眠くなるのに理由はいらない。【オタ活のすゝめ】
コンシューマーゲームができなくなった。
昔はかじりつくようにやっていた。10代の体力を徹夜に注ぎ、1週間で何十時間。フラゲして発売日にはもう十数時間、なんてことも普通にしていた。
けれども今は絶対に無理だ。体力がない、気力もない、ゲーム実況で十分だし、ゲームにお金も使いたくない。何より今は評価がバラバラで、何を買っていいかもわからない!
なんてのはぜーんぶ嘘だ。
考えることが増えたのだ。将来とか仕事とか、それこそ他の趣味もできて、ゲームに注げる余裕がない。実際問題夏休みとかになればコンシューマーにだって手が出せる。
それは体力があるとかではなく、単に時間が余ってるからだ。他のことを考えてもまだ余りある余裕があるからそれもできる。ただそれだけだ。
しかし熱中していた分、少し離れただけで何故だろうとか、自分には合わないものが増えたのかとか、お金がどうだ体力がどうだ気力がどうだとか考え出す。
そんな整合性を求め出すうちにネガティブな言葉が出てきて、仕舞いにはコンテンツの側が悪いとか、そんなことを言い出したりもしてしまう。
でもやっぱり冷静に考えると、今はそれに興味がない。ただそれだけなのである。
なのだけど、ここでまた一つ面倒くさいものが浮上する。それがSNSだ。
リアルとは違うコミュニティーがもう一個あって、ゲームだろうがアニメだろうが、とりあえずその好きなもので築いたコミュニティーが一個広がってしまっている。
何分自分で築いてしまった分、いざ興味がなくなってきた時にバツが悪い。本当は余裕がないだけとか、今はその時じゃないとか、本当にそんなしょーもない理由でしかないのに、浮上しないことに意味を見出そうとして、どんどんネガティブに染まっていく。
抜けることに理由がなければいけないわけではなく、理由がある方が元いたクラスタは辛いのに、なぜかそっちに走ってしまう。
意味がないとは思いつつ、理解できる部分もあって、何かと辛い。自分自身にそれがなかったかと言われると、恐らくそれはあったから。
ただ、一回好きになったことがある以上、ライフステージが変わったり、余裕が生まれたり、きっかけさえあれば大体戻ってくる可能性はある。新卒で余裕がなくなった新社会人が3、4年後またふらーっと戻ってくる。なんてことも散々見てきた。
だからこそなおさら、『抜け忍』みたいなやり方はやっぱり良くないと思うのだ。 抜け忍になる必要はないし、ゆったり見てくれるだけでも良いし、「冬眠します」なんて宣言でもいい。
自分が好きなものから離れる人がいるのは悲しいし、多分離れる方ももどかしさを感じてるだろうから、なおさら意味がない。
今は興味がないだけ。
それだけの事実に、理由をつけるのはもったいないよ。
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