映画評「僕は猟師になった」
京都の罠猟師、千松信也氏を
取り上げたドキュメンタリー映画
「僕は猟師になった」を見に行った。
京都の市街地から車で20分という場所で
「トカイナカグラシ」を送る千松一家。
イノシシの罠を仕掛けながらも
遠くから学校のチャイムが聞こえて来る。
この距離感、
普通の人はあまり意識していない事と思う。
大概の人は、
街中にクマやイノシシが出てきて大騒ぎとなり
ニュースを見て初めて驚く。
しかし、野生動物は常に
逞しく、そして狡猾に
最も栄養価の高い食料を探し回っている。
私達の日常生活のすぐ足元には
驚くほど豊かで不思議で
時に危険な自然の世界が広がっていて、
それに気づいていないのは人間だけなのだ。
人里離れた場所にこもり
完全自給自足生活などしなくても、
当たり前のように自然と共にある
千松一家の暮らしぶり。
週の半分は運送業をして現金収入を得、
残りの時間で罠を仕掛け、蜜蜂を飼う。
肉は売る訳ではなく
家族と友人で食べる分だけを獲る。
子供たちは父親の解体を
当たり前のように手伝う。
素敵だった。
印象的だったのは、千松氏が猟の途中に滑落し
足の骨を折った時のエピソード。
医師には手術により金属板とボルトで
正しい位置に骨を固定する事を勧められるが、
千松氏は自然治癒の道を選ぶ。
今まで散々獲物の命を奪い、
中には罠にかかった自分の脚を千切り
三本脚となっても生き延びている彼らの姿を見ると
自分だけが外科手術という手段を使って完治することが
アンフェアに思えたと言うのだ。
その気持ちは、よく分かる気がした。
個人的には、映画には冗長な部分も散見され、
元々のテレビ番組であるノーナレの方がテンポが良く
メッセージもストレートに伝わってくる気がした。
しかし、
肉で稼ぐわけでもないのに
危険を冒して山に入り
イノシシと格闘し
重い獲物を山から下ろして解体する。
私自身も同じく
鹿を獲っても全く収入には繋がらないが、
山で鹿と対峙してその命をいただきたいという衝動を
抑えることなどできない。
地域や獲物、手法は違えど
やはり猟師とは、
「職業」ではなく「人種」なのだなぁ、と
実感した日でもあった。