ビューティフル(キム・ギドクはどこまでキム・ギドクか①)
キム・ギドク 製作、原案
チョン・ジェホン 監督、脚本
2008年2月14日 韓国公開
2008年7月13日 第22回福岡アジア映画祭最優秀作品(劇場未公開)
(タイトル『美しすぎて…』)
2008年2月17日 第58回ベルリン国際映画祭パノラマ部門出品
原題訳 美しい
英題 BEAUTIFUL
宣伝文 「あなたの美しさは、僕を狂わせる」
キム・ギドクの原案は、前年に女性の美を題材にして撮った『絶対の愛』から派生したと考えてよい。
『ビューティフル』は、それをチョン・ジェホンが脚本化し監督した作品と言える。明らかな『絶対の愛』のエピゴーネンにみえる。
原案も脚本も知らずに失礼な話だが、本人が脚本化していたらと想像し、キム・ギドクらしさについて考えてみたい。
主題はナルシズム。ストーリーラインは次のとおり。
①主人公は自他ともに認める美しい女性。
②彼女は信奉者であるストーカーに凌辱される。
③自分の美しさを疎ましく思い、精神的のバランスを崩す。
➃事件に係わった警官も彼女の虜になり、陰に日向に彼女を見守る。
⑤警官も意識不明の彼女に銃を握らせ、同じ罪を犯す。
⑥彼女は恐怖で引き金を引いて殺してしまい、正気を失って駆け付けた警察に発砲し、射殺される。
1 映像表現
両者に大きなちがいを感じない。漫画でいうと、アシスタントが描いたよう。絵画のインサートがあり女性にカメラを振るところなど、師匠の手本どおり。
一方、師匠なら凌辱後の場面は、水仙が敷かれた床で放心する女のバストアップの決めた絵になりそうだ。ストーカーが持ってきたのが1輪だとしても、それがトリッキーな演出になるはずだ。
2 登場人物の記号化(属性の明示)
ストーカーによるナルキッソス(ギリシャ神話)の記号化が明解すぎる。先に言った決めた絵を入れれば、全裸で花と戯れるといった、あからさまな種明かしは不要だ。
で、ありながら水仙を使わず、百合にした理由がわからない。花言葉の「純潔」でも、シュークスピアの「腐った百合は雑草より臭う」にしても付加価値にはならない。
警官は記号どころか、役どころもわからない。
最初から観客に警官を変態にみせておいて、意識のない女に覆いかぶさって「愛している」と言わせたからといって、真実の愛にはならないのだから、男性のナルシズムへの言及としか思えない。
ドラマの基本は対立構造だが、登場人物全員がナルシストではストーリーとして成立しても、内実が感じられない。
女優の役どころもはっきりしない。
鏡のなかの裸の自分に微笑んだり、恋人がいないという設定で、自分にしか興味がないことは早い段階で気づく。目を見張るような美人でないため、
「誰にでも自己愛はある、全ての称賛は彼女の幻影だ」と解釈はできるが、
中途半端でそこがよくわからない。
(これに関しては『プンサンケ』(2001年)の主演女優で、華があるキム・ギュリがスケジュールの都合がつかなかったということで、女優に合わせて脚本をいじった可能性がある。)
キム・ギドクなら、人間ドラマを描いた初期作を除けば、記号でない人物は登場しない。
3 女優の選球眼
ストーカーが裸になった以降は、ただただこの女性が破滅するのを見せられている気分になる。絶世の美女が世にも醜く変貌するのであれば、スリラーとしての牽引力になっただろう。
キム・ギドクなら、脚本以前にこの女優は使わない。
4 まとめ
チョン・ジェホンは前述の『絶対の愛』でスタッフになったばかり。監督としての力量は、キム・ギドク脚本の『プンサンケ』が証明している。
私がここで言いたかったのは、キム・ギドク原案とキム・ギドク脚本のちがい。映像がキム・ギドクっぽいから、『ビューティフル』はそれがよく見えるということ。逆照射しているようで興味は尽きない。