何者にもならないという選択
うちにはテレビがないのでNHKが見られないのだが、「あさイチ」にスーさんと美香さんが出ていたみたい。
ぐぬぬ、と思いながら美香さんのポストを遡っていたら、懐かしい名前がそこに書かれていた。
「自分は文章を書く人になる」
物心がついた頃からそう思っていたし、揺るがなかったし、本当にそうなると思っていた。
大学時代にライターっぽいことをやってみたり、ブログを書き溜めたり、マックでアルバイトをして過ごしていた。
就職活動はまんまと迷走し、就職氷河期を謳歌していた。
絶対に受かるはずのない大企業にエントリーシートを送りまくっていたある日、とある企業の1次試験で筆記試験とグループワークを受けた。
そのワークで一緒になった人と仲良くなったんだけど、記憶が曖昧で別の企業面接で一緒になったんだか、その企業の2次面接で再会したんだっけ。ハテ。
mixiやらFacebookを経て、細くつながっていた彼と再び会ったのは、私が広告代理店を辞めて、上司と一緒に会社を立ち上げてすぐだったと思う。
すでに彼は界隈では名が知られるようになっていて、業界誌にもちょこちょこ取り上げられていた。
「一緒に仕事ができたらいいね」
そう言って目黒のカフェで別れたのが最後。もう10年以上前のこと。
私の周りには、自分の力で「何者か」になっている人が何人もいる。
相談を受けたこともあるし、一緒にご飯を食べて愚痴を言い合ったこともある。
その時は同じ場所にいて、同じ時間を共有していたけれど、いつの間にかみんな「何者か」になっていた。
定義なんてものはないけれど、雑誌や新聞、ラジオなどのメディア(SNSやネットニュースは除外)に取り上げられているみんなを見ていると、そうなりたかったと羨む自分がこっちを見ている。
40も過ぎて未だにそんな気持ちが渦巻いている。
その気持ちを抱えながら、強がりでも言う。
私は、「何者にもならない」という選択をしたのだ。