【ネタバレ】「SANABI」はいかにして2023年No1のゲームと称されるようになったか   ~このシナリオが「ゲーム」でなければならない理由の解剖~

2023年も最終盤、年末に現れた韓国製インディーズサイバーパンクワイヤーアクションゲーム「SANABI」は瞬く間に口コミで評判が広がり、「2023年の最高傑作だ!」との呼び声も多く挙がっている。

もちろん私自身もこの盛り上がりを受け早速プレイしたが、
その緻密に作りこまれたシナリオがあまりにも「ゲームであること」を前提として作りこまれている事に感銘を受け、いかに素晴らしいものであるかを大声で叫びたくなったため以下に文章として残させて頂きたい。


①「起」を偽装する巧妙さ

このゲームをプレイし始めた頃、殆どのプレイヤーはこう思ったはず。
「ああ、娘を殺された父親を操作して復讐をする物語なんだな」
と。
ある程度この手の物語に触れてきた人であれば、
重要そうなキャラとしてマリが出てきたあたりでもう
「もしかしてこの子の存在によって復讐をやめる?」
「ていうか実は娘では?」
くらいまでは想像できてしまうかもしれない。

しかし、プレイヤーの認識として根底にある「幸せなチュートリアルの最後に娘が眼の前で爆死する」「直後のシーンでマフィア組織を惨殺する」という強烈なイベントによって巧妙に思考を誘導され、少なくともプレイ開始時に操作キャラとして心が重なった主人公の復讐心すら偽物であるとはなかなか思い至らなくなっている。
また、作中で語られる「数百万人の人間が何の痕跡も残さずに消えるという巨大な謎を提示すれば、細かい違和感には意識が向かなくなる」という主人公に対する工作はプレイヤーにもそのまま作用する事になる。

それによってプレイヤーと操作キャラクターの間に、歪められた記憶と認知によって復讐心に突き動かされて(ステージをクリアして進めて)しまったという奇妙な共犯関係が生まれ、中盤以降のシナリオへの完璧な導入となっているのが素晴らしいの一言。
これはアニメ漫画映画小説では表現できない、
プレイヤー=操作キャラクター=主人公なゲームコンテンツならでは
の手法である。

②ゲームタイトルとBGMというメタ要素

ゲームをプレイするにあたって最初に目にするのがゲームタイトルであり、「SANABI」という聞き馴染みの無い固有名詞。
この単語が初めてゲーム中に出てくるのは娘がトランシーバー越しに爆弾に書いてある文字を読んだシーン。
次にマフィアに対してサンナビについて知っている事を話せと言うシーン、そしてサンナビに会ったことがあるのは主人公だけと語られるシーン。

この時点で「娘のカタキの悪いヤツ、多分ラスボス的存在なんだろうけどその名前がゲームタイトルってどういう事?」と違和感を覚えた人はいないだろうか?実際自分と、プレイしている所を見守った友人は同じことを考えていたようだった。
しかもこの単語、物語の真相が明かされる最後の最後まで全然正体がわからない。
その違和感はより巨大な謎によってプレイヤーから覆い隠されてしまう。
仕組んだ者達の狙い通りに。

このさも重大な意味のありげな「サンナビ」という言葉が、言ってしまえば大した事ではない、街一つ消滅したり国家転覆計画だったりに比べたら本当に矮小な「親子でハーモニカを演奏した曲の名前」でしかなかった。
だけどそれは人の記憶を操作する科学者にすら不可侵な聖域で、それ無しでは人格データが崩壊する程奥深くに根付いた大切なものだったという展開は涙腺を直撃して思わずマイクをミュートにしたものだった。

そしてゲームをクリアしたプレイヤーが最初に目にするのは何かといえば、ゲームを起動する度に目にしていたあのタイトル画面とタイトルBGM
人によっては細かくプレイして何度も目に、耳にしていただろう。
お気づきの方も多いだろうが、ハーモニカで演奏した「サンナビ」のフレーズはゲーム中のあらゆる所にずっと仕込まれていて、例えば最初にマフィアを惨殺しているシーンで流れている曲はかなり歪めたサンナビのフレーズが入っている。
これは深層心理で「最後までやりきる事が重要なわけじゃない」という意識が復讐心を阻害しようといているのを表現しているのだと思う。
それを裏付けるように終盤にワーカーの姿で、偽りの復讐心ではなく、自らの意思で下層からマリのいる上層を目指すシーケンスで流れるステージBGMはより鮮明にサンナビのフレーズが使われていたりする。
このサンナビのフレーズが最も直球で流れるのがタイトルで流れているBGMである(サントラも買ってね!)

「SANABI」

つまりこのゲームのタイトル画面では思い出の曲と、そのタイトルが表示されていた。ずっと、最初から。

これも物語終了後にタイトル画面を表示するのがお決まりになったゲームならではの演出だと思った。
ゲームによってはクリア後にタイトル画面が変わる作品もあるが、この作品はタイトル画面はそのまま、プレイヤーの「認識」の方を変える事で全く違う画面に見えるようにしているのもまたお見事...

③プレイヤーによって駆動するシナリオ

このゲーム、とにかく褒めたいのが「シナリオを一旦全部とっぱらってもアクションゲームパートが面白い」部分。
得てしてシナリオとゲーム部分はトレードオフだったりするものであるにも関わらず、である。

これが最も効果的に使われているのが先述のBGMの部分でも触れた
「ワーカーの姿で、偽りの復讐心ではなく、自らの意思で下層からマリのいる上層を目指すシーケンス(この一文書いてて涙出てくるからもっかい書いた)」だと思う。
アクションゲームの終盤にてフルパワーとなった操作キャラクターで今まで苦労したギミックをガンガン突破していく展開は半ばお約束となった
「嬉しい」展開だが、ここに「プレイヤーのスキル」が加わる事によって
最高のカタルシスを生み出すように作られているのがこのゲームである。
序盤から中盤にかけて操作に四苦八苦しながら進んだエリアを、
全操作が解禁された状態のキャラをすっかり慣れたワイヤーアクション操作で駆け抜ける。
もう自分が何者なのかも知ってる、
マリが何者なのかも知ってる、
かつての戦友も見送ってくれた、
やることは一つ、「マリの元に辿り着いて本当の父親になる」だけ。
否が応でもブチ上がるテンションは主人公の意思の強さとシンクロし、
終わりへ向かう物語をプレイヤーの手によって最高速で駆動させる

これもゲーム部分が面白く無いとダルいだけで、いいから早くシナリオ読ませろとなってしまいかねない。
特にこのゲームはパワーアップ度合いも障害物を無視して空を飛べるようなレベルでは無く、発生が早くなり飛距離も伸びたタックルを駆使できるくらいのものであるため尚更である。

④「ゲーム」でなければならない物語構造

最後までやり遂げることが大事ってわけじゃないの!

このゲームの物語において最も重要で印象に残るセリフ、
最後までやり遂げる事が、大事ってわけじゃないの
やり遂げる”という言葉、ゲーム中では
・ハーモニカで曲を最後まで演奏すること
・与えられた役割を完遂すること
を重ねるように使用されているが、もう一つ
プレイヤーがアクションステージを進め、クリアすること」も意味として含んでいると感じた。

海外製のインディーズゲームをプレイするようなゲーマーであれば、シナリオが良い!と評判になっている事を理由の一つとして購入したとしても「アクションステージを最後までクリアする」事を目的としてプレイ開始しているものだと思うがどうだろうか?
それが娘の仇である悪人を討つというシナリオと認識している頃であれば尚更である。そんな巨悪は復讐者=プレイヤーの手で倒されて当然である。
やり遂げる事が大事だ。

だが、真相が明らかになるにつれてプレイヤーの目的はアクションステージをクリアする事ではなく、物語の結末を迎えたい、キャラクターの未来を見届けたいという事に変わっていく。
これがアニメ漫画映画小説であれば、読み進める、見進める事はできるが”やりきる”という表現は受け手には当てはまらない。
繰り返しになるが、「やり遂げようとした」プレイヤーは偽りの復讐心に突き動かされた主人公の共犯者となっている。

そういえばこのゲームには「ラスボス」が不在だ。
普通この展開だったとしても原子炉の融解を阻止しようとする主人公の前に立ち塞がる最終防衛システムでもいた方が自然である。
(ソン少佐に出落ちさせられた最終解決プロトコル女神像巨大ロボ、
戦ってみたかったな・・・当初ラスボスとして配置するためのデザインだったりして)
しかし、あえてそれを用意しなかった。
「やり遂げる事が大事じゃない」から、「何をしたかが大事だ」から。
父親としてマリを赦し、抱きしめる事が大事だから。

最後に

感動とは潜在的な罪の意識から来るもの、という持論がある。

ゲーム序盤で復讐心に突き動かされた罪は償えただろうか?マリを遠ざけて自己犠牲を遂行しようとした事は精算できただろうか?

もし自分が”将軍”だったら、やり遂げる事ではなく何をしたかが大事と
気付けただろうか?本当の父親として娘を赦し抱きしめられただろうか?

そういった事を考えた時、プレイヤーは涙したのではないだろうか。


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