足の本数が減っていった経済の歴史

定点的な観測に依存した印象ではありますが、バルセロナ、アトランタ、長野、フランスで国際的なスポーツイベントが行われていた1990年代の経済はテレビや新聞、ラジオで国際的なスポーツイベントの話題があっても「お家で “テレビ” ばかり見ていてもつまらないでしょう」と家の外、特に百貨店やゲームセンターにも娯楽が多かったという印象があります。ゲームセンターは今みたいに

・スロット
・メダル
・カード
・クレーン

だけではなく、

・シューティング
・ガンアクション
・格闘
・レース
・音楽

などもありました。無くなっていったのは2000年代に日本でコンピュータゲームに年齢区分が設定されたり、ゲームセンターで使われるコントローラの特許が失効して、家庭用にコントローラが普及していったりしたからだとは思いますが。また、メダルのゲームなら子供が不良にカツアゲされたり、たくさんのお金を使い込む心配もありませんし、メダルのために使ったお金はゲームセンターの収入になるからメダルゲームが積極的に導入されたのでしょう。

書店も今でも種類はたくさんあるとは思いますが、昔より専門的な話題に言及した雑誌も書籍も少なくなりました。その部分は1994年から1997年の間と2006年にアマゾンが、2001年に楽天がコンビニ支払いを導入してから移管されたからだと思います。

NHKで「ハッチポッチステーション」が日本のテレビの子供番組の歴史上最も高い視聴率がマークされて、サッカーワールドカップの日本の試合が1998年と2002年に60%以上をマークして、

・インターネットでサッカーワールドカップの視聴率が検索出来ること
・ハッチポッチステーションは「子供番組であった」こと
・将来的にテレビ番組に視聴年齢に制限がかかる可能性があること
・ハッチポッチは子供番組でありながら大人の視聴が多かったこと

によって、NHKとしてスポーツにリソースの大半を振るようになったのだと思います。

音楽も2000年代から配信やサブスクリプションが普及していって、

・配信やサブスクリプションであれば在庫管理の負担が軽減されること

が配信やサブスクリプションを優先させる理由になり、コンピュータゲームも同様であったことから、コンピュータゲームもダウンロード=配信やサブスクリプションが中心になっていきました。また、コンピュータゲーム特有の理由として

・セーブデータをソフトウェアや機器の上で保管するより、サーバーやクラウドで保管すればセーブデータのプレイヤー側からの改ざんのような不正が容易でなくなる

こともありました。

1981-2001の20年間に米ゼネラルエレクトリックのCEOであったジャックウェルチ氏の経営は「ニュートロン(中性子)ジャック」と渾名されたように「ナンバーワンかナンバーツーか」という判断でナンバーワンでないものは全て廃止されていました。現代的な言い方をするなら、「俺か俺以外か」という感覚だと思います。

「経営の意思決定における葛藤の苦しみも体感したことがない、非常勤の人間に何がわかるか」とは言われると思いますが、

ジャックウェルチ氏の「ナンバーワンかナンバーツーか」と言うのは、その時その時での「ナンバーワンかナンバーツーか」という意味が強く、

例えば「その業界の基幹的な技術に関連した特許の保有率がナンバーワン=支配率がナンバーワンだからナンバーワン」だとしても「営業収益がナンバーワンではない」であれば、ナンバーワンではありませんし、

「稼働率はナンバーワンではないが、いわゆる不労所得を作り出す量がナンバーワンだからナンバーワン」だとしても「資本投下に対するリターンがナンバーワンでない」ならナンバーワンではない、

「従業員が業務中に一人でいられる時間がナンバーワン」であったとしても「電話を使用している時間がナンバーワンでない」ならナンバーワンではない、

ということになり、ウェルチ氏の経営はかなり直情的な舵取りであったものでした。それが彼が退任したあとのゼネラルエレクトリックの株価の下落幅がおよそ50%であったことに反映されたのでしょう。

「ナンバーワンかナンバーツーか」「選択と集中」という名前で話される経営は一見非常に効率が高く見えますが、実際は競馬で表すなら三連単一本で全て賭けるようなものであり、非常に安全率が低く、安全マージンが狭く、安全も安定もかなぐり捨てた経営になります。

最近はメディア、エンターテイメント、アミューズメントの領域で「ポリティカルコレクトネス」という名前で

・Diversity(多様性)
・Equity(公平性)
・Inclusion(包括性)

が求められていますが、

多様性 - ある集団の中に異なる特徴や特性を持った人々がともに存在すること(Diversity - the practice or quality of including or involving(関係する) people from a range of different social and ethnic backgrounds and of different genders sexual orientations(性的指向) etc.(Oxford))

公平性 - 社会の構成員の間で偏りがない、平等であること。偏りや差別がなく、全てのものが一様で等しいこと(Equity - the quality of being fair and impartial(公平),the values of shares issued by(発行) a company(Oxford))

包括性 - 多様な人々を受け入れ、尊重し、一人一人の能力が十分に発揮される状態(Inclusion - the practice or policy of providing equal access to opportunities and resources for people who might otherwise be excluded or marginalized, such as those who have physical or intellectual disabilities and members of other minority groups.(Oxford))

要約しますと「内部個別に偏差が存在しない集団」ということでしょうか。ゲームセンターに8つのブースがあって、それぞれの「成績」がお互いに揃っているという感覚だと思います。敷地が100%で(12.5%)*8である状態から成績に合わせて敷地を変えるのではなく、成績を常に保っておくというものでしょう。そうとは言っても他にSDGs17のゴールや気候変動対策の方針が国連で決められていて、その中で

7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに
11.住み続けられる街作りを
13.気候変動に具体的な対策を
14.海の豊かさを守ろう
15.陸の豊かさを守ろう

に抵触するジャンルのゲームは予算をつけない、という感覚でしょうか。しかしながら穿った見方になるとは思いますが、

11.住み続けられる街作りを

15.陸の豊かさを守ろう

14.海の豊かさを守ろう

7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに

13.気候変動に具体的な対策を

として街に対する「供給」が尽きない国作りにすれば達成が早くなりそうな感覚はありますが。

また、性的指向に依らないなら、子供の人数などによる「点数」で待遇を決めないことになるでしょう。また、金額の多寡にも依れなくなりますので、「発電機」ではなく、「発電所」や「発電機の作り方のレシピ」に投資するような社会的資本、特に「公的資本」への積極的な投資が求められているのだと思います。

ただ、そうなって発電所からのエネルギー供給で駆動する公共交通機関が落雷などでエネルギー供給が遮断された時に「発電機がついている自転車」飛行機、ボート、カヌー、カヤックをどう取り扱うかという部分は議論が行われている段階だと思います。

将来的には「水道の蛇口を回す量としての一本の足の長さ」や「スロットリング」「傘の持ち手の長さ」だけという意味で一本の足の長さだけで事業を評価される可能性も否定できないと思います。

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