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【自己紹介】核は持つべきだよ(冷笑)
ボクにとって衝撃だったことがある。
それは高校時代に核を持つべきだと書いたら、殆ど点がもらえなかったこと。これはボクの周りのオウム真理教臭い数学が得意な連中たちもはんべそをかいていた。
核反対という頭の弱いことを書いている人が社会科でいい点をもらっているのだ。
流石にこれはほとんどの男の子たちは憤っていて、文系へいったら〇ぬというコンセンサスが半分以上の男の子たちへ伝播してゆっていたと思う。だから、ボクが特別というよりもボク以上に治安が荒れていて、理系のクラスとかは先生を大泣きにさせるなんてことは頻繁にあったという(ボクは現役時代は商学部志望、つまり文系だった)。
でも、これは今でも思うが、仕方がないことだった。
核反対なんて頭の弱いことを書いてその場で点を稼げることを「世渡りが上手い」というのは分かる。
そして実際に核反対と書いた元生徒会長は推薦で早稲田の文学部へ入ったのだ。
これ程絶望的に理不尽な社会は無いだろう。
それでもボクは核賛成へ判を押しざるおえなかった。
言っておくけど、しょうもない話でこれは「逆張り」だ。
ボクは当時も今も社会問題にさして興味がないから、優しさでみんなが核反対って書くんだろうなっていう予測から逆張り的に「面白がらせよう」と思って核賛成と書いた(そもそもプラグマティズム、核を持つか持たないかは状況によるだろう…)。
ところが、状況は違う。
なんかシリアスに核賛成派と核反対派がピリピリしているのだ。
これでボクは核賛成派に判を押す輩もマジでおかしいことに気づく。これが理系もしょせんはパズルを活用した政治運動にすぎないという数学政治である(©ボク頭良くないですよ。大西拓磨)。
大学には失望していた。
それでも大学を受けなければならなかった。
大きな声で言えないが、浅羽通明博士は甘えている。そもそも世間に適応過剰こそ病むバイアスはあるからだ(もっともガチャで成功した私が言える話でないが…)。
だが、統計上誰かが統計を超えた存在を演じる必要があるから私はあえて貧乏くじをひいてあげたのだ。
これが統計の数学政治の解き方だ。