あなたとそれ
生きる意味よりもずっと奥に問題があって、
そもそもの既存の社会構造が
初めのうちは既得権益から成る腐って崩壊している筈なのに見かけはビルのような綺麗な制度だと思っていたけれど、何も生産すらしないただの一学生がそのことを指摘するということは正しいようで少しずれていて、そう思っていたけれど、安倍襲撃事件とか統一教会とか治安の劣化とかをみるとやっぱりおかしくて
そうしたシステムを前提にして、批判する大きい団体が機能していない事が問題で、
なのに世の中は合理性とか効率性みたいな経済的価値に帰着するようなものばかりを第一に正しいことにして、数学ができるとか法律ができるとかバトルフィールドで戦闘力がある戦士を大人や地域、世間が知らずの内にも真面目にも求めていて、
本当にごく少数の生活保護不正受給者を叩いて本当につらい存在すらも貶めるそんな世間はうんざりしていて卒論を書く動機にはなったけど、
弱者に対してはお前が悪いと見捨てる世の中で、本当の友達なんてそうそう見つからないし
自分にメリットが無い人とは付き合わないとか真っ直ぐ恥ずかしげもなく利己を前面に押し出して、他者に対して経済的に、客観的に価値があることを求めて接している人には本当の意味での友達なんて出来なくて、
友達がいっていた「アスカはアスカ、それだけで十分さ」はまさにそうで、あなたはあなただからいいという私と貴方の関係が成り立ってこそ輪郭と質量を感じることができて初めて友達になれると思っている
だから例えばだけどサッカー集めの人員としての私というものは、
置き換え可能なそれでしかなくて、こういう孤独を感じるような関係は重みがなくてくだらなくて今っぽいといえばそうなのかもしれない
そんな現代で非合理、情緒的感情に直結するような見えない何かを大切にして生きていくのは究極的にはバランスの取れた利己的な態度であってかっこいいと思います。