苦労話
女、公園のベンチで昼食のパンを食べている。
あ。…あ。いやあのすみません急に。あの。あ、はい、あそこのカラス。え、見てました?やっぱそうですよね、見ちゃいますよね。あれね、何食べてるんでしょうね。一瞬えってなりましたよね?(笑う)なんかお互いえってなった空気感じましたもんね今ね。あれ本当なんでしょうね。なんか、え、臓器?ですよねあれ。なんか見た瞬間気持ち悪すぎて、一瞬脳が画像の受け取りを拒否しましたもん。(笑う)ね。え、なんか他の生き物なのかな。カラスもお昼ご飯なんですかねー。え、あ、いや、ふふ、私も昼休憩中なんで。なんかあんな気持ち悪いもの見てるのに食べるのやめないんかいって感じですけど。お腹すいちゃってすいちゃって、カラスくらいじゃ抑えられないくらい食欲やばかったんですよ今日。え、あ、普通の事務職ですよー。えっと?(手で質問を促す)あ、え、コックさんなんですか。あ、すごいですね。え、料理長。へーすごーいえ、どこの、あ、えー銀座?あっすごーい。(笑う)さっきからすごいしか言ってないですね私。え、今日お休みなんですか。あ、そうですかー。やっぱり大変ですよね、飲食業って。休みバラバラですもんねー。私も学生の時飲食でバイトしてて。はい。あ、スパゲッティ屋さんで。あ、ホールですけどね。あでもね、ホールなんだけど、キッチンに入ったりもしてました。いやいや、すごくはないですよ。ホント、人手足りてなくて、やるしかなかったっていうか。バイト足りない時とかもうワンオペの時とかありましたもん。いや本当ですよ?でもなんかやってくと慣れてくるっていうか、身体がその店の形になっていく感じっていうか。んーなんていうのかな、お店の構造とか、フライパンとか、トングとか、全部自分の身体の一部になっていく感覚があるんですよねー。あ、ですよね。分かりますよねー。で、お客さん入ってきて、もう入ってきた時点で先に麺を計っておくんですよね、普通盛りが120グラムなんですけど。え?あ、麺は1.6ミリのやつだったかな?うん、で、来店してー、そのお客さんが、女性二人組だったりすると、二人分計っておくわけですよ。あでもね、迅速な仕事をするために、今までのバイトをしてきた膨大な歴史から得た統計で、女性二人なら、まあだいたいとりあえず240グラムってするわけですけど、もちろん、女性だから大盛りじゃないだろーとか、そういうのは全然思ってなくて。ホールにいるときも結構気にしてて、そういうの私。大盛りと普通盛り頼んだ人がいて、それがカップルだったりして、お料理運んだ時に、必ず大盛りご注文のお客様ーって、聞きますもんね。分かってても聞くようにしてます。え。うーん、そうかな。いやでも、気にする人は気にするし。まあでも大事ですよそういうの。でね、そんな感じでもしかしたら大盛りの可能性もあるよなって思いながら、注文もらう前に麺を茹でておくか迷うわけですけど、これも長くバイトをしてきて洗練された感覚ですけど、もうなんかこの人大盛りっぽいなとか、普通盛りっぽいなとか、その人の雰囲気だけで分かるようになってくるんですよね。しかもそれ大体外れないし。なんかもう究極、来店してどこの席座るかってとこまで予測できるんですよ。(笑う)あ、やっぱありますよねそういうの。ねー。でもう、忙しくなってくると完全にもう五感が研ぎすまされていって、お料理作りながら、フライパンの中でガーリックをちょうどいい色にするのに火の加減を調節しながら、サラダつくりながら、視界の端で、あ、あのお客さん注文そろそろだなーって思って、で、また視界の端で、あーレジに人来そうだなって思って、だからガーリックの火を止めて、サラダをつくり終えて、提供できるように出しといて、で、レジに行く道すがらお客さんの注文とって。で、もう伝票にも書かない。(笑う)そう。記憶しておくんですよね。で、そのままレジに入って。お会計して、戻って、お料理作って。みたいな。いやホントよくやってたなって感じですよ。今でも覚えてるレシピとかあるし。(間)カラス、だいぶ食べましたねー。なんかもうグチャグチャですね、土とかめっちゃついてますしね。でも気にならないんだろうなカラスだから。あ、というかお昼まだですか?あ、もう。え、家で自分で作ったりするんですか?あ、いいなー。普段料理作ってると家で作るのも美味しいんでしょうね。いや、一般人の適当とはまたレベルが違いますよ絶対。(間)え?え、あー。えっそんな急にですか?(笑う)いやいきなりお邪魔しちゃうのもな。え、連絡先ですか?あ、うーん。はい、いいですけど。あ、ラインやってないんですよー。え、カカオトークですけど。まあ確かにいないですよね。え、なんていうか、うーん、緑より黄色のほうが好きなんですよ私。(間)え、なんですか?(笑う)わ、出たー。私すぐ変わってるって言われるんですよー。いややっぱりじゃないですよー。いや普通ですけどねいたって。超普通ですよ。(少しの間)あ、出身ですか?千葉です。あ、そうです。赤い犬のー。えっと?(手で質問を促す)あ、岐阜ですかー。岐阜ってなんだろ何があるところだろ、すみません疎くて、あ、下呂温泉。下呂温泉って岐阜だったんですねー。あ!わかった、あのー、あれですよ、あのー、人形?みたいなのありますよね?前掛けしてるやつ。あれって岐阜でしたよね?え、ありますよ。絶対ある。あのー、絶対名前聞いたらわかりますよ。あのー。あー思い出せない。悔しい。(相手がスマホで調べようとするので)待って!こういうとき、すぐ調べずにちゃんと思い出して脳を活性化させるんですいつも。そうすると思い出したときドーパミンすごいんですよ。あ、ドーパミンは快楽物質のことで。え、聞いたことありません?ドーパミン。うん、んー、まあアドレナリン的な、あれで大丈夫です。えーなんで思い出せないんだろう、ぼ、ぼば。ぼばぼ。なんかぼばぼみたいな。おべべ、みたいな名前なんですよ。ばばばみたいな。(相手につられて笑う)あ、あー。へへ。もー悔しいな。どうでもいいときは頭にすぐ浮かぶのにな、あれ。(少しの間)あ、いや、一人暮らしです。んー、実家あんまり帰らないかな。家族ともそんなに仲良くないから。え?全然ありますよ家族と仲悪いの。いや常に喧嘩してるとかじゃないですけど、なんか好きじゃないなーみたいな。いや、家族って他人ですから。うーん、冷たいかな。いやでもきっといますよ、探してみると。周りにもそういう人。うち、祖母がいるんですけど。なんか動かなくてずっと。あいや寝たきりとか病気とかではなくて、無趣味で無気力というか。ずっと仕事をするために生きてきた人だから仕事がなくなったら本当にやることなくなったみたいで。で、そういうフラストレーションをすごく家族にぶつけてきてて。でもホントはめっちゃ寂しがりだから、他をはねのけるような発言をするのに、それは構ってほしいからで。そういうちぐはぐさが私は昔からすごくイヤで。はい。あでもね、この歳になってそういう祖母の気持ちも分からないでもないっていうか、そう思うようになって。ちょっとショックだったんですけど。あ、すみません、うまく言えないんですけど。んーやっぱ、すごい、怖い、怖いっていうか、一緒にいるはずなんだけど、いつのまにか違う方向を向いちゃってるというか、それがすごいなんか悔しいっていうか、なんの齟齬もなく大丈夫ってことって実は絶対あって。ないように見えるけど絶対あって。でも私だけは大丈夫になれないっていうか、大丈夫になれるまでに沢山時間が掛かりそうで、それを私はすごく承知してるんだけど、それを周りは承知してない、ように見える、のが悔しい、というか。腹立っちゃうっていうか。そんなこと別に気にされてないのわかるけど、でも大丈夫さをまざまざ見せつけられてる自分がいて、誰もそんなこと知らなくて、だから私も頑張って知らないふりして、私は絶対おばあちゃんみたいにならないって、気をつけてるから、誰かに怒りや憎しみをぶつけないように、いい人であれるように、正しくあれるように、いる、というか。(間)あは、ごめんなさい分かんなかったですよね、うん、でも全然こうして元気なんで大丈夫なんですけどね。楽しいことももちろんいっぱいあるし。(間)んー。疲れる、けど、でも私は、こういう感じで生きてきてるから、だからこういう自分で生きていくしかなくて、(間)はい。頑張って、ます。(笑顔のような顔)あ、一人暮らしですか?あ、実家。あー、いいですね。あいや、生活費とか。浮いていいなーって。あ、へー。そうなんですね。分けてるんだ。それは、めっちゃ素晴らしいです、本当に。
…あの。やっぱり、連絡先交換してくれませんか?ライン、インストール、するんで。え、言いません?インストール。その、アプリとかを携帯やパソコンに入れることを、インストール、って言うんですけど。いや、普通に使いますよー。(間)あ、そうなんですね。はい。じゃあ、また。あー、だいぶ引き止めちゃってごめんなさい。いえいえ、こちらこそ楽しかったです。また、はい、どこかで。
長い間ののち、泣きマネをする。
えーーーーん。えーーーーん。えーーーーーーーーーん。えーーーーーーーーん。えーーーーん。えーーーーーーーーん。えーーーーーーん。…………。(泣きマネをやめる)
女、その場を去ろうとする。
ふと、立ち止まり、
…あ、さるぼぼだ。さるぼぼ。さるぼぼ。さるぼぼだ。
携帯を取り出しかけて、連絡先を知らないことに気づき、しまう。
もう追いかけられる距離にはいない。
あ…カラス、いなくなってる。
終幕。