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春夏秋冬そして春~蛇が梵字になる世界

映画化不可能な小説というものがあり、小説化できない映画がある。誰も目で見たことのない生命宇宙を見る。

キム・ギドク 監督、脚本、編集、出演
2003年9月19日 韓国公開
2004年10月30日 日本公開
原題訳 春夏秋冬そして春
英題 Spring, Summer, Fall, Winter...and Spring
宣伝文「魂が震え、心が泣く。美しく感動的な人生の四季の物語」

 本作においては謎はなく、ただキム・ギドクの芸術世界の深淵を覗いていればよい作品である。以下、解説はしたが私の感想ぐらいにお読みいただきたい。

 最高傑作の1本なのは間違いないが、本作の世評の高さは、物語がシンプルでわかりやすく、キム・ギドクの凄みが伝わりやすいところにあるのではないか。誰もみたことのない映画を撮りつづけるという宣言どおり、好き嫌いは別として、よく観ればどの作品からも凄みは感じられるはずだ。アバンギャルドでありながらエンターテインメントというビートルズのような映画監督なのである。私は一人でも多くの方がそれに気づいていただけるように願う者なのである。

 前作『コースト・ガード』(2002年)が教条的だった反省か?それは着想の前後関係がわからないのでなんとも言えないが、これまで映画のなかで何人殺してきたかかわからないキム・ギドクが、はじめて命を描いている。

 『魚と寝る女』(2000年)製作時には、すでに本作の着想はあったかもしれない。少なくとも東洋的生命観をメインテーマにする映画を撮りたいと思ってはいたはずだ。

 『魚と寝る女』にモチーフとして登場した輪廻転生(生命の循環)は、和尚様が蛇に転生しただけでなく、寺にいた犬がニワトリになり、猫になることにも現れている。これは不死(=生)を描いたということでもある。

 内部にある小宇宙とその外部にある大宇宙をつなぎ、中心は創造の源泉、神性、永遠を表す曼荼羅は『魚と~』では、舟と女性で表されたが、今作ではどこに描かれたのか。それは舞台となった主人公の世界そのものである。

 四季があり美しく色を変えながら生命を保ち続ける木々。それを抱えた不動の山々が囲んでいる魚の棲む湖(水は生命の源)。その真ん中に揺れる寺がある。寺の真ん中に金魚が棲む水鉢があり、小さな石仏がそこに置かれている。そこで主人公は石仏とともに生きている。主人公が山の中腹にある巨大な石仏に登って湖を見下ろすのは、この世界が主人公の内面世界であることを示している。和尚様は主人公のために魂の暗喩である石仏を磨いているのであり、主人公は寺から出るときに持ち去るのである。
 宣伝文に即していえば「美しく感動的な」のは「人生の四季の物語」にあるのではない。この円環する世界の不思議さ、誰も目で見たことのない生命宇宙を見た感動に「魂が震え、心が泣く。」のである。

 『魚と寝る女』の男が、転生したのがこの主人公の姿だと考えれば、また嫉妬による事件は繰り返されたのであり、さらに大きな円環構造が描かれていることになる。

 映画化不可能な小説というものがあり、小説化できない映画がある。
 村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」が前者、『春夏秋冬そして春』が後者である。『悪い男』(2001年)の解説で、暗喩という視点から共通する資質を指摘したが、ともに内面世界を静かで美しい物語に仮託した傑作を残してもいる。

 ひとつだけ観客が疑問をもつとしたら、主人公が菩薩像を山頂まではこぶ理由だろう。これは子を残して逝った母の魂を慰め、涅槃に送り遥か眼下の我が子の成長を見守れるようにし、彼自身も残された赤子が安寧に育つことを願ったという意味である。

 東洋的生命観。これに伴う仏教美術の多用。実際にはこの順番は逆だったかもしれない。仏教美術を映画化するために、この脚本を書いたのだと思われる。だからすごいのである。それだけで、これほどイマジネーションに溢れた作品になってしまうのだ。この作品においてキム・ギドクは脚本家より、画家であることに心血を注いでいる。私が美術化された映画というのは本作と死をテーマにした次々回作『うつせみ』を体験しているからだ。


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