普通の日本人

普通の日本人です。 よろしくお願いいたします。

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最近の記事

最後の手紙

 極めて酔っ払っている。 もちろん、酒に決まってる。 当たり前じゃないか。 わたしなんだから。  これで最後にしよう。 人間として、最後に自分に宛てたものとして。  わたしはいま酔っている。 そして限界を突き抜けた。 それはいい。 どうでもいい。  もう、そろそろ、人間として終わる日が近づいている。 いま、どちらかの縁を切らなければならない岐路に立っているところだ。    すべてを断ち切りたい。 そして、解き放たれた楽園へ行きたい。  でも、絶対に切りたくない縁のどち

    • つまんない人生

      しょうもない人生を生きていくしかないんだなと思うこのごろです。 連休明けの月曜日は修羅場から始まる。 身体が思ったほか悪すぎて、受けるはずであった仕事を断る。 先方は発狂して無茶苦茶なことをおっしゃると思う。 従前から目の前の仕事で精神状態が追い込まれてるように見えた。 たぶん、 「では、損害賠償を払っていただきます」 とか平気で言うんだろうな。 ここまでは見えてる。 こんなことは 「でしたらどうぞ。こちらは脅迫と受け取りました」 と返せば良いだけの話しだけど、とに

      • がんばっても幸せはこない。

        荒い性格のわたしでも、一時は綺麗に生きようとしたときもあった。 だけど、結果として何ひとつ良いことはなかった。 荒く生きようが綺麗に生きようが、女の子には嫌われまくるしお金は相変わらずないし。 だから、ついこのあいだから、そのままの姿で何も誇張せず、何も縮小せず生きることにした。 ムカついたら舌打ちするし、おかしいことがあれば呆れたり、人のやらかしをみて性格悪く笑ったり、おいしいものを食べて綻んだりして。 どうせ夢や目標が叶わないなら、どうせ理想とした幸せが叶わないなら、目の

        • サヨナラはしない

           生きていれば、重いも軽いも、酸いも甘いも、出会いがあって、そして、いつか別れがくる。  そのいつかくる別れが、きれいであってほしいと願うけれども、現実はそんなに簡単にいかない。  自分では考えられないころ合いが、相手にとっては「サヨナラをする」ちょうと良いときで、’’仲良い友だち’’と思っていた人は、突然いなくなる。  そのことの意味を後から気づいて、勝手に傷ついている自分が残るだけだ。  こんなわたしでも、いろんな人と知り合うことができた。知り合った経緯なんてそんなこと

          中途半端なスナフキン

          いま恥ずかしいと思うことは、過去の自分が「孤独である」ことを肯定して強がっていたことだ。 最近は、過去の一人芝居を思い出して、恥ずかしくなって「わたしはどうかなってしまえば良い」と思うことが多くなった。 いま考えてみると、わたしはとても中途半端な「スナフキン」だったのかもしれない。 いや、"偽物のスナフキン"…そんな蔑称をつけたいくらいに一人で振り返らずに尖りすぎていた。 こうして強がりに強がり続けて、優しく近寄ってきてくれた人たちをみんな追い払おうとしてきた。 だけど、そ

          中途半端なスナフキン

          今日は好きなことを話しても良いかな。

          自分の仕事や暮らしから関わりのないところで上手くいかないところをみると、 「わたしなら…」 と思ってしまうことがある。 だけど、それは違うと考えている。 みんなそれぞれ精一杯がんばってそうなったのだから、「わたしなら…」を考えてはいけない。 そして、このことをかつての自分に当ててみる。 「あのとき、こんなことをしなければ失敗は防げたのでは」 「あのとき、変なことを言わなければ問題なかったのでは」 「あのとき、やっておけば良かったことがあるよね?」 あとになれば、いくらで

          今日は好きなことを話しても良いかな。

          膨らむお腹

          昔、教えてもらったことがある。 ストレスが溜まるとお腹がどんどん膨らんで息が苦しくなるらしい。 そのことを教えてくれた人のお腹は、いつも以上に膨らんでいた。 お腹だけが膨らんでいて、身体のバランスが悪くなっていたように見えた記憶がある。 そのことを教えてもらって10年経ったここ数週間、お腹の膨らみとそれによる息のしづらさがあり、本当に大変だった。 おとといの夜、ようやく膨らみがなくなって痩せた。 ストレスの原因がとりあえず解けたのが、おとといの夜だった。 やはり、お腹の膨ら

          無理してでも

          自分のなかではまだ間に合うだとか、これから良くなるかもしれないと願ったり想ったりしていることであったとしても、乾いた現実の目で見れば、もう覆りようもなくダメになっていることがある。 自分が気づいていないのか、気づいていないフリをしているのか、気づきたくないのか、そんな過ごし方をしながら絶望に接するときを先延ばしにしている。 だけど、いつかは必ず受け入れなければならないときがくる。 最近は、そのときのためにどのように受け入れようか悩んでいる。 最近、願っていたことがもうダメ

          コンプレックス

          コンプレックスはここ数年で気にしなくなった。 いや、気にできないくらいいろいろあったから、気にしなくなってしまった。 少しばかりシャツが汚れていても、仕事が遅れていても、暮らす部屋が汚くなっていても、気にしなくなってしまった。 コンプレックスを気にする余裕がなくなったのかもしれない。 そして、このことに対して、前向きに考えている。 忘れられるほど、良いことはない。 だけど、いつか余裕ができたら、いろんなことを思い出してしまうだろう。 願わくば、このまま前向きに忙しくなりた

          コンプレックス

          高井戸の煙突

          最近、また東京に行くことが増えた。 朝、小田急に乗っていると、千歳船橋あたりで煙突が1本見える。 杉並区のゴミ処理場の煙突らしい。 この煙突を見ることが辛くなる。 辛くなる理由を言いたくても言うことが出来ない。 言うと、もっと辛くなることがわかっている。 だから誰にも話さない。 「言えば楽になるよ」 この言葉は、自分のなかで言い聞かせてきたけど、けっきょくは何ひとつも効きはしない"魔法の言葉"でしかなかった。 何度も自分に言って騙そうとしてきたし、いろんなところでひと

          誕生日はどうでも良い

          きのう、またひとつ歳をとった。 そして、今日の朝、仕事に出ようとしたら家の鍵を失くして遅刻した。 鍵を失くした原因は、きのう、台風のせいで木の葉が玄関前に溜まってしまい、それを片付けて捨てるときにいっしょに鍵までゴミ箱に放り込んでしまったことだった。 歳とったばかりの日にバカだ。 本当にバカすぎる。 この歳になると、何も変わらないまま老いていく誕生日が怖くなるし、時計の針が午前0時を指したら悲しくなる。 この歳のくせに、何もできてないまま惰性の日々を過ごしていることが怖くな

          誕生日はどうでも良い

          MBSドラマ「先輩、断じて恋では!」は非常に恐ろしい作品です。

           観たいドラマがなくなって、なんとなく気になっていたBLドラマを観始めた。  わたしがBLにハマりそうであることは置いておいて、このドラマには、すごいことがある。  今日から観始めたドラマは「先輩、断じて恋では!」である。  BLゆえに『主人公(先輩)』,『ヒロイン(後輩)』で【2名】が必須なのだけど、この【2名】のメインキャストの選定がどうかしている。 BLをドラマ化すると本当に怖い。 キャスティングで狂わせてくるんだもんね。 『先輩役』たる「柳瀬淳」役を演じる内藤秀一

          MBSドラマ「先輩、断じて恋では!」は非常に恐ろしい作品です。

          吉田拓郎が最後の詞をKinKi Kidsに託した意味

          吉田拓郎が、最後の詞を託す先にKinKi Kidsを選んだことは、本当に意味が大きい。 吉田拓郎を含めて、4人の大物フォーク歌手が1975年に大手レコード会社との関係を切って、フォーライフ・レコードを建てた。 そして、「LOVE LOVE」が始まったころの90年代後半からフォーライフは経営が傾き始めて、「 LOVE LOVE」が放送終了になったところで倒産した。 フォークの激動期から始まったフォーライフは、「極めて『プロデューサー』主義の組織的J-POP」たるビーイング、エイ

          吉田拓郎が最後の詞をKinKi Kidsに託した意味

          クソみたいな人生

           クソみたいな人生だから、クソみたいなところから花を咲かせたい。  わたしは、始まりもせず終わりもしない人間だったし、これからもこうして自分の至らなさを撒き散らしながら仲間を失くして、またひとりきりになるのだろう。  これまで、望みや夢もないのに、絶望や悪夢を見てきた。 明るい夢を見たい。 望みを持ちたい。  いつ来るのだろうか。絶望の朝に、考える。  何のために生きているのか。  話せる人もいない。  不幸自慢をしたいのではない。望むなら、ずっとひとりきりでも、堅く

          クソみたいな人生

          夢を絶望的に終わらせないこと

           夢はあるだろうか。あるなら、もう少しがんばってほしい。  わたしには夢がない。夢はあった。だけど、諦めたからこそ、言いたいことがある。  わたしが考える限りにおいて、みんなの「夢」の9割は叶わないと考えている。でも、1割は叶うことも、同じく言えるんだ。1割は10%だから、これはすごく多いことになる。  でも、90%の人は、夢が叶わない。 「だったら、どうすべきか」 「夢」を"諦めた"わたしから、言わなければならないことがあると考え、わたしの考えを話すことにした。  

          夢を絶望的に終わらせないこと

          もし、宝くじで1億円が当たったら

           夢が叶うことはあるだろうか。願っても願わなくても動かなければ夢は夢のままで終わるだろう。そして、動いてもほとんどの夢は叶うことがない。それをわかっている上で、考えてしまうことがある。絶対に叶うことがない将来のことを。  もし、宝くじで1億円が当たったら、そのときにわたしはどうするだろう。  わたしは宝くじを買わない。そのわけはすごく簡単なことである。確率的に当たらないこともあるけど、誰かが買う宝くじのお金の半分以上は税金になる。言い換えると手数料が高いので、賭ければ賭け

          もし、宝くじで1億円が当たったら