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フィカス(Ficus benjamina)という観葉植物と共に、成長と自己再生を図っています 日常感じたことや、訪れた場所についての主観を綴ります スペシャルティコーヒーが好きです

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フィカス(Ficus benjamina)という観葉植物と共に、成長と自己再生を図っています 日常感じたことや、訪れた場所についての主観を綴ります スペシャルティコーヒーが好きです

最近の記事

京都で出会った、Wovenという空間。そしてそのコーヒー。

コーヒーが好きで、日常の重苦しくなる隙間には、コーヒーを淹れて飲んでいた。 もっとその世界を知りたくて、STANDARTという雑誌を取り寄せて読み始めていた。 体調不良によって本が読みづらい時があり、ゆっくりする時にはSTANDARTを傍らに置いて、少しずつ捲るのを楽しみにしていた。 現実に息苦しさを覚えていた時、その雑誌である記事と出会った。 “しかし、「ファンタジー=逃避・否定」とも限らない” “コーヒーフィルターが一度に少しのお湯しか通せないのと同じで、ファン

    • 心という情景を描くように

      文章を書いている時間は、目には見えない空気の色と形を必死にデッサンしているみたいだ。 言葉にしないと零れ落ちて本当にどこにも見えなくなってしまうかたまりのある空気を、そこに存在し続けてくれるように願いながら影を描き足して色を塗っていく。 自分の中だけにあるその情景を、手に取れる形にして人に運ばれるように祈りを込める。 自分の頼りない角と角を手繰り寄せて、繋ぎ合わせようとする時間。 それまでは見えていなかった空白の中に、歩ける道を見つけ出す試み。 もしもそこに文章が無

      • 心の傷に、気がつくための一歩

        「私は傷ついています」 と、はっきり言えたならある意味では気が楽になれるかもしれない もう自分が傷ついていることを認められて、そこから先は癒していくのみ 方向性ははっきり決まっている 問題は、深く傷ついたことがもう見えない距離や角度になってしまっている時 常識は時に暴力的に自分の認識を遮る “まとも”でいようとして、自分自身と喧嘩し続けるのだ 物事が色んな角度から見え過ぎて、結局自分が悪かっただけじゃないかと思えることも 自問自答が何も自分を救ってくれないことも

        • 京都で出会ったSTARDUSTという素敵なカフェ

          この世には本当に色んな境遇があって、自分もこの間まで先の事が何も考えられないような状態だったし、決して個人個人の違いを簡単に決めつけるようなことは言えないと思う だけど、私の人生の中で、 「願い続けて、辛いことに負けないで日々努力を続ければ夢は叶えられるんだ」 と思えたことは、今後のすべての時間も照らしてくれる、感謝と希望の光になった そう思わせてくれたお店が存在していてくれた事にもまた、感謝したい 「行ってみたい場所がある」 なんて、簡単に人に話せるような浅い思いだ

        • 京都で出会った、Wovenという空間。そしてそのコーヒー。

        • 心という情景を描くように

        • 心の傷に、気がつくための一歩

        • 京都で出会ったSTARDUSTという素敵なカフェ

          自分をもう一度励ますために

          緩やかな時間の過ごし方を、今学んでいる最中だ 一見何も無いかのように見える瞬間がある 自分を責め苛んでいた頃の名残で、心が枯渇している時には、空間は無に見える その空間に光を灯す 実際のキャンドルを焚いてもいいし、目に見えるものがすぐには見つからない場合にも、そんな時ふと目を瞑ってみて、耳を澄ませてみて、自分の心に問いかけてみる どんな小さな希望が次の癒しに繋がるかわからない 何も無かった空間から何かを生み出す、手の平が目の前にある 記録を綴ってもいいし、チェキを撮

          自分をもう一度励ますために