論文の書き方(その2):文章の展開
はじめに
先の『論文の書き方(その1):論点の展開』の中で続編を書くことを宣言したのですが、当人の興味の散乱で当初の意気込みはどこやら。しかしながら、その約束を全うすべく、一応概略だけでも記します。尚、この文書は前回の『論点の展開』の要点を踏襲しておりませんので、少しだらだらとなりますが、少しでも何かのお役に立てば幸いです。
では、ここで言いたいことの要点は以下の通りです。
(*) 文にしろ、段落にしろ、その構成要素は、情報が伝わり易い構造にする
さて、「情報が伝わり易い」ためには、まず著者と読者、両者が共に理解してしているような事柄(起点)から始める必要があります。そして、著者としては、何かしら自分の言い分があるはずなので、その主張すべき部分(行先)を後に加えるという姿勢です。公式的に書くと以下のようにでもなるでしょうか。
構成要素 = 起点 → 行先
極めて当たり前で単純な事に思えます。しかしながら、いろいろな文章を読んでいて読みづらいなと感じる時は、この基本的な事が守られていない場合が多いように思われます。
文の構成(1): 疑問文を使う例
まず、分かりやすい例として疑問文に続く分の構造について考えて見ます。幾つか極簡単な例を示しますので比べて下さい。
(1Q) 昨日、麗名は何をしたと思いますか?
(1A) 麗名は慎吾に会いました。
(1B) 慎吾に会ったのは麗名です。
(1C) 麗名が慎吾に会いました。
(1A)は自然ですが、(1B)は不自然です。それは、(1A)が「起点→行先」の順序を踏襲しているのに対して、(1B)は逆になっているからです。ついでに、(1C)も不自然です。それは、日本語の助詞「が」が主語に着く場合、その主語が情報の起点ではなくて行先として感じられるからです。
次に移ります。
(2Q) 昨日、慎吾に会ったのは誰だと思いますか?
(2A) 麗名が慎吾に会いました。
(2B) 慎吾に会ったのは麗名です。
(2C) 麗名は慎吾に会いました。
(2A)に問題はありませんが、(2B)の方が新しい情報の「麗名」を最後に回して強調している感がありパンチが効いていると思われます。それに対して、(2C)は不自然です。それは、日本語の助詞「は」が通常すでに了解されている情報を示すため、つまり起点を示すために、情報の行先である麗名を強調するには適切では無いからです。尚、「は」の使い方には若干の注意が必要ですが、これは後で述べることにします。
また、少し異なる例を示します。
(3Q) 昨日、麗名は誰に会ったと思いますか?
(3A) 麗名は慎吾に会いました。
(3B) 麗名が会ったのは慎吾です。
(3C) 慎吾に会ったのは麗名です。
(3A)は不自然ではありません。しかし、(3B)は、新しい情報の慎吾を行先にふさわしい後部に位置して強調する形になり、よりパンチの効いた表現になっています。それに対し、(3C)は強調する点が誤っているため不自然です。
それでは、次の場合はどうでしょう。
(4Q) いつ麗名は慎吾に会ったと思いますか?
(4A) 昨日麗名は慎吾に会いました。
(4B) 麗名が慎吾に会ったのは昨日です。
(4C) 昨日麗名が慎吾に会いました。
(4A)は特に不自然ではありませんが、(4B)の方が昨日が行先により相応しい後部に来ているのでパンチの効いた表現です。(4C)は助詞「が」の用法はより行先に適しているため不適切で不自然です。
ついでに、もう一つ関連した例を見てみます。
(5Q) 昨日、何が起こったと思いますか?
(5A) 昨日麗名が慎吾に会いました。
(5B) 昨日麗名は慎吾に会いました。
(5C) 麗名が慎吾に会ったのは昨日です。
(5A)は、行先の情報を後部に置いているため自然で適切です。(5B)は行先の中に、起点を示す助詞の「は」が入っているため適切とは言えません。(5C)は起点の情報である「昨日」を行先に相応しい後部に置いているため不適切と感じられます。
文の構成(2): 疑問文を使わない例
今までの例は疑問文に続く場合でしたが、論文は通常肯定文の連続です。それでも、基本的には同様の事が言えるのです。幾つか例を見てみます。
(6S) 昨日、麗名は買い物に出かけました。
(6A) その時麗名は慎吾に会いました。
(6B) その時慎吾に会ったのは麗名です。
(6C) その時麗名が慎吾に会いました。
上記(6A)から(6C)の文の自然さは、前に見た(1A)から(1C)の場合と全く同様で、(6A)が最も自然です。つまり、(6A〜C)でも前の文が疑問文と似たりよったりの文脈を作り出し、それが次の文の自然さに影響を与えていると言うことです。いずれにしても、文中で「起点→行先」の姿勢が守られている場合の方が自然であり、情報が伝わり易い構造であると言えます。
前に上げた例文(2)から(5)についても、疑問文を含まない場合の同様の検証をする事が出来るでしょう。そして、この点は文脈がたった一つの文だけの場合に限らず、その文が導入される以前の文脈全てについても同様だと言えます。
今までの内容をまとめると、以下のようになります。新しい文を書くときは、文脈を考慮して読者がすでに理解している事柄を起点とし、著者の新たに言いたい事柄を行先とします。そして、「起点→行先」の順序が守られるような文の構造(順序)を取るべきだと言うことです。同時に、助詞「は」や「が」等それ自身、起点や行先に相応しい単語がある場合は、その使い方に注意する必要があると言うことです。
余談: 「は」の二つの用法
今まで、助詞の「は」は既存の情報、つまり起点に相応しいと書いてきました。ところが、この助詞には少し厄介な側面があります。次の文を比べてみて下さい。
(7A) 「麗名は慎吾が来たと思ったんだよ」
(7B) 「麗名は慎吾は来たと思ったんだよ」
(7C) 「麗名は慎吾は(!)来たと思ったんだよ」
これらの文が特別な文脈のない時点で言われた場合、(7A)は自然ですが(7B)は不自然です。それは、一般的には起点を示す「は」が行先に相応しい後半の述語部分にあるからです。普通、起点を示す「は」は一つの文に一つだけ使われます。ただ、(7C)のように「は」が強調して発音されると、「は」が起点ではなくて強調・対比の意味を持つ事になります。それで、(7C)は(7A)とニュアンスは違いますが不自然ではありません。意味的には、慎吾以外にも誰か来る事を期待していたが慎吾だけが来たと言うような感じでしょうか。
ついでに、強調・対比の「は」は他の助詞「を」や「に」を置き換えたり、他の助詞の後に「には」とか「からは」といった要領で追加される事もあります。因みに、イントネーションやストレスを直接表現出来ない論文等の文書の中では、単独で使う強調の「は」は滅多に使われないはずです。それでも、「には」とか「からは」等のように他の助詞に追加される場合は珍しくないでしょう。
文の構成(3): 複雑な文の例
次にもう少し複雑な文の例(主節と従属節を含む例)を見てみます。下の(8S)に続く文として、(8A)と(8B)のどちらが自然でしょうか?
(8S) 図書館で何十冊と詮索している間に一冊の本に巡り合いました。
(8A) この本を皆さまにも紹介したいと思うのは、それが当人のその後の論文作成に多大な影響を与えたからです。
(8B) この本は当人のその後の論文作成に多大な影響を与えたので、それを皆さまにも紹介したいと思うのです。
この例では、一つの文の中に句点で区切られた二つの節(部分)があるので、まずこれらの節の間の関係を考えてみます。以下のうち、どちらを情報の起点と、またどちらを行先と捉えるのが自然でしょうか?
(8あ) 皆さまにも紹介したいと思う
(8い) 当人のその後の論文作成に多大な影響を与えた
どちらかと言えば、「紹介→影響」の順序よりは、「影響→紹介」の順序の方が自然と思われます。それは、著者の経験を基に読者にとって有益と思われるものを提案する姿勢を反映しているからです。それで、(8A)より(8B)の方が適切な表現であると思われるのです。
さて、この例についてもう一点考慮しなければならないのは、それぞれの節自体の構造です。因みに、節は単独で用いられればそれ自体が文になり得るものだからです。まず、両方の節の中で取り上げられているのは「この本」です。ただし、(8A)と(8B)の後続節では、重複を避けるために、「それ」という言葉が使われています。
いずれにしても、両方の節の中では「この本」が起点で、残りの部分が行先だと判断することが出来ます。下記の要領です。
(8あX) この本→皆さまにも紹介したいと思う
(8いX) この本→当人のその後の論文作成に多大な影響を与えた
そのため、各々の節を次のように書くと不自然に感じられるはずです。
(8あY) 皆さまにも紹介したいと思うのはこの本です
(8いY) 当人のその後の論文作成に多大な影響を与えたのはこの本です
いずれにしても、単純な文に比べて、このような複雑な文の内部の構成は、より注意が必要となります。もし、情報の起点と行先がはっきり出来ないようであるなら、その文自体に問題があるかも知れません。もう一度考え直して、それぞれの文の構成が適切になるように書き直すべき場合もあるでしょう。
段落の構成
段落は複数の文で構成されます。それで、一つ一つの文について、どの文が著者と読者にとって最も共有要素が多いか、どの文が著者の言い分が詰まっているかということを見極める必要があります。そして、この場合でも、「起点→行先」の順序が守られるように文の順序を決定します。
まず、以下のような構成(文の順序)を、どう感じるでしょうか?
(9A) 関連の本を図書館で何十冊と詮索している間に一冊の本に巡り合いました。
(9B) この本は当人のその後の論文作成に多大な影響があったので、ここで皆さまにも紹介したいと思うものです。
(9C) それはBooth他著『The Craft of Research』という本です。
(9D) 当人は何年も前のことですが論文の書き方がよくわからず苦労していました。
(9E) どうやってこの文書に辿り着いたにしても、読者の皆さまは論文の書き方に興味があるに違いありません。
これは、先の『論文の書き方(その1):論点の展開』の序章の一部の文の順序を変更したものです。なんだか変ではありませんか? それは、その構成が「起点→行先」を無視しているからなのです。それでは、どの文が起点として、あるいは行先としてより相応しいでしょうか? こういった判断は、白黒とつくものではありませんので、よく吟味する必要があります。
ここで、『論文の書き方(その1):論点の展開』で取り上げられた、序章の構成を思い出してみます。
背景 ➞ 問題 ➞ 回答
実は、この順序というのは、情報が伝わり易い構造にするための手法なのです。つまり、序章の起点として、著者と読者が共有出来るような背景から始め、徐々に著者の言い分を導入していくという手法です。したがって、まず、どの文が起点として相応しいかを判断し、他の文については逐次「起点→行先」の原則が全うされているかどうか確かめながら次の文を続けるという姿勢が必要です。それでは、(9)の順序を実際に使われた、以下の(10)と比べてみて下さい。
(10A) どうやってこの文書に辿り着いたにしても、読者の皆さまは論文の書き方に興味があるに違いありません。
(10B) 当人は何年も前のことですが論文の書き方がよくわからず苦労していました。
(10C) そのころ関連の本を図書館で何十冊と詮索している間に一冊の本に巡り合いました。
(10D) それはBooth他著『The Craft of Research』という本です。
(10E) この本は当人のその後の論文作成に多大な影響があったので、ここで皆さまにも紹介したいと思うものです。
文章を書く時は常に、こういった考察を各段落について行う事が望ましいでしょう。また、さらに言えば、段落と段落の間にも「起点→行先」の考え方が当てはまると言えますが、もう当人の言いたい事はお分かりかと思います。
接続詞その他のつなぎの言葉
最後に、もう一点だけ付け加えておきます。段落の中で、文と文の接続を円滑にするためには、接続詞あるいは他のつなぎの言葉を適切に使う必要があります。接続詞には、「そして」、「ところが」、「逆に」、「ところで」等と、たくさんあります。その他にも、「この例では」とか「文章を書く時は常に」とか、様々なつなぎの言葉が考えられるでしょう。ここでは、特にこれ以上書きませんが、文と文の関係をよく考えて、色々な可能性を試しながら最もしっくりいくものを選べばいいのではと思います。
終わりに
やはり、だらだらとしてしまいましたが、これにて当人の論文云々についての書き物は完了します。
参考
この文書で取り上げた、「情報が伝わり易い構造」という考え方は、前回紹介したBooth他著『The Craft of Research』でも簡単に触れられていますが、より詳細には言語学の中でInformation Structure (情報構造と訳されていますが、何だか変な感じです)として知られているもののようです。因みに、ここで起点と行先と呼んだものは、言語学ではTopic/Theme (話題)とかFocus/Rheme (焦点)とかと呼ばれているようです。専門的な文献は数多くあるようですが、当人のような一般人に役に立っようなものはあまり見受けられるとは思いません。