時間はだれにも平等に
人の数だけ今日までの人生があった
産まれや生い立ち、運とかご縁によって、社会的な立場や収入、財産には差があり、それを不平等と感じることもある。
それに、人それぞれ、様々な事情を抱えている。
青春の盛りに、身体や心に、傷や病を負うことも、あったかもしれない。
今まさに、試練に直面している人も、世の中には沢山いる。
希望を抱いて踏み出した社会人のスタートで、思わぬ落とし穴に落ちたり、厳しい競争原理に躓くことも、あったかもしれない。
そして何より、人との出会いによって
ある時は愛し、憎み
褒められ喜び、貶され悲しみ
思わぬ出来事に浮かれたり、絶望したり
人を信じて、安らぎを得たり、裏切りにより、怒りの炎に焼かれたり
出会いの数だけ、感情は、『良くも悪くも』、自分の中で、降り積もっていく。
今この瞬間は、過去からの積み重ねで構成されているのだから、人が、過去に縛られてしまうのも、致し方無いだろう。
1日24時間なのだから
自身の未来を彩るという挑戦においては、生涯時間の『残量』で戦わなければならない。
優秀な学歴を持つ者に、学歴の無い者が、一度過去に遡って勉強しなおしてから、決闘を申し込むことなんてできないのだから、その『競争ゲーム』のルールで挑むのはナンセンスなのだ。
時に、自分と他人を比較して、他人の人生を羨んでしまうこともあった。
だが、時間は、『量』以外に、『質』の概念で捉えることも、可能だ。
お金に例えるなら、同じ枚数でも、千円札10枚よりも、1万円札10枚のほうが、10倍の価値がある。
時間をかければ良いものが生み出せるとは限らない。
満たされた環境が、必ずしも自身を向上させるとも限らない。
むしろ人類の歴史は、直面する矛盾への挑戦により、発展してきたのだと感じる。
逆境であることが、却って人を大きく成長させるのだと、信じている。
では、時間の『質』を向上させる要素とは、一体なんだろうか?
持論だが、それは『心』だ。
等しく与えられた1日24時間を、はたまた、目の前の一瞬一瞬を、
1000パワーの心で過ごすのと、
10000パワーの心で過ごすのとでは、
当然、後者のほうが高い時間効率を誇るのは、誰もが『知っている』ことだろう。
これが、生い立ちや環境に恵まれなかった者が、己のハンディを、個性という価値ある武器に変える方法だと信じている。
人は、環境や状況、他人に縛られ、影響を受ける生き物。
だが、自分の『心』だけは、本来誰にも縛られず、外からの影響を跳ね返す力を持っているのではないだろうか。
等しく与えられた時間であっても、その時間をいかなる『心』で使うのかは、自分次第。
でも、大切なことを忘れてはいけない。
『心』は、張詰め過ぎたり、頑張り過ぎると疲れてしまい、酷いときにはポッキリ折れてしまう。
だからこそ、『質の高い心の栄養と休息』を、定期的に与えてあげようと心掛けている。
要は、休むときは『全力』で休む。
限界になるずっと前に、心身の栄養補給と休息を、戦略的に用意をしておく。
そのほうが、できない自分や、頑張れない自分を、自ら責め立て、イジメるより、よっぽど価値的だと気付いた。
長い長い、試行錯誤の末に。
今この瞬間も、自分の理想や、志すもの、憧れには、程遠い。
だからこそ、今この一瞬の、己の喜怒哀楽を、完全燃焼させ、自分の人生の時間にぶつける。
最近時間が無さすぎてイライラしてきたので
自分への励ましと教訓のために
感じたことを思いつくまま綴り残す
2020年1月12日
座右の銘は不撓不屈
座右の銘太郎