超 陽キャ哲学批評(批判) 〜Vtuber辻浦でも分かるWeb Writer古田更一。〜
元海外企業の古田更一です。
陽キャ哲学普及協会ことぱくもとさんの友達でも分かるように今何が起きているか解説しようと思います。
今はAIが1人の人間の知能指数を超えるシンギュラリティが来年、2025年にやってきます、Googleのカーツワイルや落合陽一曰く。
これはふざけたSFではなく現実に起きる話しです。
たとえば辻浦さんが行っているVtuberなんか典型的なシンギュラリティです。
すでにシンギュラリティの萌芽は起きています。
YouTuberも含めて。
ここで陽キャ哲学普及協会の立ち位置が一番難しい。
なぜならば、日本以外も世界中のエリート、特に西洋人こそがこのシンギュラリティ革命に適応できない人々もたくさんいるからです。
たとえば、大学だったり政治だったり語学教育。
AIが自動翻訳したりメタバース、SNS上で引き込もって発言してよいため、英語(外国語)の勉強は不必要ですし、もっと言えばAIイラストやAI音楽、更にはChatGPTが出てまして、もはやボクのWeb Writerですら無くなり、仮想通貨もあるんで、お金すら本当に既に無くなったり進化しています。
こんな時代には当たり前ですが、国際的である、社交的である意味は英語が話せることよりもSNS上のPV稼ぎこそが真の国際性になる。
あるいは、YouTuberがVtuberと話したり、または理系が文系と話すみたいな異種業種をTECHNOLOGYに頼りながら行うことが英語の代わりになる。
英語や大学はTVのプロパガンダに回収されるわけです。
もっともこの流れは落合陽一が魔法の世紀、まるで魔法だと定義する通り、理屈レベルでもう理解できない人々でも不可避にそうなってしまう。
たとえば、超 陽キャ哲学の問題点はサピエンス、人類における家族があったことと(生殖や村を中心にした)、近代以降の国民国家における家族を拡張したことをごっちゃにして語るため、そもそもの理屈が伴っていない。
だけど、シンギュラリティの変化をシンギュラリティが分からない人々に言語化するには初めから嘘を言おうとして言っているわけではないと分かるわけです。
そりゃあVtuberも新しいですし、不謹慎系YouTuber坂口章が何をしたくてあんなアートをするのか?意味不明なことと超 陽キャ哲学が論理破綻をしながらも何かを伝えようとしていることはなんら矛盾しませんし、同じことなのです。
では、超 陽キャ哲学の明白な問題点は何なのか?
それは、美に対する解像度の低さでしょう。
ぱくもとさんにはひいては辻浦さんにはアートの目線が低いと推測される。
なぜならば、シンギュラリティで起きる変化は何も国際、英語からIQによる格差の対話だけでなく、人間がAIに淘汰されないためにやることは美術になってくるからです。
この目線がどうしてもぱくもとさんよろしくFPもとこさんにも2人を後継したがっている稲葉くんにも足りません。
細かい話しは本は破れ!で書いたので詳細は省きますが、しかし、ここで厄介なのは、では、それならばトマホークよろしく学歴社不界隈はどうなんだ?になる。
あれらは、原理性、PROGRAM、情報処理、シンギュラリティに適応した最低限の情報処理能力しかない。
今、求められている教養は、IQ、ART、PROGRAM、この3つです。
シンギュラリティが加速しますと近代的な法律が機能しなくなるがゆえに、人間は超法規的な目線に立たないとメンヘラがすごく悪化してメンタルハザードを起こしやすくなっている。
もっともぱくもとさんの超 陽キャ哲学はすごくてメンタルハザード対策本ですが、メンタルハザード対策をしすぎているがゆえに、あくまでもIQで書かれたメンタル対策に過ぎず、美しく心そのものに向きあったり、PROGRAMMINGの原理構造まで新しい人新世を探求していないことが問題だ。
だから、稲葉くんがぱくもとさんに庇護してもらっている状態は本当はすごく良くない。
(もっとも仕方がないし、他責にされるから、余り茶々を入れたくないが)。
嘘の多重化はしょせんは陰キャであり、陽キャ哲学未満のアダルトチルドレンにすぎない。
もっとも可哀想だし頑張りざるおえないが、そういうお涙頂戴ではFPもとこがぱくもとさんを糾弾する構図となんら変わらない。
そして、偽善者なぱくもとさんが稲葉をかばうなら、ポジション的に問題あるぱくもとさんを攻撃する老害のFPもとこをボクは庇いざるおえない。
もっともそれはそれで構わないが、本質は稲葉もFPもとこもかばってはいけない(FPもとこは嫌いではないが、ボクは泣く泣く彼女に冷たく当たらないとならない)。
庇わなければいけないが、本当はぱくもとさんに稲葉は牙を向いているし見下しているんだという真のIQ同士の対話はある(もっともぱくもとさんに稲葉こそ貴方と対立していると話したら面白いじゃん!ボクを超えてみてよ!って喜んでいましたがw)。
ようするに、テクノロジーが加速すると、右傾化し、国内で分断が起きるから、英語よりもIQによる横のコミュニケーション力が求められるし、旧帝大的な工学的軍事理解のPROGRAMが重要になるし、法律を超えた先の歴史的な哲学文学がベタに重要になってくる。
何を話したいかと言えば、稲葉は甘えている。
そして、甘えながら、ぱくもと潰しに燃えているわけ(笑)。
つまり、甘えるのは構わないが、parkunとかは余りに露骨に困るわけですよ(笑)。
単に落ちこぼれであり、落ちこぼれは落ちこぼれで構わないんだけど、彼らたちこそ非左翼的、ヤンキーに優しくない。
むしろ坂口章や陽キャ哲学、Vtuberなどを冷笑している右翼であり受験メモリー依存症患者にすぎない。
オレがあれだけ話しても法学部や地元に居座るのを見るとああって感じ。
もっとも実力の低さは悪いとは思わない。
しかし、それは立場が違えばFPもとこが頑なにぱくもとさんを性的対象に見て、断ったら、ぱくもとさんを頑なに排斥する女の態度と変わらない。
陽キャ哲学が能動経済にしっかり勝つには稲葉=FPもとこは半分否定せざるおえない。
ようは、子供の資本主義者たちはただ儲かるからぱくもとさんの話しに群がっているだけで、両面宿儺に主人公が立ち向かう構図は現実では悲劇だ。
日本の問題は未だに保身的すぎる受験メモリー依存症にある。
そして、より深刻なオワコンな学歴厨はトマホークよりもトマホークに憧れちゃうような非高学歴の痴呆な地方のエリートたち(ともだちだとも&メンフィス)のほうが深刻だ。
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