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スダチ的サービスが出てくる必然性〜プレジデントオンライン記事への応答〜

一昨日、「精神科医が懸念、スダチの問題点」という記事を見つけて、なかなかしっかりとした記事が出てきたぞ!と強く頷きつつ、読みました。

すると、昨日は、プレジデント・オンラインに再び「スダチ」関連の記事が掲載され、そこで代表の小川さんがご自身の経験と独自の理屈を展開されており、スダチというサービスを立ち上げるに至った理由も、いくらかはわかりました。

(しかし、「精神科医が懸念、スダチの問題点」という記事に合わせたかのように、プレジデントも記事出すって、何らかの意図を感じますな。。。)

最大の問題は「スダチ」ではない

まず今回、起こっていることに関しては思うのは、不登校ビジネスと揶揄されるようなサービスが生まれて一定の支持を受けているのは、日本の教育制度や社会制度上の大きな立ち遅れや不足によって起こった必然ではないかということです。

先に結論を述べると、日本においては、先進国であれば、社会的・教育的制度として多くの子どもが当たり前に受けられるはずの公的サービスが不足しており、その不足を専門スキルが不十分な者たちの頑張りで穴埋めせざるを得ない状況にあります。そこに「不登校ビジネス」が成立してしまう素地があります。

より具体的に言えば、学校に合わない子の「メンタルケア」や「関係支援」をする資源・制度が学校にも社会にも大きく欠如しているため、その部分まで親や教師が担わなくてはならないわけです。そして、専門知識が少なく実践スキルもないために、うまくいかない場合の「不安」と「焦り」を解消してくれるサービスを求めざるをえないわけです。

先進国では子どものメンタルケアは「プロ」の仕事

まず現在、先進国の多くは、日本で言えばスクールカウンセラーにあたるメンタルケアのプロが「学校に常駐」していることがほとんどな上に、そうした専門職員は、学校のすべての児童生徒と関わります。問題が生じた児童生徒だけではありません。すべての児童生徒と関わります。「学校に適応できなかったり、学校・家庭生活で問題を抱える子がいるのは当然」という前提に立って、そもそものオペレーションが組み立てられるため、年度の初めに全児童生徒との面談を行い、アセスメントを実施することがスタンダードです。*1

日本では、対応できる「プロ」が不足。非専門家が対応。

日本の場合はどうでしょうか。もちろん日本でも、「不登校になったら」スクールカウンセラーという制度を利用できます。しかし、多くの場合、学校に合わない子や不登校の子と、最も多く関わるのは「担任の先生」と「親」です。どちらも児童生徒心理の専門家ではありません。もしかしたら読者の中には、「先生たちは、そうしたスキルを大学で身に着けるのでは?」と考える人もいるかもしれませんが、基本的にそれはありません。確かに、大学の教職課程で児童心理学を学ぶ時間はあります。しかし、普通教科課程を履修している学生は、その理論を子どもたちに対して実践できるほどのスキルまで身に着けることは、まずありません。

つまり先生も親も、子どもたちのメンタルケアを実践するスキルや理論も十分に持っていないわけです。あえて、強い言葉を使えば、先生も親も「スキルが不十分な支援者」として子どもたちと関わっています。特に、保護者に至っては、ほとんどの人が「児童心理」なんて触れたことさえなく、子どもが生まれ、実地で「親業」を覚えているわけです。「個人の経験の範囲で」あるいは「経験もなしに」対応している。そうした状態で学校に適応できない子どもたちや思春期に入った子のメンタルケアにあたります。当然ですが、自分がやっていることがうまくいかなければ、不安も焦りも大きくなります。

この不安と焦りに乗じて、「スダチ」的な不登校ビジネスが登場します。おそらく「スダチ」ではなくても、いずれ同じような不登校ビジネスが現れたと思います。

繰り返しますが、日本は、先進国であれば多くの子どもが当たり前に受けられるはずの公的サービスが薄く、その不足を、スキルが不十分な支援者(先生・親)で穴埋めせざるを得ない状況にあります。

とすれば、「スダチ」を批判する前に、「不登校ビジネス」と揶揄されるようなサービスの登場が、こうした日本の教育・社会制度上の欠陥に原因があるということを、しっかり認識しなくてはいけないと思いますし、まずもっての批判の矛先は、文科省と教育委員会に向けられるべきでしょう。

プレジデント・オンラインの記事内容における問題

とはいえ、今回のプレジデント・オンラインの記事を読んで、「世の中の多くの人」の側であるフリースクール運営者として僕が指摘しておきたいこともあります。

(「学校復帰」をゴールとしていることには「世の中の多くの」支援者が反論していて僕が改めてすることでもなさそうですし、小川さんがごく一部の事例で不登校の全体を代表させ自らの議論を正当化するしているところなどは、最後の欄外にまわしておきます。)

問題のすり替え

記事の中で、僕が一番気になったのは、スダチ的なサービスを必要だと感じた最初の経験としての「メンタルフレンド」の部分です。記事の中に「メンタルフレンドとして不登校の子と関わった経験があるが、しばらく関わっても変化がなく、アドバイスしたら嫌われて関われなくなった」という要旨の内容があります。実際どのような関係を作られていたのかはわからないので、記事内容から推測するしかありませんが、それを読む限り、明らかに「スキル不足」が招いた結果に見えます。*2

「家」から「外」へ出る場合は、励ましとアドバイスではなく、「関係」ごと持ち出さなくてはいけない

あるシンポジウムで、佐賀のスチューデント・サポート・フェイスの代表である谷口さんとパネラーとしてご一緒させていただいたことがあり、その時に「ひきこもっている子を家の外に出すのは難しいと思いますが、どういう工夫されてるんですか」聞いたことがあります。谷口さんの答えはだいたいこういうものでした。

仮に僕が支援者だととしたら、その子の好きなものや興味があるものから入って最初の関係をつくり(価値観のチャンネルあわせ)、それを起点にして、少しずつ僕以外の人とのかかわりを持てるようにします。例えば、その子が「釣り」が好きだったら、「釣り」の話題をたくさんして、まずは何度か二人(と親)だけで釣りに行く。そこでその子が「釣りに行くこと」に抵抗がなくなってきたら、「今度、釣り好きの友達が一緒に釣りしたいと言ってるけど連れてきていい?」と尋ねて、新しい人を加えて3人で釣りをする。こうしたことが重なっていけば、やがて僕はそこにいなくてもよくなります。

つまり、安心できる「関係ごと」外に持ち出していくことで、家の外にでることが可能となり、そこから少しずつ社会へと行動範囲や関係が広がっていくのです。

僕が勉強を見ていた不登校の子(H君)が、中3になって「学校楽しい」というまでになったそのプロセスもまったく同じです。

不登校だったり、引きこもっていたりする子が一歩外に出るために必要なのは「アドバイス」ではなく、「安心できる関係」なのです。「外に出なきゃ自立できないぞ」というアドバイスでは外に出なくても、「一緒に釣りに行こう」で、その子は外に出ていくのです。彼らは「お前も頑張れば自立できる」という言葉によって自立へ進むのではなく、「関係そのものが楽しいな」「人と関わることが楽しいな」という「体感」の蓄積によって外に出ていくのです。支援者は、その「体感」へつながる導線や環境づくりに粘り強く向き合わなくてはいけない。アドバイスして「言葉」によって、一足飛びに自立へと向かわせる対応は非常に稚拙です。自立に向かうプロセスを「体感」を重ねることで少しずつ埋めていかなくてはいけません。

記事を見るにつけ、メンタルフレンドをしている時期の小川さんは、この部分への理解とスキルが、明らかに欠如していたと言わざるを得ません。「アドバイス」でもって、外に出そうとしている。記事の前後の文脈と兼ね合わせて述べるならば、自分の「スキル不足」を、来談者中心療法という「メソッドの欠陥」へとすり替えています。

ここは「世の中の多くの」フリースクール運営者として見過ごせない部分です。自分のスキル不足をメソッドや方法論の欠如に短絡させてはいけません。

その他の些末な批判

一部の事例で不登校の全体を代表させてる①
不登校支援として「見守り」「待ちましょう」は一般的ではありません。
「その子のその時の状態にあった対応をしましょう。」が一般的です。

一部の事例で不登校の全体を代表させている②
不登校の子どもたちは「ずっと家にいたい」「勉強はしたくない」ではありません。「学校に行きたいけれど行けない」から「家にいるしかない」と感じており、「勉強に向かう元気がない」という子が大多数です。

一部の事例で不登校の全体を代表させている③
「不登校のご家庭は、基本的に親子関係が逆転気味になっているケースが多いと思います。お子さんが上の立場になって、親御さんが言いなりになってしまっているパターンですね。」と説明されていますが、「基本的に」なんてことはありません。時には、ありますが、それほど多くはありません。目立ちはしますが割合としては大きくない。

ごく純粋な疑問:なぜ「認知行動療法」を実践するサービスじゃないの?

記事の中で小川さんは、心理療法の分野においては、世界の主流が、科学的根拠のある認知行動療法などだと述べていますが、なぜそうとわかっているならば、それを子どもたちに提供するサービスになっていないのでしょうか。保護者の不安を解消することが優先されるようなサービスを提供しているのでしょうか。なぜ、「保護者」をプロでもないカウンセラーの立場に立たせ、親に子どもとの関りをしてもらうのでしょうか。

こうしたことが些末な批判としては残っています。

最後に小川さんに覚えておいてもらいたいのは、「スダチ」のHPの代表者あいさつで小川さんは、「私たちは教育事業をやっている会社です。」と書いていますが、子どもの成長を第一に考えようとしない活動を「教育」とは呼びません。



*1不登校などの対応をするのが、スクールカウンセラーではない場合も、原則的に医師や心理療法士等など、外部の専門家が対応にあたるのが一般的。

*2「メンタルフレンド」そのものは「関係」づくりという点においては、意味のある取り組みだと思います。また一定の有効性があるので、少なくない自治体で導入されているのだとも思います。ただ問題は、そこで積みあがった「関係」を「家の外へ出ていく」ためにハンドリングするための理論やガイドライン・手引きが、ほとんどの自治体に積みあがっていないんですよね。

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