挑発してくる審判 ~挑発の何が問題なのか?~
審判は資格制度である。
資格制度ということは
「審判は試合の進行に対する責任を負う」
という証明を認証されたからであり、
審判は試合の進行に対する責任を負うからである。
だから競技の中には
審判の資格を年次更新制にしていて
常に勉強してあるかを問う競技もある。
審判は人間であっても、
極力ひいきのチームを作ってはならない、
極力を抜いて
「ひいきのチームを作ってはならない」
と規定する競技もある。
「挑発する審判」というのも
「裁定の権限は持つが
試合の進行に対する責任は負わない」
から問題なのである。
審判は「オーナー」ではないし、
「ギミック」を考える側でもない。
裁定の権限は試合の進行に対する
責任の内部下方にふ属されるのであって
進行は選手自身が行い
選手が線路から外れたら戻すのが審判である。
また、スポーツの中で「ダービー」
と名がつく試合がある
競技の審判は戦争につなげない、
戦争になることを防ぐ役割がある。
これからの時代はもしかすると
戦争につながったり、
敵がい心や好戦性の高い表現などに対して
「アジテーション」だと規制されるかもしれない。
特にテレビなどでの
「絶対に負けられない戦いが~」
とか「御前試合」というような表現などに対してだ。
審判には中性であることが要求される。
なぜなら試合の進行に対して責任を負うからだ。
審判の判定の基準にも中性が要求される。
ルール(支配律)ではなく
レギュレーション(平均律)など
誰がやっても同じになることが要求される。
人工知能の発展で最も割を食うのは
審判だという意見も一部に存在する。
なぜなら審判が判断する基準は
ルールブックや
レギュレーションの書かれた本、
プログラミングのソースコードなど
明文化されたものだからだ。
良く日本で言われる
「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉も
「主導権をかけて勝負して
勝利した側に従う/ついていく」
なら聞こえは良いが、
これは「取り決め」という
「合意」があるから成り立つ話であって、
それらが無ければ勝ち方に審議が入る。
例えば決まり手が禁止された手で
あったなら再試合になるし、
勝利した際の立ち振舞いや
所作が品を欠いたり、
礼を欠くならまた再試合になる。
取り決めという合意も
国民の直接投票が必要になるなら、
それは全体主義として
全員賛成で可決になるような話なので
やはり「勝てば官軍負ければ賊軍」
というのは成り立たないのである。
反論として
「なら強引に押し倒してもいいのか!」
とあるが、法律の話であることに
留意するとドイツでは
性別を問わない場合でも罪に問われるし、
相手を怪我させたなら
その治療費や緊急避妊薬などの
購入費用、心的外傷の治療に対する
費用請求や慰謝料、損害賠償を
求められるし、心の問題に関しては
センシティブでありデリケートで
あるので冷たく相場の話をして
いいわけではない。