ハロプロ演劇概論②
みなさん、こんにちは。
以前noteに投稿した『ハロプロ演劇概論①』の続きです。
まだ①を読んでないっていぅ YOU KNOW?という方は、ぜひ①から読んでいただければと思います。
この『ハロプロ演劇概論』では、2020年頃にモーニング娘。に改めてハマった、新規だけど黄金期ド世代のためハロ懐古厨である私が、ハロー!プロジェクト、およびつんく♂氏が手がけた曲たちの在り方と、演劇との類似性、信念、熱意をただ語っていこうと思っています。
前回は私とハローの出会いだけで記事が終わってしまい、しかも、私にとっての演劇とハロー!プロジェクトの類似性において、ただただ精神性みたいなところに終始してしまっていた気がするので、もうちょっと概論らしく、論理的に何が似ていると感じるのか?どこに演劇を感じるのか?をまず書いていこうと思う。
まず、つんく♂楽曲において、全てのハロオタがまず最初に口に出すであろうこと。
それは16ビートである。
私は、合唱部はやっていたけどほぼ楽譜が読めなかったし今でもあんまり読めないので、(部長だったのに)人に伝えられる自信がないんだけど、
8ビートがチッチッチッチッチッチッチッチッ、だとしたら、
16ビートはチキチキチキチキチキチキチキチキ、ということになる。
ッ、のところも叩く、というか。ッ、は8ビートだと叩かない裏拍になるけど、それが16ビートになると、表も裏も全部叩く、みたいな。
音楽詳しい方、合ってますか?
つんくの楽曲は、ロック、ポップスはもちろん、バラードだろうが演歌だろうがなんだろうが、あらゆる楽曲で16ビートを刻むことが何よりの特徴だ。
そのため、いわゆる独特な『つんく歌唱』というものが生まれる要因にもなっている。
たとえば、童謡『大きなくりの木のしたで』で例える。
これを、通常歌う時にどのようになるかというと、
「おおきなくりの〜 きのしたで〜
あ〜な〜た〜と〜 わ〜た〜し〜
た〜の〜し〜く あそびましょ〜う
おおきなくりの〜 きのしたで〜」
と、わりとなだらかに歌うことになると思う。
では、これをつんく歌唱を取り入れて、16ビートで歌うとどうなるか。
「おんぉおきぃんなァ くりのォ きのしたでぃゃ
やんなぁたぁと ぅわたしぃゃ
たぁのぅすぃく ンあそびましょうーナ
おんぉおきぃんなァ くりのゥォ ンァ(吐息でも可) きのしたでぃゃ」
に、恐らくなると思う。
ハロプロがわからない人にはさっぱりだと思うが、私も何を書いているのかよくわからない。
でも、普段からハロの曲を聴いている人は「はいはい、やなたね!」と多分爆笑するか、むしろもっとこうだよ!とダメ出しすらあるかもしれない。
ちょっとつんく歌唱をモロに出し過ぎたけど、ようは、通常の拍では休符や長音になるところを、全ての拍を粒立たせて歌うのが、16ビート歌唱=つんく歌唱、を確立しているのだと思う。
つんくに限らず、16ビートを意識している歌手、曲は、上の例は極端だとしても、わりと誇張なしにそういう歌い方になることが多い。
そして、これがどう私にとっての演劇に繋がってくるのか?というと、私自身の作劇、演出の仕方は、全て『音やリズム』を第一に作られているからだ。
もともと私は幼少期から、声マネ(声帯模写)が得意であった。
今でもライフワークにしているのだが、昔から、テレビ等から気になる音が流れてきて、それが気になる、マネできそうな音だと、いきなりマネして声に出してみる、ということをよくやっていた。
家族も私が昔からそんなんだから誰も気にしてなかったので、皆で夕食を黙々食べながらテレビを観ていて、ヘーベルハウスのCMから『ハーイ♪』と音が流れてくれば、私もすぐにマネして『ハーイ♪』と言い、そのまま食べることに戻り、家族も誰も気にせず黙々とした食卓が続く、ということもままあった。
ハロプロ演劇概論①でも書いたように、私はモーニング娘。黄金期世代のため、日常的に意識せずともハロー!プロジェクトの楽曲は沢山聴いていた。
だが、特別ハローにファンとして興味を持たなかった私は、どちらかというと、GO!GO!7188、椎名林檎などのジャパニーズロックに傾倒していった。
あとよく聴いていたのは、マキシマムザホルモン、くるり、フジファブリックあたりではないかなと思う。他は、有名なボーカロイドの曲とか、新旧のアニメの曲、懐メロがほとんどだった。
だが、つんく♂が常にそう心掛けていたように、ハロプロの真髄はとにかく『ロック』なのだ。なぜ私はもっと早くそれに気づかなかったんだろうと思う。
でも、気づくのが今だったということなんだろう。
そんなこんなで、幼少期から音やリズムに敏感な人生を過ごし、歌手になりたかった時期などもありつつ、大学でミュージカルの舞台に立ち、人前で歌う夢を叶え、演劇や舞台の世界に足を踏み入れた私は、自分の脚本や演出にも、やはり音やリズムにこだわるようになるのは当然のことであったように思う。
そんな中で、ハロプロ演劇概論①でも触れた、コロナ禍でのモーニング娘。との出会いがあり、つんく♂とハロプロメンバーのレコーディング映像を観て、「演劇すぎる!!!」と衝撃を受けたのである。
私が脚本や演出でこだわり、意識していることが、つんく♂によってより明確に言語化され、強化されるようになった。
本当に偉そうなことを言ってしまうが、「つんく♂も同じことを考えていたんだ!!」と思った。
前述の通り、私は8ビート、とか16ビート、は単語としては知っていたけどそれを特別考えたり意識していたわけではなかったので、「そうだ、私の演劇も16ビートなのだ」と再認識、言語化するに至ったのだ。
これは演劇ではよくある演出の指摘ではあるのだが、動きや台詞の間には『間(ま)』というものがある。
この『間』は、ほとんど指定しない演出家もいるが、かなりそれぞれのこだわりが如実に出るところだと思う。
私はというとかなりこだわる方で、「頭に2あけてください」「やっぱり1.5にしてください」「5、待って息吸うくらいで言ってください」など、かなり細かいので、そこにあまり普段こだわらない俳優だと、ちょっと大変かもしれない。
でも、私が実現したい劇世界では、その0.5の差が大きな違いを生むのだ。
とはいえ、まったく間を指定しないところ(つまるところ、その俳優が持つリズム感に任せる)というところもある。その余地を残すのが私は好きである。
何がやりたいのかというと、これはクリエイションごとに毎回俳優の皆さんには伝えているのだが、「リズムや音を指定することで、世界を狭めたいのではなく、その中で自由に遊んでもらえるように、伸び伸びしてもらえるように指定している」ということだ。
最初は指定が多いのでかなり大変かと思う。だけど、そのリズムに慣れてくると、そのリズムの中で遊べるようになってくる。無限の余地を感じられるようになる。
もはや「他人が与えたリズム」ではなく、それぞれの「自分のリズム」に変貌した瞬間こそが、戯曲が私の手を離れ、俳優のものになった瞬間なのではないかと思うのだ。
私は、つんく♂の『16ビート』とは、つまるところこういうことがやりたいのではないか?と思う。
全ての拍を立たせることで、それぞれの音に無限の幅を持たせようとしているのではないか?と。
あとは、私は稽古中、音の指定をすることも非常に多い。
「え↑?」ではなく、「え↓?」にしてください、とか、「あら、」ではなく「はら、」にしてください、とか。
これは、事前に脚本段階で決まっていることもあれば、その場のグルーヴで思いついて指定することもある。
これも、つんく♂のレコーディング映像を観た時に、その場その場で歌い方、音を歌い手から生まれるその場のグルーヴで決めて行くつんく♂の進め方に通じるものがあるのではないか、と思っている。
つんく♂は基本的に、声帯摘出手術をするまでは、自分の手がける楽曲については全て自分で仮歌を歌ってつくることで有名である。
それもあって、それを聴いたハロプロメンバーは、手本通りに歌うわけなので、自ずとつんく歌唱を身につけることになるのだが。
私自身も、脚本を書いていると、最初は自分の声、音、リズムでしか再生されないのだが、稽古を進めて行くと、俳優自身が持つ感覚、グルーヴに合わせ、自分では想定していなかった音やリズムも生まれ、本番が近づく頃には、もう自分の声ではなく、俳優たちの声でしか再生できなくなる。
私はそうなるのがすごく好きだし、どんなクリエイションも最終的にそうなることを望んでいる。
つんく♂もきっと、そういうことを望んで曲をつくっているのではないかな、と、私の勝手な推測だが、考える。
だから、私の演劇論においてハロプロは欠かせないのだ。
と、いうところで、ここまでの内容を踏まえ、如実に『つんく歌唱とは何か?』ということを感じられる曲を1曲、語っていこうと思う。
Berryz工房『スッペシャル ジェネレ〜ション』
歌詞:https://www.uta-net.com/song/25782/
最初の歌紹介なのに、モーニング娘。じゃないんかい。というところだけど、この曲が一番最適ではないか?と思ったので紹介したい。
Berryz工房といえば、の代表曲である。
冒頭、またラストの「スッ!ペッ!シャッ!ルッ!ジェネレ〜ション!」の全力コールは、鍛え抜かれたハロオタ達の特権だ。
ひとまず、聴いたことのない方は一旦聴いていただきたい。
そして、2、3回と続けて聴くたびに、この曲の異様な雰囲気に虜になることであろう。
つんく♂は基本的に、手がける楽曲に大体元ネタがある。
ビートルズから引用されることが多い印象だが、有名なロック、ファンク等にはじまり、あらゆる楽曲を様々にオマージュすることが多い。
だが、コメント欄に『この曲は何にも似てない』と書いている人がいて、確かに、と思った。
音楽ジャンルとしては、(なんと言ったらいいのかはわからないが)突飛なものではないように感じるし、こういった曲調の曲は他にも存在するように思うのだが、明確にこれだろう、という類似している曲が思い浮かばないのだ。
いろいろ調べていたら、こんなブログを見つけた。
北海道のハロオタの方が運営しているブログで、ハロ曲の元ネタや、空耳、レポート等、さまざまな視点からアプローチされており、非常に素晴らしいブログであった。そうそう、こういうのが見たいんだよ!と大興奮。ぜひご覧いただきたい。
しかし、この中にもスペジェネのことは特に書いておらず。
つんくオフィシャルWebサイトのコメントには、つんく♂本人がこのように書いている。
『日本人が親しみあるリズム』。。。なるほど〜。
それってどういうことなんだろう?強いて言えば、パラパラが日本のギャルに流行ったみたいなこと?
そもそもパラパラはヨーロッパのユーロビートに合わせて踊るということらしいので、つまりどういうことだ?とは思うのだが、なんとなく、この記事を書きながら何回もリピートしているうちに、北島三郎『まつり』的なことではないか?と思い至った。
『まつり』をアップテンポにすると、スペジェネが現れるような気が。。する。
どうでしょうか?
(『10人祭』についてはいずれ触れるつもりですのでご安心を。また、美空ひばり『お祭りマンボ』の要素も多いに入っていると思うが、『お祭りマンボ』はこの曲に限らず、色んなつんく♂曲にエッセンスが入っているのではということを思った。)
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5/28追記:1日経って、『まつり』は確かにそうだけど、山本リンダ『どうにもとまらない』の方が、かなり元ネタに近いのではないか?と思った。
イントロを改めて聴くと、『スッ!ぺッ!』と入れたくなる感じが凄い。
つんく♂の『日本人が親しみあるリズム』とは、往年の歌謡曲や演歌のエッセンスのことを指しているのだろうなと思う。
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さて、この曲を聴いていただくと分かるのだが、それはもうつんく♂歌唱バリバリである。
前述した、『大きなくりの木のしたで』のつんく歌唱verが決して大げさではないことも、お分かりいただけるのではないだろうか。
Aメロの『イラ イラ くるなぁ』からさっそく、
『イラーァ↑? イラ、ァ、ン、くぅるぅなーぁ』である。
そもそもこの曲がすごいのは、まずタイトルの『スッペシャル ジェネレ〜ション』からである。
スペシャル ジェネレーション、ではなく、スッぺシャル ジェネレ〜ション。
このタイトルは、この歌唱を前提としてつけられていることがとてもわかりやすい。
この目を引く特徴的なタイトルもあり、『スッぺシャル』という言葉は何かにつけてBerryz工房の代名詞のようになった。
この時のBerryz工房のメンバーは、皆ほとんど中学1年生くらいの年齢なのに、このほとばしる色気と貫禄は一体なんなんだろう。
最年少の菅谷梨沙子に至っては当時11歳である。それをしてこのメインの歌割り、表現力…。
みんな、大人っぽいとかじゃなくて、もはや一種キマりすぎている。
特に、夏焼雅と須藤茉麻に関しては、身長の低い20代の女性だと言われてもなんの違和感もない。
サビの『スッぺシャル ジェネレ〜ション LOVE』、(歌を聴くと、「スッぺシャル ジェネレ〜ション ロ」としか聴こえないのも凄い。あえてやっているのだが、すごいと思う)つんく♂のコメント『彼女達の鮮度』とあるように、スペシャルジェネレーション=特別な世代、今この世代を生きる彼女たちだけの、特別な愛、ということなのだと思う。
サビ『100万年過ぎたって この愛は ゆ・る・ぎ・な・い』
これをはっきり断言できる強さ。
だいたい同じ時期のリリースであったモーニング娘。おとめ組『愛の園』も、100年、1000年経っても私の気持ちは変わらないと歌っているので、それもすごいのだが、100万年って長すぎる。
サビ『地下鉄の中だって 過去よりも あ・い・し・て!』
地下鉄の中?と思うんだけど、もはやわかりました!としか言いようがない。
そうだよね。地下鉄の中でもなんでも、愛して欲しいよね。
また、サビのダンスは、つんく♂がスペシウム光線をイメージして振付家にお願いしたとか、なんとか。
『スッぺシャル』と『スッペシウム』のシャレということで、つんくらしい。
(そう言われると、青と白の集中線みたいな背景、なんか昔の特撮みたいにも見えてきたな…)
2番Aメロ『会ったら 会ったで どこに行くでも ダラ ダラしてる
私が決めなきゃ なんも 始まんない』
これ、わかる〜。
恋人と会って、何食べるか、どこ行くか、結局ダラダラして決まるまでに時間かかって、じゃあもうここね!ってこっちが言わないと、決まらないのにやきもきする感じ。
というかここの、熊井ちゃん(熊井友理奈)の『わたちが決めなきゃ』が可愛い。完全にわたちって言ってる。
2番Aメロ『押したり 引いたり なんて器用に する 事 出来ない
まっすぐ行くだけよ』
この歌詞を、ももちこと、嗣永桃子が歌ってるのが非常に良い。
つんくは、割と歌詞と歌う本人をリンクさせる(演劇で言うと当て書き的な)ことが多いんだけど、まっすぐアイドルを最後まで貫いたももちが歌うことで非常に説得力が出る。
歌唱力的の高さもあったと思うけど、まだ幼いももちにこの歌割りをあてたつんく、さすがだな〜。
(余談だが、私は最近やっとベリに詳しくなってきたので、なにぶん『ももち』呼びに慣れてしまっていることもあり、『桃子』呼びをしたくても逆に申し訳なくてできないという葛藤がある)
2番Bメロ『An! Hold on my love』
サビ直前のこの部分。歌詞を見ずに聴いて、なんと言ってるか分かる人は何人いるのだろうか。
「ほのまら!」と聴こえることで有名だが、それを踏まえてもやはり「ほのまら!」としか聴こえない。おそらくレコーディングの際、つんく♂があえてそう歌うように指示していると思われ、この「ほのまら!」が持つ求心力に私たちは抗えない。
2番サビ『池袋 過ぎたって この愛は え・い・え・ん』
はい?と思った次の瞬間には納得させられてしまう。これぞつんく♂の歌詞だ。
1番サビで『地下鉄の中だって』と歌っているので、そこからの続きで、地下鉄とは丸の内線のことだったのだろうか?
今後、紹介していく中でも触れると思うのだが、つんく♂の歌詞、特にハロプロに提供した楽曲には、地名として原宿が頻出する。なので、池袋ってけっこう珍しい気がする。
また、ハロプロ楽曲の公式YouTubeのコメント欄には、つんく♂の曲に語彙力を鍛えられた文豪たちがいるため、いいコメントも引用していこうと思う。
また、この曲もだし、今後紹介する曲たちもほぼそうなのだが、つんく♂が手がける曲のほとんどは、つんく♂自身がバックコーラスや合いの手、ラップ等を担当することが非常に多い。
「つんく♂がうるさい曲は良曲」というハロオタ内の通念があり、実際それはほとんどそうなのだ。
ハロメンたちの魅力的な歌唱の裏に、つんく♂の効果的なバックコーラスが入る事で、歌に重みが出て、それが更に人を惹きつける要因になっている。
ぜひ、この曲も含め、イヤホンでじっくり聴いて、つんく♂の歌声も堪能してほしい。「歌いすぎだろ!」となるので。
しかし、それが本当につんく♂らしくて大好きだ。心根が、目立ちたがりの大阪ボーイでありながら、それが実際に音楽的な説得力をもたらすロジックを理解しているから、こちらは納得するし、実際にそれがないと音楽的に物足りなくなることもすごくわかる。
とはいえ、「俺も歌ったろ!」とも、少し思っていそうなところが、本当に愛らしくていいなあと思う。
というわけで、やっと曲の紹介ができた。
次回からも、様々な曲を、様々な視点から深掘りしていきたい。
どうぞ、お楽しみにお待ちください。