信じる割合について

信じるということについて…長くなってきた…
信じるということについては
宗教の話は避けて通れないのかも
しれませんが避けていきます。
今回は信じる割合について、、
私にとって信じる割合の理想は50:50です。
これはパートナーとか一生一緒にいる
覚悟を持った場合で、今となっては
もっと低くてもいいかなとさえ思います…
友人とか親戚は人にもよりますが
:20前後くらいにしておいて
知人や他人は0でいいかなと。
信用できないからというのではなく、
信用できるかできないか分からなものは
分からないままでいいかと思うのです。
お医者さんなどの専門家の意見は
ほぼほぼ信用してよいと思います。
そういった商売で成り立っているものは
嘘をつくと詐欺行為になったり不利益がある
場合が多いため、また、職業によっては
倫理感や道徳性の高い方が多い場合もある。
(でもまあどの職業でも「ええっ」て思うことも
あるので、人によることが大前提です)
取り敢えず専門職や商売上の付き合いは
省きます。

例えばだけど例えばではない話。
最近(といってもここ数年内ですが)
投資詐欺などで特に多くみられる
主犯がターゲットAに対して利益を保証して
Aが利益を得て主犯を信用し、Bに話を持ちかける
AはBを騙しているという意識はなく
BはAを信用する(元々信頼関係のある同士な
事が多いので容易に被害が増えるのも致方なし…)
主犯がBに利益を渡さず金を持ち逃げして
事件が発覚するのだけれど、
Aは騙すつもりなく人を騙して騙されていた
ことになる…
短期的なお金の搾取でなければこの関係が
永続的に続くこともあります。
BにとってAは悪人ではないけれど
結果的に騙されることもあるのです。
信用とはあまりに簡単にお金につながる
故にとても危険でもある。

信用はお金や支配に直結するので
信用させたい者の信用させる為の努力は
とても強いし強力です。
他人を利用するという感覚を当たり前に
持っていない者にとって
当たり前に他人を利用する者の心理は
理解しがたいし、ピンとこないのも仕方ないことです。

信という字を調べてみれば(ググる)
うそのないこと。まこと。誠実。「―を示す」

疑わないこと。信用信頼。「―を置く」

と出てきます。
自分自身が誠実であることは自分自身の問題であり
自分で何とかできるし、自分で理解コントロール
できるけど。
相手がどうであるかは極論分からないものである。
「疑わないこと」って…
言うのは簡単だけど、それで騙されたら
誰が責任取ってくれるの?
そう、結局は自己責任になるわけです。
そんな訳で信用の理想的な割合
信用20:自己責任(又は自己診断)50:
正誤どちらでもいい余地30
くらいがいいかなと思います。
(イラストはオマケ程度で…)

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