人生は運ゲーか否か(958文字)
未だ何者でもない私ですが、少し人生について書かせて頂きます。
―人生は運ゲーだろうか。
私は人生はくじ引きだと思う。
例えるなら私たちは1-100までの100種類のカードが入った箱を生まれる直前に渡される。
だけどその箱には全ての文字が均等に入ってる訳じゃない。
"とても良い"カードの100は少ないし、
"とても悪い"カードの1もあまり入ってない。
"普通の"カードの50付近は結構入ってる―――。
まず私達が生まれた瞬間。
個人の才能や住んでる地域、家庭、その他様々な要因で、カードが奪われる。大半の人はここで"良い"カードばかりが奪われてしまうだろう。
その次に幼少期に入って何をしていたかでまた色んなカードが奪われる。
スポーツ、音楽、その他感覚。
数えればキリがないが幼少期の過ごし方が重要な物も多くある。
少し成長して思春期。
この頃から自分で何をしたいのかで選択が変わってくる。ただし、選択の度に大量のカードを奪われる。何も努力せずただただ日常を過ごせば"良い"カードは次々に無くなってゆく。
私たちが引けるカードが少し渋くなった。
人生において1番大切とも言える青年期。
この頃からようやく多くの人がくじを引き始められる。だけど急げば急ぐほど"良い"カードの枚数も"悪い"カードの枚数も多くなる。
日本では多くの人はここで勉強によってどのカードを奪われるか決定する。
自分に甘えれば"良い"カードばかり奪われるし、逆に選択次第では"悪い"カードや"普通"のカードを捨てられる。
そうして遂に絶対くじ引きをしなければならない時期がやってくる。
そこまでの結果で当たりを引ける確率は変わってくる。人によってはそもそも当たりなんか入ってないくじを引く事になる。
―人生は運ゲーと言う人は、努力しましたか?
「環境が。」とよく言いますが、本当に何も出来ない状況でしたか?本当に"良い"カードを減らさない努力をしましたか?
私はこのくじはある程度引き直せると思う。
箱の中に当たりがいっぱい入ってれば、ハズレを1回引いても引き直して当たりを引ける。
けれどそもそもハズレしか入ってないくじをいくら引き直しても当然当たりは出ない。
絶望し、環境を恨む前に見直す所がある人間の方が多いと私は思う。
「今、あなたの箱には"100"のカードは入っていますか?」