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常識と共に俺は心中するつもりだ

あけましておめでとうございます。
noteを始めてもうすぐ4か月。
今年も素直に書いていけたらと思います。
よろしくお願いします。

日々いろんなことを考えてしまう。
何故こんなに次から次へと考えることが湧き出てくるのか不思議である。

自分の中で
(当たり障り無い)いい人vs素直に自己表現する人
どっちが良いのか戦い続けている。

どっちが良いのか毎日変わるし、
1日のうちでも何度も変わる。
これは一生続くんだと思う。

誰かと関わり続ける限り
自分がそうしようと思っていなくても
私は誰かを傷つけてしまうし
誰かに傷つけられるんだろう。

だとしたらいっそのこと
心を閉ざして、自分の考えていることを開示せず
過ごしていくのも良いと思う。

でも結局我慢できなくて
自分の考えていることを伝えたくなってしまうのは
自分の存在を認めてほしいんだと思う。

noteを書くようになって
「私ここにいますよ」
「私のこと分かってほしいです」
「それ私も知っていますよ」
って想いが強すぎる自分に驚いた。

私は承認欲求が強いし、知識を自慢したいのだ。
前から注目していた人がブレイクすると
嬉しくなって自慢したくなる。

クイズ番組など家族で観ているときに
特に得意な音楽のクイズなど正解すると
ドヤ顔を連発してしまう。

日常の会話でも若い人と話していて
私が有名だと思っていた芸能人を知らないと
「こんなことも知らないの?」思ってしまう。

人の思いは十人十色なのに

まるでこの知識を知っている自分が
えらく思えて誇らしく思うことがある。

何様なんだろ…

だから自分が知らないことを
たくさん知りたくなっていっぱい調べてしまう。

いろんなことが知りたくて仕方がないのだ。
自分が知らないことが許せないのかもしれない。

新年一発目の投稿が、
とにかく自慢したい、凄いって言われたいという
どうしようもない内容になってしまった。

題名の言葉は
以前も引用したエレファントカシマシの
「シャララ」の歌詞の一部である。

私はこれから常識と共に心中するつもりだ。

普段は自分を偽って
なるべくは当たり障りの無い人で
過ごそうと思う。

せめてnoteの中だけでは
弱くて自信のない自分の存在を認めてほしいがために
今後も少し自慢させてもらうことがあるかもしれません。

まったくよ
うまくいかねえよ
この世の暮らし 俺の暮らしは
ただ漫然と時は過ぎた
またぞろ一つ年を重ねた
つれづれと日々楽しみて
つれづれと日々悲しみて
日が暮れた、夜になったよ
またぞろ一つ年を重ねてた
見ろよ今日も高き太陽が俺達を照らす
ああ忘れ去られたり
朝焼けの中立っていた
熱き血潮燃えていた

俺のよ
人生はよ
朝 目が覚めた 夜 疲れて寝たよ
まったくもってしょうがねえ
熱き想いのこみあぐる日々は
優しき家庭の姿が去勢の砦(とりで)
ああ忘れ去られたり
朝焼けの中立っていた
熱き血潮燃えていた
朝焼けの中立っていた
熱き血潮が燃えていた

見ろよ 暮らす世々の姿
思え 曙光の時を!!

ああ見ろよ今日も高き太陽が我等を照らす
ああ忘れ去られたり
朝焼けの中立っていた
朝焼けの中立っていた
熱き血潮燃えていた
朝焼けの中立っていた

打ち過ぎる日々暮らしていたよ
思え 曙光の時を

曙光 エレファントカシマシ

1992年にリリースされたエレファントカシマシ5の
収録曲「シャララ」と「曙光」

何度もこの曲に戻ってきます。
いつもエレカシには支えられています。

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