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心が凪

先日、子どもたちとボールプールに行く予定だったが
思い立って城跡へ行った。
車で家から20分と近場の異世界である。

お城を作る場所は「本当にここしかないな」という場所が選ばれていて、昔の人はすごいなと思う。

急な石畳の階段を登り、本丸跡地にたどり着くと
360度に広がる大パノラマ。

登り切った喜びと、
澄んだ空気を吸い込む気持ちよさと
最高のひととき。

今回は長男と次男と3人で行ったので
2人ともすぐ飽きちゃって
滞在時間はとても短かった。

今度は1人で行きたい。
1人で来たら上から見下ろす景色をしばらく
楽しもうと思う。

私が今住んでいる地域は山は無いのだが…

時々思い立って、
綺麗な海を見に行くことがある。

山と海のある田舎で生まれたので
定期的に自然に触れたくなるのだ。

今まで海の近くにしか住んだことがないので
海が見えない生活は考えられないかもしれない。

何でこんなに海に惹かれるのだろうか。
心が凪になる感じ。

紫外線を気にしないで良いなら
海にぷかぷか浮いていたい。
本当に気持ちが良いのだ。

無音で海と一体になって揺れているあの感じが
全てを忘れさせてくれる一方で
何だか大切な感覚を思い出させてくれるような
言葉には言い表せないが
懐かしさで穏やかな気持ちになる。

鯨魚(いさな)取り 海や死にする 山や死にする
 死ぬれこそ 海は潮干(しほひ)て 山は枯れすれ 

万葉集 作者未詳

この和歌が最近とても気になっている。
このフレーズがふとした時に頭に浮かぶ。

現代語訳は
「鯨魚をとる海は死ぬだろうか。山は死ぬだろうか。死ぬからこそ海は潮の引くことがあり、山は枯れるのだ。」

昔から日本人は、海も山も生きものであり、生きているからには、死ぬものだと思い、大事にしなければならないと考えていた。
海や山が死んだら、草も木も、魚も鳥も、虫も、人間も死んでしまうものだと知っていた。
その深い「縁」を忘れて、人間はいま、まっしぐらに死に急いでいるのであろうか

山本健吉 ことばの四季 文芸春秋社

生きているからには死ぬものだと思い大事にする。

自然破壊について無知な私でもここ数年の異常気象に対して感覚的に危機を感じる。
過渡期を生きている最中だが、こんなに急スピードで変化し続けていて、死に急いでいるなと感じる。
次から次へと私は何を急いでいるんだろう。
何でこんなに追われているのだろうか。

無いものねだりだが、
ずっと昔の万葉集を作っていた時代の人たちが
うらやましいような気もする。

このままじゃ壊れてしまうのも時間の問題だろうな。

おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

私は時折 苦しみについて考えます
誰もが等しく 抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病いの苦しみと 死にゆく悲しみと
現在の自分と

答えてください
この世のありとあらゆるものの
すべての生命に 約束があるのなら
春は死にますか 秋は死にますか
夏が去る様に 冬が来る様に
みんな逝くのですか

わずかな生命の
きらめきを信じていいですか
言葉で見えない 望みといったものを
去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で

おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に 限りがあるのならば

海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な 故郷もみんな
逝ってしまいますか

海は死にますか 山は死にますか
春は死にますか 秋は死にますか
愛は死にますか 心は死にますか
私の大切な 故郷もみんな
逝ってしまいますか

防人の詩 さだまさし

どこで知ったか覚えてないけど
数十年前から時々口ずさんでいる曲。
幼いながらに強烈だったのだろう。



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