相手の手を知る(騙されたとしても)
「相手の手を知ることが、免疫をもつことに
つながるのだ。」
今読んでいるマインドコントロールについての本の中の文章。
為になることばかり書いてあるけれど
(為になる状況は来てほしくないけれど)
特にこの文章について。
人を騙す人ってとても誠実でいい人を装いますよね。
人がどんな人を信用するかを知り尽くしているのだから当然です。
誠実な人々が積み上げた「信頼」を利用し食い尽くすのです。
許せない卑怯な行いですが、利益の為には何だってする、良い悪いよりもとにかく「得してやる!」ということに全身全霊を注いでいる人も残念ながらそれなりに存在している。
道徳を説けばみんないい子になるのは理想ではありますが、そんな事は未来永劫来ない事は歴史を見ても明らかです。
理想は理想、現実は現実。
いつも分けて心に留めておけばそれでヨシ!
相手の手を知ることは、面と向かっている以上
その相手から知る事は難しい。
相手を騙す事に全力を注いでいる相手はとてつもなく手強く、利益の為の執着を超える洞察力を
自分に課すのは困難過ぎるので止めた方がいい。
人の本質、手口を知るためにはそれらを記した書籍を読むか色々な事件の概要と解説を見るのが割と適切かと思っています(もっといい方法があるかもしれませんが私は知らないです、すみません)
相手がこちらを騙しているかいないかは分からないのです。
お金やその他を奪われた後に「騙された」と確信できるけれど、例えば死後に財産を乗っ取られた場合は本人は騙された自覚のないままです。
だから常に『自分は騙されているかもしれないし、騙されていないかもしれない』という状態・考え方をキープし続けている必要があります。
だから信用するにしても「この分くらいは騙し取られてもいい」というくらいしか相手に明け渡してはいけません。
「俺・私の事を信用できないのか!」と怒る人は基本人から奪い取る事を主目的にしている人です。それは金銭だけに関わらず、性的快楽や精神搾取も含まれます。
基本「信用」というのは相手に強要するものではなく、相手の自由意志なので相手を尊重できる人ならば相手に任せておけるものなのです。
相手を信用するけれど、互いに何も明け渡さないこれこそが本当の信頼関係だと思います。
(もちろん助け合い、貸し借りもあるだろうけど
それにはリスクも付いてくる。それを理解した上で行うならそれもありです。)
騙されないというのは無理な以上、関わってしまったら勘を信じるしかありません。
騙す人は何より相手の心を気持ち良くさせる術に長けています。
何か変かな?何か上手くいきすぎているな?と感じる事ができれば、相手の欲しがる答えを引き延ばし、利害関係のない人に相談するのが最適です。(こういう場合相手が相手にとって都合のいい答えを最終的には欲しがるので分かりそうに思うけれど、それを誤魔化す為にたくさんの心理的布石を打ってくるので当事者ではやはり難しいのかと思います。)
それでも駄目だった場合でも、決して騙された事に絶望しないでほしい。
悪いのは何がどうあっても騙した奴なのです。
騙す事に特化した奴を見抜けると驕ってはいけません。例え迂闊な事があったとしても、絶対に人を騙して利益を得る事を許容してはいけないのです。
生きるということは、備えることの連続です。
いくら傷付いても生きてさえいれば何とかしようがあります。
大切なのは傷付かないことではなく、傷を自覚し治したいと前を向くこと。
できるかできないかではなくやるかやらないか。
きっと、大丈夫!