noteに書くとしたら、目的や対象の無い薄めな記事になるかもなー
理由は二点ある。
一つは、記事がエクスポートできないこと。
もう一つは、自分にとって最良の記事の書き方[Markdown]でかけないこと。
記事がエクスポートできない
記事が持ち出せないのは致命的だ。
これは、noteで書いた記事は自分でコピペする以外に保存する方法が無いと言っている。大手ブログサイトには必ずある、特定のファイルで記事一覧をエクスポートして、Wordpressなどの最大手のフォーマットに以降しやすくする方式。これがない。
BlogはBook+LogでBlog、要は保存の機能と記事の機能があるわけだけど、
要はnoteはログ機能を有していない。いつ消えるかわからない状態で記事を書いているからだ。
いや、正確には、どんなブログサービスだって消えうるんだけど、消えるリスクに対して対策が無いサービスを利用するのは怖さがある。セキュリティリスクがありながらZoomを使っている気持ちに似ているのかもしれない。
記事をもって他のブログに行こうできないのは結果としてnoteをやめられないという仕組みになっているのもちょっといやらしい。退会できないサービスを観ている気分になる。
私自身、ブログを10年近くやってきて、4,5個のブログサービスを、サービス終了やUIの不良、管理不良など様々な理由で渡り歩いてきた。だからnoteが受け入れられないんだろう
noteは記事としての能力じゃなくてSNSの親和性が強い。おそらくnote運営もそういう感じに持っていきたいんだろう。
だから、noteに書くなら、、「いい人がみんなやっている」「いいねや集金のカルチャーが定着しているからおいしい」というメリットがきっかけとして大きいなと感じるから、
自分のための見返すための記事として不適切に思う。
結局消えたらどうしようも無いんだし、記事が無責任でバイラルな記事になっていくだろうというのもちょっと嫌なところだ。
記事をじっくりかけない。結果として、「保育園落ちた日本死ね」みたいな記事やまさに本稿のような愚痴に近い記事が、多くなるだろう。
Markdownがない
いよいよ愚痴っぽくなって来たが、なんでMarkdownでかけないんだろう。
これも、メリハリのある記事や箇条書き、図などを書く際にはとても便利な記法で、広く浸透しているものだ。
ちょっとしたメモからブログ記事まで、Markdown記法は大変に浸透していて、見出しや箇条書き、リンク等をスルッと貼って、いじりやすく気持ちのいい記事にしてくれる。
この記事を書いているときも、貼り付けたリンクが記事内で切り貼り移動できないという変なエラーに引っかかって貼り直す羽目になった。Markdownなら、テキストベース管理だからこういうことは起こらない。
余談だが、noteみたいに、書いてるうちから読者に観られるのと同じスタイルで文章を書けるやり方のことをWYSIWIG(ウィジウィグ)という。What You See Is What You Get(見たままが得られる)という意味だ。
もちろん、ウィジウィグだからMarkdownができないというわけではない。
というか、ここらへんのことをnoteエンジニアが知らないわけがない。Markdownはそれだけ書き手の信頼を得つつある記法だからだ。
noteは”邪悪”か
エクスポートも、Markdown導入も、他との差別化のためにあえて切るような機能ではないと、個人的には思っている。書きやすい環境、離れようと思ったらいつでも離れられる、記事のバリューはnoteではなく著者にあるという姿勢、どちらも望ましいものだ。
それらが実装されない、実装のためのロードマップに無い(そもそもロードマップが無いのでは)という環境下では、私はnoteのそういう姿勢はEvilだと感じる。
noteはまだブログではないし、記事を書くような場所ではない。
Twitterでは文字数が足らないときに使うもの、という感じが気がする。
だからこれを書きました。
まあこういう内容なら、消えてもいいかな、と。
The GUILDの方々やnoteの中の人はとてもおもしろいし、SNSでフォローしておくのが楽しいですが、
僕がnoteに記事を置く日は来ないようです。
適当な記事なら、これから書いていきたいと思います。記事書きにnoteで入れ込むのはしんどい。
いつかは使いたいサービスの上位には食い込んでいるので、心の片隅でお待ちしております。
無理ならMediumに行きます。