人は何を秘めているか、どんな事をしでかすのかを本人でさえ分かっていないことがある。
「人を見下す」のはとてつもなく危険な行為なのである。
でも「人を見下す」という現象はこれからも後を立たないであろう。人は基本向上心を持ち、誰かより上の立場にいたいものである。
人より立派になりたい事と誰かを見下す事を両立させてはいけない。
私は礼節の無い人とは付き合えない。それで孤立し孤独になったとしても仕方ない。「気を使ってもらって当たり前、何かしてもらって当たり前」という人と一緒にいると精神力でさえ搾取されてしまう。
上手く躱せたり、流せたりすれば良いのだが、その辺が下手くそなのでしょうがない。