信じるって素晴らしい!(???)
この題名が渾身の嘘になるなんて
思いもしませんでした。
散々信じることをディスってしまって
良くないなとは思うのですが
もう私の性根が腐り切って治らないのでしょう。
信じる…信じてることかあ…
信じてないものはたくさんあるけれど
信じてるものと言えば、時間は必ず経過するとか
信じてるというか、そうなるだろうというか
中々思いつかない。
これはきっと、自分の生育環境に由来するのかな
私は「信じなさい」と強要してくるものが
とても嫌いなんだ。(これは今知った&気付いた)
だってあの人、疑うと怒るくせに
普通に嘘をつくし、嘘や間違いがバレると
私のせいにしてくるし
だからせめて、信用は私が信用したいものに
使いたいと…思って抗っていたのかな?
あんまり思い出せないけれど。
何度も同じことを言われれば信じるというか
思い込んでしまうけど、納得いかなくて
私は思い込みと不信の中で生きてきたのかも
しれないです。
なんかじめじめした暗いイライラを抱えて
生きてきた実感はあるのですが…
と言う訳で、やっぱり私は『信じる』ことを
布教することはできない。
でも否定することもできないので、やはり
前述した割合が一番いいな。
私の人生のテーマは『バランス』なので
変動する割合を軸に物事を考えていたいなと
思います。
信じることと期待することは全然違います。
この本面白いかもしれない、とか
この馬券当たるかもしれないとか
(もう馬券買ってないけど当たらないし)
期待することはしょっちゅうあります。
期待は自己責任の所在がはっきりしている
けれど、信じるの方は責任の所在がやや
曖昧です。
信頼や信用というものは強要されるものではなく
日々の積み重ねでこちらが自然に抱くものです。
疑われることを過剰に怒る人や他責する人には
注意していきたいです。
(未成年者や子どもであればまだ精神は成熟していため、人格否定されたくらいショックを受けてしまうのもまだ分かるけれど)
考え方とは千差万別あり、色々な見方があるため
「こうだよ」と言われたことに違う意見や
考え方を提案できない状況の時は、一歩ひいて
なぜそういう状態なのか冷静に見つめ、
相手の言い分を鵜呑みにしないように気を付けたい。
幼稚で他人の意見を受け付けないくらいの人なら
いいが(嫌だけど)発信者に誘導や支配したい意図が
ある場合とても危険なのである。
疑い過ぎて疑心暗鬼になると、それはそれで
精神不安が増してしまうので
いつでも適度な距離とバランスを心掛ければ
きっと、多少は、大丈夫、な筈、さ!