あこがれの人
先日、43歳にしてバイクの免許を取得した。
教習は山あり谷あり、加えてコロナ禍の急な休校やら自粛という名の自宅待機、旦那の単身赴任などに振り回され難航を極めたものの、優しい教官たちに支えられ何とか免許取得まで来ることができた。
「なんでその年でバイク?」とよく聞かれるけれど、それは
「あの人みたいになってみたい」というあこがれの気持ち。
長男の幼稚園で出会ったあの人は、旦那の同級生。ロングヘアにフルフェイスのヘルメット。後ろに娘ちゃんを乗せて幼稚園まで連れてくる。
誰とも群れない、それでもいつも笑顔の素敵なママさんだった。
人の縁とは不思議なもので、濃い付き合いと人生に及ぼす影響は、必ずしもイコールとは限らないと思っているが
私とそのママさんとの縁も、多分そうだったのではないかと思う。
とにかく素敵に見えたのが、その答えなんだろう。
当時の私は「群れない」という選択肢をとれず
とにかく「付き合い」に疲弊していたように思う。
その中でなんとも異質に思えたママさん。
誰とも群れない。その中に悩みがあったのかもしれないけど
それを微塵も見せることなく、娘さんに対しても先生に対しても、いつも笑顔だった。
自分にないものを持っている人に対して抱く感情は「嫉妬」だというのが常であると思っていたのだけど、突き抜けていると「嫉妬」ではなく「憧れ」になるのだなぁと気付かせてくれた。
そこから10年以上が過ぎて、会うこともなくなったけれど
私が感じた「憧れ」は色あせることなく
多少の自由が利くようになったこともあり、思い切って教習所の門を叩く勇気を出してみたのだ。
私はきっと、彼女のようにはなれない。
凛とした佇まいとは無縁だし、太陽が輝くような笑顔も中々出てこない。
やはり、20代の時とは違う。
でもその代わりに、おひとり様を楽しむ余裕ができる年の功のようなものは得ることはできたと思う。
日々の生活をどのように楽しむかという、自分なりのスタイルはそれなりに確立してこれたはずだ。
私が相棒に選んだのは、上の画像にある赤いバイク。
赤を選ぶときの心理状態は、何事も積極的に、気力も体力もエネルギッシュに活動できる時なんだそうだ。
こんな自分にも、意外と気力が残っているのだろうかと
ちょっと可笑しく思う気持ちもあるが
「バイク人生」という新たな1ページの始まりに、心を躍らせている自分の心の中は、きっと20代の頃と何ら変わりはないのだろう。
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