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【加速主義批評】アーキテクチャの生態系と逆転オセロニアのデザイン情報.(カオスフォレスト遊)【新文学】


 濱野智史『アーキテクチャの生態系』にはSNSは統計的に人々は情報designされていることが書かれている.

 SNSで統計的に人々が精査されていることは良くも悪くも情報処理が権威だけでなく能力としてもヒエラルキーになっている所作なのだ(メリトクラシー).

   この事に気付いた濱野智史は『前田敦子はキリストを超えた』という本を執筆し人々がSNSと統計学のアルゴリズムに操作されるディストピアを乗り越えようと奮闘したものの冷笑されただけだった(プラグマティズム).

   冷笑された後の濱野智史さんを観たことがあるが,彼が言いたかったことはIT企業のサラリーマンこそが思想家/文学者/哲学者を担うことを意味していた(シンギュラティ/加速主義).

   ミシェル・フーコーのパノプティコン(規律訓練型権力)をリチャード・レッシグはアーキテクチャ(環境管理型権力)と大体読み替えしたが(SNSはマーケーターが人々を操ろうとしている),その大学的な微温さに怒り散らかしたのが,日本のマーケーター濱野智史である.

 彼の論理の実践家としては同じSFCの古市憲寿が役割を担ってしまったが濱野智史の理論は今なおアクチュアルを持つだろう.

   もっとも同じミスを図々しいながら私もした.私も前田敦子がキリストを超えたのように実践家としては不謹慎系YouTuberがキリストを超えたかのような飛躍があり,私自身はともかく世間には難しかったようだ.

 では,SNSを観測することで分かる「世間」とは何であろうか?

(浅羽通明).

 詳しくは私が以前書いたパノプティコンに譲るとして,今回は「世間」を進化生物学的に考えてゆきたいと思う.

進化生物学入門

  ダーウィンが『種の起源』を提出し,人間は動物と同じで認知心理学で動くという新しいパラダイムは重要だ.

   この認知心理学的な説明は曖昧にしか良くも悪くもSNSのアーキテクチャ(権力)を分析することしか出来なかった濱野智史の問題を補完的に説明することになるだろう.

 濱野智史の限界は一重にミシェル・フーコをアクチュアルに現代風に読み替えたところで止まっているからだ.

   認知心理学的な発想は男女の恋愛も結婚も論理的な構造があることを見つける点で構造主義にも近しい(©レヴィ・ストロース『悲しい熱帯』).

 もっとも進化生物学は構造主義の名人芸よりは使いやすいかも知れない.

   オススメは学校の生物基礎を片手にダーヴィンやリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』を軽く抑えながら,様々な認知心理学の本に触れることが大切である.

リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』は人間機械説を唱えて人々の動きは子孫を残す乗り物にすぎない事実をたたきつけた.オーソドックスな遺伝学なためオススメだ).
 
 また生物学は暗記だったり数式が少ないため世界観の難しさはあるものの「理系」入門として「暗記」し「世界観」を深めることで包括することができるだろう(理系が思想になることを極端に言えば言っている功利主義者や経済学,ゲーム理論を知覚する際の練習になるはずだ).

 まぐれとフラクタル(複雑系数学)

    ここからは様々に理系学問を横断しよう.

 世の中はランダムに動いている「まぐれ」が数式としてあらゆる場所にあり「まぐれ」をどう合理的に処理するか?は重要な目線である.

   ニコラス・タレヴがオススメだが,難しいと思うのでここは橘玲『読まなくていい本の読書案内』をオススメする.

   彼のアナロジー的な説明を借りれば今までの音楽や映画,文学が表現してきた狂気や奇跡はこのフラクタル構造やべき乗で説明がつくというのだ.   

  そしてミシェル・フーコーがアーキテクチャを構成するSNSが出る前にパノプティコンと呼んだように,ジル・ドゥールズが唸るリゾームはこのフラクタル構造によって塗り替えられているらしい.

    改めて述べるならば身長のように正規部分の世界ではどんなに高くても2メートルほどの勝者などがべき乗分布の経済や世界規模になると複雑な状況になり一人に沢山の富が集中したりするらしい(ハブ).

  ゲーム理論(行動経済学と功利主義)

 今まで話が難しかったが,ここからは話が簡単だ.

   ゲーム理論は究極に言えば情報designで,現実の動きのモデルを記号化しコンパクト化し整理させてみせたものだ.

   ゲーム理論は進化生物学的な問題やべき乗的な問題を整理する構文のようなものだ.

   もっともゲーム理論未満な中途半端さを持つ行動経済学から功利主義からは文系色が強まってくるので,やっぱり一度禊をくぐった遺伝学や複雑系数学のほうが安全かもしれない.

  あと西村博之よろしくノンポリやネオリベ的な人々がリスクを取れるほど言動一致してれば功利主義が,簡単な算数で分かる行動経済学やマーケット・デザインなどがあるだろう.

    改めて自己批判に戻ってしまうが,ゲーム理論(情報design)はともかく行動経済学や功利主義は個人最適には使えるがやはり社会に適応するには倫理やプライバシーの問題に抵触しやすい可能性はある.

  もちろん進化生物学はナチスに誤用された過去はあるしフラクタル構造も金融資本主義という現象を無批判に肯定するような右翼の側面は否定できないだろう.

   アメリカには思想はないかもしれない(いやあるのだが厚みが難しいかもしれない…).

    ニック・ランドやピーター・ティール,イーロン・マスクにマーク・フィッシャーにカリスマさとバズりさ,注目性はあっても,読み物としてフランス現代思想よりも面白くもなく,自己中心的で,ピーター・ティールの師匠/ルネ・ジラール(=岡田斗司夫『僕達の洗脳社会』)が提唱する欲望の三角形理論を殆ど超えていないだろう.

   なぜこんなことが起きるかと言えば起業家は本が読める必要はなく,IQや市場原理を手放しにすると超IQと極端な市場原理全開が上へいく可能性があるからである.

   こういう意味でもはや古典として悪い意味を含めて役割を終えた進化生物学やフラクタル構造などの複雑系数学に価値があり,それらをゲーム理論→情報designする言語化(本が読める)の方が重要.

   そしてもはや加速主義やシンギュラティは文学として嘲笑うべき気もしてくる.

 ここで大事な焦点はアーキテクチャと適切な優生思想によってインターネット上に擬似的な法律の精神や憲法の精神を生態系として意識しなければインターネットを活用することは不可能であるということである。

 1,SNSはメタバースプラットフォームとして冷笑的にゾンビや寄生虫,軍事兵器といったメタファーで援用されるように敗戦処理的に活用すべきだ.

2,インターネットとしてインターネット史としてアーキテクチャ史を勉強し直すとインターネットに規律が感じやすくなりながらインターネットの生態系を感じやすくなる.

3,ベタに取り組むべきはインターネットの外であるもののあまりに情報量の濃さゆえに整理されていない.代替ツールの「design」としてインターネットを駆使するべきだ.

  【ブックガイド】

   ちなみに日本の0年代批評と加速主義には類似性がある.

  加速主義を読むぐらいなら宇野常寛『ゼロ年代の想像力』はオススメだ.

 様々な世代論を訴えたYouTuberたちがかのようにデータ化され編集され情報化されて無力化されている事実に気づくだろう.

    また加速主義入門として浅羽通明『右翼と左翼』や『アナーキズム』『ナショナリズム』もオススメだ.

 この本は加速主義などの運動の歴史的なオーソドックスさに気づくべき冷水をかけてオリジナルの哲学を作ったと勘違いする起業家の自意識に目を覚まさせることだろう.

  

   

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