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ワタナベ インディアン


「ワタナベさん、ですよね?
 インスタ、フォローしてます!」

行きつけの店のカウンターで飲んでいた夜。
隣に座った女性に、おもむろに話しかけられた時には
完全な人違いだと思った。

Instragram, Twitter, Noteでの
私のアカウント名は“wannabe_indian”。
いつの日か、憧れのインディアンになりたいという
私の人生の願望を込めたものだ。

Want to be の口語、Wannabe。
あまり有名ではないが、私の大好きな曲、
Rachael Yamagataの“Be Be Your Love”でも
連呼される。

その女性、Aは、“Wannabe”を“ワタナベ”と
読み違えてしまったようだ。
実は狩猟に興味があり、
今度山に連れて行って欲しい、とお願いされた。



その日は、女性でも無理なく歩ける、
あまり斜度のないコースを選んだ。
私はゾンメルスキー、Aはスノーシュー。
コツは、歩き出す前に
バックルやストラップをきつく締め上げること。
歩き始めてから外れると面倒なことになる。

行きしなの車の中では、
車窓から鹿が見える度に、その存在を教えていた。
Aも徐々に、鹿のシルエットに
気づくことができるようになっていた。
この日の目標は、Aが自分の力で
森の中の鹿を見つけることに設定する。



前日に降り積もった柔らかな雪が
足音を消してくれる中、
ゆっくりとすり足で進んでいく。
今日は気配を消すことができている、と感じた。
自分たちが余計な音を立てていない状況では
聴覚も十分に獲物の存在を捉えるセンサーとなる。
全身の毛の一本一本まで、集中力がみなぎっている。
この感覚が、忍び猟ならではの醍醐味だ。

歩き出したあたりでは
新鮮な鹿の足跡は見られなかったが、
しばらく行くと、数頭分の足跡に行き当たった。
蹄の大きさから見ると、親子を含んだ群れだ。
若い木の皮が剥がされている。
日の出前くらいから、ここで食事をしていたのだろう。

足跡は森の中へ続いていた。
銃の先端、バックパックなどが
枝のどこにも触れないよう、
体をくねらせながら、木々の間をすり抜ける。
スキーが枝を踏まないよう、
ストックが笹に当たらないよう、
細心の注意を払う。
たまに屈んでは目線を低くし、
幹の陰から鹿の体が見えないか、
葉の込んだ枝の下に鹿の脚が出ていないか、
ゆっくりと見回す。

しかしやはり、鹿は一枚も二枚も上手だった。
「ヒャンッ!」という声が響くと
藪のずっと奥の方で、鹿の影が動いているのが見えた。
私の目で確認できたのは四頭。
全速力で走っている。
相当に警戒心が高まっている証拠だ。

そういえば、と歩き出した時の雪の状況を思い出す。
新雪の表面が規則的に連続して少しだけ凹んでいた。
前日に誰かがスノーシューを履いて山に入ったのだ。
多分、ハンターであろう。
血の痕跡はなかったため、捕獲はしていないと思われるが、
このエリアの鹿に向けて発砲した可能性は十分にある。
鹿がピリピリしているのは、そのせいかもしれないな、
などと考える。

雪が深いので、鹿がすぐに止まって休むことも考えられるが
あの逃げ足の速さを見ると、
多分踏み固められた獣道を走っているに違いない。
警戒心が高まっている鹿に後ろからついて行っても
追い立てるだけで追いつくことはできない。

足跡から少し外れ、森の中心ではなく
木立のできるだけ外側を回り込むように歩くことにした。
木が密ではなく歩きやすいルートを取りながら、
森に潜む別の群れを探し出す作戦だ。



ゆっくりと進んで行くと
突然、それはいた。
大きな雄鹿だ。
角を振り上げ、こちらを見ている。
距離は80メートルほどか。

私達とぶつかる方向で進んできたのか、
向こうにとっても出会い頭だったのだろう。
明らかに我々に気付いているが、
微動だにしない。
鹿を刺激しないよう、
できるだけ音を立てずに弾を装填する。

座ってしまっては、鹿は見えなくなる。
そばには寄りかかったり、銃の先台を乗せられる木はない。
少しでも不用意に動けば、
鹿は踵を返して逃げ去るだろう。
立ったまま銃を構える。
脇を締め、できるだけ体を安定させるが、
スコープの中の鹿は小さく揺れ続ける。
鹿は真正面を向いて立っているので、
横からターゲットの直径が大きい肺を撃つことはできない。
正面から胴体を撃っては肉が台無しになる。
そこで、太い首の根元を狙うことにする。
銃口の揺れは止まらないが、その揺れと同調する。
首の根元を、上に下に、行き来する照準。
狙い通りの場所と重なった瞬間を見計らって
撃鉄を落とす。
ここまで、鹿を見つけてから数秒。
雄鹿はその場でグシャリと潰れた。

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Aを振り向く。
目を見開き、表情が強張っている。
私越しに鹿が立っている姿、
崩れ落ちる姿をしっかり見ることができたという。
良かった。
鹿の元に急ぐ。

近づくと鹿はまだ頭を振っている。
とどめを刺す時に、Aが角で怪我をしてはいけない。
至近距離から、首にもう一発弾を打ち込む。
がっくりと首が垂れた。

胸骨を触ってもらい、
ナイフを入れる場所を感じ取ってもらう。
ズブリと毛皮に吸い込まれるナイフ。
すぐに替わって私が喉元に向けて切り広げる。
鹿はいつも、最期まで目をつぶらない。
見開いた目は私を見つめたままだ。
顔を寄せ、呼気を吸いながら、
小声で感謝の言葉をかけ続ける。

突然、鹿の呼吸が乱れた。
咳き込むように苦しそうに痙攣している。
血が気管に満ちてしまったのだろうか。
窒息で死ぬのは苦しかろうと思い、
ごめん、と言いながら傷口に再びナイフを差し込み、
ブレードの腹を、少し傷を開くように押し下げる。
流れ出る血の勢いが一気に増し、
鹿は少し楽になったのか、大きく息をついた。
そして今度は出血多量により
意識を失っていく。
相変わらず目は見開いたままだが、
眠りにつくように、静かに動かなくなった。



私は鹿を木に吊るす準備を進め、
Aを鹿と二人きりにしておく。
教えた通りに下半身から上半身に向けて
血抜きのマッサージをしていたAは、
しばらくすると座り込み
鹿の頭に手を置いてじっとしていた。

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後で聞いたところ、
お経を唱えていたそうだ。
臨済宗の寺が実家のA。
最もよく唱えられるお経は
延命十句観音経。
僅か四十二文字からなる最も短い経典だ。

奇しくも、私が小学生の時に
禅寺に泊まり込むプログラムに参加したことがあり、
その時に覚えさせられたお経だ。
長らく忘れていたが、Aのおかげで思い出すことができた。

鹿を送るのに、これが正しい、というやり方はない。
その人なりのやり方で、心よりの感謝を捧げれば、
そしてきちんと肉を食べれば、それでいいと思う。

Aには、インディアンの師匠、キースのやり方も教える。
気道を切り取って、風通しの良い枝を探してかける。
自分ではもう息ができない鹿の気道を
風が吹き抜けることで、その再生を祈る。

先ほどまで生きていた命は、いつしか肉となり、
祈りの時間が終われば
あとはどれだけ美味しい肉にするかの作業が始まる。
頭を落としてタンを取る。
私が肛門を抜いて直腸を引っ張っているところを
Aが麻紐で結索する。
小柄なAにとって、12倍力の滑車システムを使っても
巨大な雄を吊り上げるのは大変だろうが、
最初だけお手本を示し、あとは頑張ってもらう。

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内臓を一気に抜き、ハツとレバーを取る。
Aが、これだ、と感じる枝を探し、
そこに刺すようにと、切り出した気道を渡す。
色々と歩き回って枝を探し、
その後もまたお経でも唱えていたのか
かなり時間がかかっていたが、
きっとそれはAにとって必要な時間。
私は黙々と解体を続けた。

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降っていた雪がやみ、森に光が差し込む。
鹿の目が、嘘のように鮮やかな緑色に輝く。
昼間、鹿の動向は小さな横一文字の形をしている。
横長の瞳孔は、草食動物に多く見られる特徴で、
三百六十度近い視野を確保し、
肉食動物を警戒するためのものだ。
その瞳孔は、鹿が死ぬと共に筋肉が弛緩し開き始める。
そしてしばらくすると、鈍く濁り始める。
多分、眼球の表面が乾燥するからだ。
瞳の奥にある反射膜、輝板が綺麗に光を跳ね返すのは、
撃った直後で、且つ太陽が出ている時だけ。
色々な条件が揃った時にしか見られない、
とても貴重なものだ。

命を燃やし尽くした鹿が
最期に放つ強い輝き。
有機物が作り出す、碧玉の宝石の美しさに息を呑む。

よく見るとその中には奥行きがある。
細かい襞状の陰影。
その正体は私にも分からない。
水たまりに落ちた雨粒が作る波紋のような、
空を覆う筋雲のような、繊細で複雑な起伏。
その瞳の中に入り込むことを想像する。
見回せばそこは、気持ち良い風にそよぐ草の海。
寄せては返す、エメラルドの波。
時間軸の存在しない永遠の世界では、
鉱物も草も一体化して液体としてたゆたう。
鹿はそこで飢えや苦しみから解放され
緑の水平線を目指してどこまでも駆けてゆく。
鹿が帰る場所は、鹿自身の中に確固として存在していて、
自分が帰るべき場所を
未だ見つけられていない私は、
それをとても羨ましく思ってしまう。

ある意味、私は鹿になりたくて
飽きもせずに鹿を追い続ける理由は
そこにあるのかもしれない。

叶うことのない夢を
追い続ける人生というもの
悪くはない。

夢。
叶ってまた夢。
破れてなお夢。

Wannabe.

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※後日談

後日、Aが母親に、私との狩猟の話をしたとのこと。
私のSNSのアカウントなども教えた。
すると、それを読んだ母親から、Aにメールが。

「いやぁ、ワタナベさんってすごい人だねぇ」

この母にして、この娘あり、ということか。

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