信じるということ…(信じることは究極の自己責任)

「信じる」ということが良い事なのか
良い事ではない(悪い事)のか…
凡その方が時と場合によると分かりつつも
信じることは悪いこととされてないように
思います。
大雑把に言って、
良い事を信じるのは良い事
悪い事を信じるのは良くない事
なので、
信じる前にそれが良い事なのか悪い事なのかを
判別できれば大きな問題は起きない…
のでしょうか。
私が常々思うのは信じた、若しくは信じようと
思ったものが途中で変化した時や
実は違ったと分かった時にさっと考え方を
変えられるかどうか。
こういった事に対する予備の余地を常に持っておく
そして自分の選択の過ちを直ぐに認め
自省しながら考え方を改めることができる
そういう生き方をした方がいいなと思うことです。
(上手く説明できませんが、考えを改めてもらうって
かなり結構難しいです…)

人は多くの場合において間違う事を嫌います。
逆を言えば正解することが大好きです。
この性質を利用すれば誰だって簡単に
他人を操ったり陥れたりできます。
なのでーー
一番大切に思うのは失敗や間違いを恐れない
過度に恥に思わないことである。
失敗しちゃったったてさ、しょうがないじゃん
間違えたーって落ち込みながら
さっさとリカバリーと修整に思考を切替えて
失うものの幅を最小限にすればいい。
取り返しのつかないことは
「取り返しつかないなあ」って受け止めるしかない
失敗を叱責する人は自分の失敗を認めたがらなく
なり、自分の失敗を隠すように
より他人に批判的になったりする。

失敗しても、テヘペロごめんね
次頑張りますくらいの余裕を常に持つ。
この余裕の幅を何かを信じる時にも持たないと
信じて失敗した時に修整できなくなってしまう
のである。
信じた事を修整したくない余りに
信じてはいけないものを信じ続けるのは
とてもとても危険な行為である。
傷付くことを恐れることも
失敗を恐れることも
心を持っていれば当たり前のことではあるが
克服するべき最大の壁の1つではあると思います。


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