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危篤状態の祖母のお見舞いで

こんにちは、フミです。
ポカポカを通りすぎて「え、4月って春だよね?夏じゃないよね?」って思う今日この頃。桜もあっという間に散ってしまった2023年の春に、とても苦しい体験をしました。

3月の半ば、母から一本の電話がありました。

「おばあちゃんが危ないかもしれない。会いに来れる?」

わたしの祖母は昨年(2022年)の冬頃に心不全で入院、その後医師から胃がんと診断されて手術をしていました(詳細は省きますね)。がんは無事に取り除けたとのことだったのでひと安心…としていた矢先、体調が急変したとのこと。状態はどんどん悪くなり、「痛い、つらい」「もう治療せずに死にたい」と言いながら顔を歪めて痛みに耐えるばかりになってしまったそうです。

わたしにとって本当に大切で、とっても大好きな祖母。昨年の10月に電話をしたときには、いつものように明るい声で「元気にしてる?身体に気をつけてがんばってね」と応援してくれた祖母。

「半年前あんなに元気だった祖母だもの、きっと大丈夫。きっとすぐ元気になる」と自分に言い聞かせ、「祖母に会ったらどんな話をしようかな、あれも言いたいしこれも言いたいし…」と、”お見舞いイメトレ”をしながら病院に向かいました。



けれど、”お見舞いイメトレ”はなんの意味もありませんでした。

病室に入った瞬間、ドラマやドキュメンタリーでよく目にした、病人に明るく声をかけるお見舞いなんて、あんなの嘘だと思ってしまいました。少なくともわたしにはそんな”理想的なお見舞い”はできませんでした。

変わり果てた祖母の姿に喉が詰まって言葉は出ず、代わりに涙ばかり出てきました。まるで別人のような祖母を見て、わたしはその場に立ち尽くしてしまいました。もうほとんど話せなくなった祖母は、母の呼びかけにただうなずくだけです。瞳は動きますが、わたしたちのことを認識しているのかわかりません。

「もう、わたしのこと、わからないのかもしれない…」そう思ったとき、祖母がわたしに向かって腕を伸ばし、わたしの手を握って言いました。

「ありがとね」

涙があふれて止まりませんでした。半年前に電話越しで聞いた、わたしが知っている祖母の声ではなかったけれど。かすれて、今にも消えてしまいそうな声だったけれど、わたしの目を見て祖母はそう言ってくれました。

「またくるね、またね」

わたしはそれしか言えませんでした。絶対また会える、元気になったらまた一緒に旅行できる、そう思って発したこの言葉が精一杯でした。

“言葉が出ない”なんてよく言うけれど、わたしはこのとき初めて、本当の”言葉が出ない”を体験した気がします。


わたしが病室に訪れたわずか5日後、祖母は亡くなりました。葬儀で祖母を見送るとき、わたしはまたあのときと同じように言いました。

「またね」

祖母の棺の中には、祖母が大事にしていたという写真が入れられていました。それは、母の腕に抱かれている、生まれたばかりのわたしの写真でした。

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