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日本とアメリカのポッドキャスト受容の違い~なぜ日本のポッドキャストはジャーナリズム的側面が弱いのか~
今回は、教育から少し話題が外れますが、この数年スクートラジオというポッドキャスト番組を配信しているということもあり、音声コンテンツ文化について少し考えてみます。興味がない方は、もちろん読み飛ばしてくださいね。
今回、この記事を書こうと思ったのは、文筆家・編集者である「のもきょう」さんのvoicyでの対談が非常に興味深かったからです。
音声プロデューサー・編集者として活躍されている野村高文さん(Podcast Studio Chronicle代表)が、日本の音声配信の現在地について、ご自身の事業経験も含めて色々な話をされています。
もともと僕はTBSラジオ「文化系トークラジオ・ライフ」のファンだったのもあって、かなり早い段階からポッドキャストリスナーでもあったし、かつ、この数年間は代表をしているNPOでポッドキャスト配信をする側でもあったので、ポッドキャストがどのように日本で受容されているのか、すごく興味があったのですね。
今回のボイシーで野村さんやのもきょうさんが話されていた通り、海外ではポッドキャストが「ジャーナリズム」という役割を強く帯びているのに対して、日本の場合は、そうした側面が弱く、かなりエンタメとして消費されています。
いつだったか、渋谷陽一さんが「SIGHT RADIO」の中で「ジャーナリズムとしてのポッドキャストの波が必ず日本にもやってくる」という感じのことを話されていましたが、、、まだもう少し時間はかかりそうかもしれませんね。
そんなこんなで、今回は、なぜ日本ではポッドキャストが「ジャーナリズム」として受容されにくいのかについて、ほんのりと考えています。
1.ポッドキャストランキングの違いから見える傾向
アメリカと日本では、ポッドキャストのランキング上位に並ぶ番組の傾向が大きく異なります。アメリカでは政治・ニュース系の番組が人気を集めるのに対し、日本ではお笑い・エンタメ系の番組が強い支持を受けています。この違いは単なる嗜好の差にとどまらず、音声メディアが果たしてきた役割の違いに根ざしているのではないでしょうか。
2.アメリカにおける地方ラジオ局の役割と変化
アメリカでは、ラジオが長年にわたりジャーナリズムの一翼を担ってきました。地方ラジオ局は、地域のニュースやコミュニティの情報を届ける役割を果たし、住民にとって欠かせない情報源だったのです。
1920年代初頭にラジオが普及し始めると、地方のラジオ局は急増し、独自のニュース番組を持つようになりました。1921年の5局から23年には550局程にまで一気に増えたといいます(2012年時点で、全米のラジオ局数は11,325局だそう。多いね。。。)。参考1参考2
大手ネットワークが全国的なニュースを発信する一方で、地方局はローカルな視点を持ち、独立した取材活動を行うジャーナリズムとして機能しました。この伝統は現在も続いており、ポッドキャストの普及によって新たな形に変化しながらも、音声メディアとジャーナリズムの結びつきは依然として強いのです。
3.日本のラジオ局の構造と役割
対照的に、日本のラジオ放送は早くから中央集権的なシステムの中で発展しました。キー局を中心に全国ネットワークが整備され、地方のラジオ局はキー局の番組を流すことが主な業務となりました。その結果、独立した地域ニュースの発信力は弱まり、ラジオがジャーナリズムとして機能する余地は限られたものになったのです。
キー局の支配力: TBSラジオや文化放送、ニッポン放送といったキー局が全国向けのコンテンツを発信し、地方局はその受け皿として機能しています。
地方局の制約: 地方局は独自番組を制作するものの、広告収入の多くがキー局向けの放送に依存しています。
コミュニティFMの台頭: 1990年代以降、地域密着型のコミュニティFMが登場しましたが、アメリカの地方ラジオ局ほどの影響力を持つには至っていません。
さらに、日本の地理的特性も影響しています。アメリカは広大な国土を持つため、全国一律のネットワーク構築が困難であり、そのことが地域ごとの独立した放送局の発展を促します。各州や地域の文化的・言語的多様性も、ローカルな放送局の必要性を高めました。各地域ごとに独自のメディア文化が発展する土壌がアメリカにはあったわけですね。一方、日本は地理的に狭く、東京を中心としたメディア集中が進みやすかったのです。このため、全国的なニュースが重要視され、地域ごとのジャーナリズムの発展が制限される構造が生まれました。その意味では、日本における地域情報源は新聞がメインであり、ラジオを、地域の情報を手に入れるための媒体として受容していた人はごく少数であったように思います。それゆえローカルジャーナリズムは、音声コンテンツで手に入れるのではなく、文字情報として受容するという形態が一般化したのかもしれません。
4.アメリカと日本のラジオ文化の違いがポッドキャストに与えている?
このように、アメリカでは地方ラジオ局がローカルジャーナリズムの一部として機能してきたのに対し、日本では地方ラジオが、ローカルな情報を提供する場ではあったものの、むしろ全国ニュースを提供するメディアとして発展してきた側面が強い。
こうした「ラジオ局」の地域における役割の歴史的差異が、現在、日米におけるポッドキャストの受容的差異、特にジャーナリズムとしての役割の違いとして表れているのではないかと感じます。
5.補足的推論として・・・
アメリカと日本のポッドキャスト文化の違いを考えるとき、単なるメディアの発展の歴史だけでなく、それぞれの社会における「理念的な言葉」の意味づけの違いも重要な要素かもしれません。
欧米社会では、近代社会を構築する上で「理念」的な言葉が重要な役割を果たしてきました。これらの理念は、政治や社会の動きに深く影響を与え、個人のアイデンティティや公共性を形成する基盤となっています。
一方で、日本社会では「理念的な言葉」は時に「建前」として捉えられる傾向があります。特に、知識人や専門家が使う理念的な言葉は、時に形式的であると見なされることもありますね。専門家を「〇〇先生」という風に呼ぶ場合にも、皮肉や距離感が込められることがあります。これは、理念的な言葉が実際の生活や現実的な場面で、どれだけ役に立つの?という懐疑がどこかにあるからかもしれません。(例えば、コロナ過における専門家の言葉が、現実の場面では、あまり役に立たず、むしろ場の空気や世間体の方が、人々の行動を強く縛っていた記憶があります。)
この文化的な背景が、ポッドキャスト文化にも影響を与えている可能性があります。
日本のポッドキャストがエンタメ中心である背景には、社会全体の価値観や言葉の使われ方が影響しているかもしれません。もし、日本においてジャーナリスティックなポッドキャストを配信するなら、エンタメや軽い会話を通じて、リスナーが楽しみながら情報を得るスタイルが受け入れられやすい可能性があります。
知識や理念的な内容を深く掘り下げるよりも、まずは人々が気軽に耳を傾けられるような内容が優先され、そこに日本特有の文化的な「世間の気配り」や「和」を重んじる側面が反映されているのです。
このように、理念的な言葉の意味づけや文化的背景の違いも、ポッドキャストに対する受け入れ方や番組の内容にも大きく影響していることが考えられます。アメリカでは理念を中心に深く議論する番組が支持されるのに対し、日本ではエンタメを通じて楽しさや気軽さを重視したポッドキャストが主流となっているのは、こうした文化的な相違が根底にあるからかもしれませんね。
補論
1920年代アメリカの地方ラジオの勃興について
ラジオの黎明期と成長
アメリカでは、1920年代にラジオ放送が商業化されると、地方ラジオ局は地域社会の情報源として急速に成長しました。最初の商業ラジオ局であるKDKA(ピッツバーグ)が1920年に開局すると、その後、各地にローカル局が次々に誕生。本論でも述べているように、1921年の5局から23年には500局を超えるまでになります。特に農村地域では新聞よりも即時性が高く、気象情報、農業市場の価格、また地元ニュースを伝える重要な役割を果たすようになりました。
さらに1934年には通信法(Communications Act of 1934)が成立。この法律に基づいて連邦通信委員会(FCC:Federal Communications Commission)が設立されます。FCCは各無線局に特定の周波数を割り当てる権限を持ち、ラジオ放送は、550から1500キロサイクルの周波数帯が割り当てました。地方ラジオ局の周波数使用が厳密に管理されたことによって混信が減少し、より多くの放送局が効率的に周波数を共有できるようになります。限られた周波数帯域内でより多くのラジオ局が運営可能になりました。(例えば、どんなに広い道であっても、そこを走る車が無秩序に走行する場合は、一度に走ることができる車の数は限られますね。限られた範囲の道でも、しっかりとレーンを決めることによって、効率的にその道幅を通行に使用することができます。)
また同時にFCCは「公共の利益、便宜または必要性」という基準を設け、この基準を満たす申請者に免許を与えるようになりました。これにより、適切な運営能力を持つ事業者がラジオ局を設立しやすくなり、地方局の独自性が保たれるようになりました。大手ネットワーク(NBC、CBS、ABCなど)も地方局と提携し、全国的な番組を流す一方で、地方ニュースは、その地方の「公共の利益、便益または必要性」の観点から独自に制作され、地域社会に密着した報道を行っていきます。特に1930年代の大恐慌時代には、地元の経済状況や政府の支援策を伝える役割を果たしました。
地方ラジオ局の独自発展の背景要因:広大な国土と技術
この時期に、アメリカの地方ラジオ局が、例えば日本のように「キー局の中継地」的な役割になるのではなく、むしろ地域地域のローカルジャーナリズム的な性格を持つに至った理由は、アメリカという広大な土地が背景要因として存在します。東西約4,500km、南北約2,500kmに広がる広大な国土に、人々は今よりもさらに分散して暮らしていました。1920年代の時点では、大都市圏を除けば、情報の流通は新聞や電報に依存しており、特に地方都市や農村部では、全国のニュースが届くまでに時間がかかっていたわけです。
新聞は当時の主要メディアでしたが、印刷と配送に時間がかかるため、即時性に欠けます。農村部では数日遅れで新聞が届くことも珍しくなく、例えばニューヨークの出来事がテキサスやモンタナの読者に伝わるまでに大きな時間差が生じていました。こうした状況の中で、ラジオはリアルタイムの情報伝達を可能にする画期的なメディアだったわけですね。
また当時の技術では、長距離のラジオ放送を安定して届けることが難しく、都市圏を越えて全国に情報を届けるインフラが未発達でもありました。そのため、各地のローカル局が、地域のニュース、気象情報、農業市場の相場などを独自に放送し、地元住民の重要な情報源となっていました。例えば、1920年代のアメリカ中西部においては、ラジオが農民向けの気象情報や穀物市場の価格を即時に伝えるツールとして活用されています。農家にとって、収穫時期や作物の売却タイミングを決める上で、最新の市場情報は極めて重要な判断材料となります。しかし、新聞では情報が数日遅れるため、ラジオの速報性が、当時の農業経営には大きな貢献を果たしています。
(了)