高遠弘美『楽しみと日々──壺中天書架記』のまわりで
プルーストのいる街角
大野ロベルト
十代の終わり頃から、近代文学の作家たちの小説の端々や、澁澤龍彦などのエッセイの片隅にちらほら登場するマルセル・プルーストという名前と、それと必ず対になった『失われた時を求めて』という題名に、抑えがたい関心を抱くようになっていた。どうやら二十世紀からこちらの文学に、いや、芸術全般に決定的な影響を与えたらしい金字塔の片鱗が、愛読する書物のそこここで、眩しい光を放っては目を射るので、その正体を知りたくてうずうずしていたのである。
最後の後押しをしてくださったのは、週に一度の楽しみだった西洋美術史の講義を担当されていた塚本博先生だった。どこか昭和の大物政治家を思わせる、厳かだが親しみやすい独特の口調で、次のようにおっしゃったと記憶している。「諸君も一度はプルーストを読んでごらん。コーヒーに落としたミルクが渦を巻いて溶けてゆく。あるいは、土砂降りの雨に打たれて、窓の向こうの世界が歪んでしまう。そういった景色が、プルーストを読む前と後とでは、決して同じに見えるということがないから」。古本屋から『失われた時を求めて』を全巻揃で取り寄せたのは、それから間もなくだったろう。
美しい水色の、キース・ヴァン・ドンゲンの挿絵に贅沢に彩られた瀟酒な造りの鈴木道彦訳『失われた時を求めて』が手元に届いたことがよほど嬉しかったのか、私はご丁寧にも写真を撮っている。日付を見ると2004年11月18日とある。また読書記録によれば、最後の第13巻すなわち第七篇の「見出された時」Ⅱ巻を読み終えたのは2006年3月13日である。そのおよそ1年と4ヶ月の間、私は毎晩すこしずつ頁をめくり、全巻を読み通したのであった。巻頭から掉尾まで、すべてがおもしろく、一瞬も退屈とは思わなかった。間違いなく、人生で最も幸福な読書経験であった。いや、過去形は似つかわしくないだろう。それは私とプルーストの、未だに続く永い蜜月の、最初の一区切りに過ぎない。
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その頃、私は『枕草子』の構造を論ずる卒業論文を書きつつあったが、そこにもさっそく『失われた時を求めて』を引用している。なぜというに、普通の意味での言葉がいわば詩的言語へと変容するその過程を扱うところに『枕草子』の面白さがあると考えていたからで、これはそのまま、『失われた時を求めて』の中心的な機構でもあるからである。
具体的に述べよう。『枕草子』を書いた清少納言は、偉大な歌人、清原元輔の娘である。そして、だからこそ、積極的に歌を詠むことをしなかった。中宮定子の「元輔が後といはるる君しもや今宵の歌にはづれてはをる」という試すような問いかけには、「その人の後といはれぬ身なりせば今宵の歌をまづぞよままし」と応じている。現代風の会話に置き換えてみれば、「あなたが歌を詠まないのは、元輔という有名歌人の子だからでしょう」と言われ、「ええ、さもなければ、まっさきに歌を詠んだでしょう」と返しているわけだ。
父と比べられ、野次馬どもに才能の多寡をあげつらわれるくらいなら、自分は散文で書いてみよう。この決意こそが『枕草子』の源であると私は思う。
だから清少納言が上のようにと書くとき、そこにはただ山の名が羅列されているわけではない(そんなものを、いったい誰が面白いと思うだろうか)。これらの山の名には、ただ歌枕というばかりではなく、過去に読まれた歌のイメージを解放する「鍵」としての機能があるのだ。一つずつ見ていきたい。
最初に名の挙がる「小倉山」は、嵐山に向き合う紅葉の名所であるという。だが目を(耳を)向けるべきは、むしろ音のイメージである。
このような歌を見ると、「おぐら」山には「くらぶ」山に通ずる暗さの表象としての側面がありそうだし、さらに、
をはじめ、和歌において「おくら」という音節が並ぶとき、それはしばしば「露」や「霜」が袖に「おく」ことを想起させ、平安の人々がまとう衣装の大きな袖をしとど濡らす、別れの涙を現前させるのである。
こうして小倉山という「鍵」によって解き放たれた暗さと悲しみの空気は、以降の山の名にも着実に引き継がれてゆく。奈良との境にある「鹿背山」と、春日山の峰の一つである「三笠山」においても反復される/kas/の音は、「かさ」となって辺りを覆う。「このくれ山」はその「笠」の下に生まれた「木の暮れ」を喚起するが、この山の実在は不明で、むしろ一連の山の名からの連想を補強することに眼目があると思われる。次の「いりたち山」にしても具体的な山としての素性は知れないが、「いりたち」が「女のもとに親しく出入りすること」つまりは「深く立ち入った」人間関係を示唆する以上、そこから浮かんでくるのはやはり奥山の寂しい暗さであろう。
そのような風景にふさわしい暗澹たる思いをもたらすものは、むろん心のすれ違いである。ここで再び「鹿背山」に戻るなら、この歌枕に結びついているのが「衣」のイメージであることは次の歌などで知れる。
衣の貸し借りは、心を通わせた男女にとっては相手の分身を手元に置くための手段でもある。「鹿背山」の「貸せ」よりもさらに傲慢に映る「このくれ山」の「くれ」を経て、すっかり深入りしてしまった「いりたち山」の二人の関係を思えば、さらに続く山の名が「わすれずの山」であることに不思議はない。相手をいつまでも「忘れず」と誓った気持は決して軽いものではなく、「末の松山」の名にかけても構わない、と思わせるほどのものである。ちなみに「末の松山」と聞けば、当時の読者は間違いなく清少納言の父・清原元輔の
を思い起こすだろうから、これは作者から読者に対する、ほとんど煽情的な皮肉とも言えよう。
さて恋には遅かれ早かれ変化が訪れる。「かたさり山」にある「かたさる」とは、身を引くことである。「どういうことだろうとおかしな気がする」と語り手がめずらしく感想を漏らすのは、山が動くという情景が滑稽だからだろうか。それとも、永遠を誓ったはずの自分が、いまや身を引こうとしていることを訝るのだろうか。いずれにせよそうなってしまっては、「いつはた山」にあるように「いつ、はた」と、「かへる山」の名の通りに「帰る」のかどうかもわからぬ相手を待つことは、これ以上ない苦行である。
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このように『枕草子』は、随所で日本語の表現のエッセンスともいうべき歌ことばを駆使して、歌を詠まずして物語を紡ぎ、ひいては仮名による表現の地平を拓くという、何とも知的かつ大胆な試みであった。だから『失われた時を求めて』で私が以下のような場面に出くわしたときに、そこに文明も時代も超えた文学の本質を見たことは言うまでもない。ここでは高遠訳を引こう。
ここに並んだ土地を訪れたことがあろうとなかろうと、読者はそこに語り手の夢や思い出と結びついた「名」の力を感じずにはいない。山の「名」を通して、清少納言がやってのけたことと同じである。平安京の貴族という限られた読者を想定した『枕草子』では、さらに極端な、「名」以外の記号をすべて削ぎ落とした表現が許されたまでのことだ。
もちろん「鍵」は地名に限らない。私たちがいかに「鍵」を濫用して世界を眺め、いかに「鍵」を基礎として人間関係を築くのかについて、プルーストはひたすら論証を重ねる。一つだけ例を挙げるなら、以下のような美しい箇所。
若かりし日のスワンと、のちに妻となる高級娼婦オデットが、愛を深めてゆく場面の一節である。恋人との間に、二人にしか通じない、幾重にも意味の畳み込まれた符牒を持つことは誰にもある。おそらくその符牒の連続こそが、私たちが人生と呼ぶものなのであろう。
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日本の古典文学を研究していてさえ上のような仕儀であったから、西洋の文芸作品を翻訳紹介するようになってからは、いよいよ方々でプルーストと再会を繰り返している。なかでも直截的な関係をもつのが、モーリス・サックス(1906–1945)の『魔宴』(1946)である。代表作が死後出版であることからも察せられるように、一癖も二癖もあるサックスは波乱の生涯を送ったが、突き詰めればその素顔は有名な作家になることを夢みる文学青年であり、なかでも渇仰したのがプルーストであった。自伝的な小説である『魔宴』でもプルーストは至るところで言及され、とくにある章では、主人公はアルベール・ル・キュジアが経営する娼家に通い、そこに残るプルースト旧蔵の家具や書物を愛おしく見つめるのである。ル・キュジアは、『失われた時を求めて』に登場するシャルリュス男爵に仕えるジュピアンのモデルとなった人物だ。本文からすこしだけ引こう。
この章ではしかも、『失われた時を求めて』からの引用も複数なされている。つまり『魔宴』を訳す過程で、私は恐れ多くも(!)、プルーストの小説を訳すことにもなったのであった。
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このような歩みの果てに高遠弘美氏の『楽しみと日々』を手にとった私が、いかに文字通りの「楽しみ」に浸ったかは、すでに明らかではないかと思う。
本書は八つの「街区」に巧みに整理されている。巻頭はもちろん「プルーストの花咲く街」。そのさらに劈頭を飾る、『産経新聞』連載のエッセイ「プルーストと暮らす日々」に、間違いなく本書の魅力は凝縮されているだろう。学生時代のプルーストとの出会いから、パリで在外研究の日々を送る現在までを、ふと目にした光景や手にとった書物から間歇的にプルーストへと回帰しながら語り継ぐ66篇は、あたかも『失われた時を求めて』の頁の隙間から生まれ落ちた、もう一人の「語り手」によって語られるかのようだ。
自身とプルーストとの交遊の記憶を何度も振り返りながら、人生の、研究の道の大先輩である高遠氏に対してすっかり仲間意識を育んでしまった私は、そのまま続く論考「『失われた時を求めて』の冒頭について」を読み始めた。あの有名な書き出し(高遠訳では「長い間、私はまだ早い時間から床に就いた」)をめぐる詳細を尽くした議論に引き込まれつつ、自分でも気になっていた点(とくにbonne heure とbonheurの響き合いなど)に話が及ぶと、膝を叩いて快哉を叫び、さらに先へ先へと、頁を繰らずにはいられなかったのである。
残る七つの街区について、口はばったい案内人の役を務めることは遠慮したいが、プルーストの種から芽吹いた「よろずの言の葉」は、800頁を優に超える本書の幕切れまでついに萎れることがなかった。氏の敬愛する人々(石川淳、種村季弘、竹本住大夫)や作品(千夜一夜物語、ルバイヤート、マルテの手記)に関する、ときに個人的な思い出を交えた多彩なエッセイは、最良の読書案内となること間違いなしである。また、これまでに氏が訳された膨大な書籍の解説が多く収録されているのも有り難い(かくいう私も、ロミの『突飛なるものの歴史』(作品社、1993)の訳文で、初めて氏の仕事に触れたと記憶している。それが昨年、国書刊行会から出た『吉田健一に就て』では、図らずも氏と「共演」を果たしてしまったのだから、なんとも不思議な気分である)。なお、最後の街区「遊園地のある街」では、氏の詩作も味わうことができる。まったく至れり尽くせりの一冊と言うほかない。
装訂の軽やかさもあって分厚だが持ち重りのしない本書を読み終えたとき、私はとくに寂しさを覚えなかった。それは本書が再読に耐えるもので、自分がいつでもそこへ戻ってゆけると確信していたから、というだけでなく、高遠氏の案内してくれたプルーストのいる街角が、すでに私の世界と地続きになっていることを知っていたからである。それは『失われた時を求めて』を読み終えたときのことを、懐かしく思い出させてくれる感覚であった。
執筆者プロフィール
大野ロベルト(おおの・ろべると)
1983年生まれ。法政大学国際文化学部准教授。著書:『紀貫之──文学と文化の底流を求めて』(東京堂出版)、『塔のない街』(河出書房新社)。訳書:コルヴォー男爵『教皇ハドリアヌス七世』、ジャック・ダデルスワル゠フェルサン『リリアン卿』(以上、国書刊行会)、チェンティグローリア公爵『僕は美しいひとを食べた』、モーリス・サックス『魔宴』(以上、彩流社)ほか。
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