心の距離をとる
姑へのイライラを収めようと、格闘する日々。
自分に向き合い、そうして見えてきたことは、姑に対する心理的距離が近いのだということ。
深く踏み込み相手をしているのは自分なのだ。
アルコール依存症の家庭で育っているので、共依存になりやすい自分。原因は、私の方にもあった。
今まで、私の姑に対する距離感がおかしかったのだ。
「もう、高齢者だから、すべてお世話しなくてはいけない。」
「信じられないような暴言を吐かれても、弱い高齢者が言ったことだ、咎めず、すべて流さなくてはいけない。」
私が持っている、アルコール依存症の家庭環境で培った強固な信念が見えてきた。
「私は、自分を犠牲にして、人の役に立たなくてはいけない!!」
18年前に、アダルトチルドレンからの成長に取り組み始め、今に至るが、なかなか共依存からの脱却は、歩みが遅いのである。
また、自分が楽になれるような距離感を保てるよう取り組んでみよう。
姑が心配で、イライラしながらも離れられないのは、アルコール依存症のまま胃がんで亡くなった父への消化できていない思いがあるようだ。
父を幸せにしたかったのだ。モラハラ父だったのに。
姑もモラハラしてくるけれど、私は、数日するとケロッと忘れてしまう。姑も幸せにしたいと思ってしまう。
大人の自分は、「人は、自分が変わろうとしなければ変わらないし、自分で幸せになろうとしなければ、幸せにならない。」とわかっているのに。
まだ子供のままの自分が心の中にいて、
「私が、なんとかしなくては。きっと、自分が死ぬほど犠牲になれば、代わりに幸せになるはずだ。そうするのが、私の役目。」
なんてふと思ってしまう。
だめだめ、共依存に戻ってしまう。
少し、自分の心の傷にも取り組んでみよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?