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京都で出会った、Wovenという空間。そしてそのコーヒー。

コーヒーが好きで、日常の重苦しくなる隙間には、コーヒーを淹れて飲んでいた。

もっとその世界を知りたくて、STANDARTという雑誌を取り寄せて読み始めていた。

体調不良によって本が読みづらい時があり、ゆっくりする時にはSTANDARTを傍らに置いて、少しずつ捲るのを楽しみにしていた。

現実に息苦しさを覚えていた時、その雑誌である記事と出会った。


“しかし、「ファンタジー=逃避・否定」とも限らない”


“コーヒーフィルターが一度に少しのお湯しか通せないのと同じで、ファンタジーも限られた量の現実しか描けない。
だから無視することも一度に受け入れることもできない現実の騒音も、プレッシャーや心の澱みも、ゆっくりと受け入れることができるのだ。
これこそファンタジーの大きな効果であり、しかもそれがコーヒー1杯の値段で手に入るのだ。”


それはBen Wurgaftさんという方が、京都の滞在中に幻想の世界を味わえるカフェを訪れた時のことを書かれた文だった。

気づいたら夢中になって読み、泣いていた。

その時の自分を丸ごと救ってくれる文面に見えた。


“このカフェにどうしても行ってみたい”

という思いが強くなり、気づけば京都旅行を計画していた。

Woven座席から。コーヒー、きなこ棒、羊羹。


家々がひしめく中に印象的な白い小さなドア。

入ると、海外から来た方や常連らしき方がゆったりと会話されていて、そこにしかない時間が流れていた。

店主の方が創り出す空気、その場の優しさ、壁に掛けられたり棚に置かれた独特の小物たちの雰囲気が、そこに居るすべての人たちを赦してくれているようだった。

流れる音楽や香りもコーヒーの味と混ざっていって、「ここで飲むコーヒーは、この場の空気全体なんだ」と思わされる。


静かにそこに溶け入るように入ってきた、優しい香りのコーヒー。

エチオピアは華やかながらもどこか控えめで、その腕の中に休息の世界があることをそっと感じさせてくれた。

日頃あまり飲まない深煎りのコーヒーはすごく飲みやすくて、呼吸がどこまでもそこに落ちていくような心地良さがあった。

何も言わずに連れ合いの分と半分ずつにして出してくださった、きな粉棒と羊羹。

それぞれにカカオニブ、林檎と胡桃が入れられていて、変わろうとする季節をゆったりと感じられた。


そこに居た時間の全てが、今でも私の背に優しく寄り添ってくれているように感じる。

きっとまた、ここに行こうと私はすると思う。


読んでくださって、心からありがとうございます。


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