鹿タン 〜ハンターライターの狩猟暮らし〜
狩猟1年目。ぼち、ぼち、と鹿が獲れるようになり、なんとか鹿の解体をするようになってはみたものの、どうしても捌けない部分があった。首から上だ。要は顔。Youtubeで解体動画やジビエの調理動画をみると、脳を取り出したり、顔の皮を剥がれた顔骨がコロンと映っていたりする。その頭蓋にはくりんっと目もついている。通常の解体だとお腹から首、喉、くちびるの真ん中までひと筋で刃を入れていくわけだが、くちびるの真ん中を刃物がスライドするイメージが脳裏に浮かぶと体がぞわっとなって「痛っ!」ってなる。狩猟をするからには命をいただくからには余すことなく食べなければ、と思いつつも「そこまでせいでも…」という気持ちも正直あって捌き包丁を入れられないモヤモヤを抱えながら、何頭もの頭を残滓(解体後に残る食べない部分)として山にかえしていた。
そんなある日、狩猟を教わった師匠から「鹿のタンは、牛のタンより美味しい」と聞いた。牛のタンといえば塩タンを思い浮かべるが、あんな美味いものはないと思う。ところが牛をこえるタンがあるなんて。しかもそれを鹿が持っているなんて。食べたい。食べよう。腹から喉、喉からくちびるへ包丁を入れ、喉の下からタンを取り出す。余すことなく食べるんだ。って、ほんまにそんなことする必要あるのか、といったそれを言っちゃあおしまいな気持ちがどこかに付着しているのを拭いきれないまま、気持ちを新たにした。それから何頭か鹿がくくり罠にかかってくれたけど、鹿のタンは食べなかった。喉まで刃を入れたところで「今日ちょっとこのあと忙しいわ」とか「コンディション的にちょっと無理やわ」とか「猫病院連れていかなあかんねん」とかとにかくなんでもかんでも理由をくっつけて踏みとどまってしまったのだ。案の定、次は次はと言ってるうちに狩猟期間が終わってしまった。そのくせタンをとれなかったあとは、「狩猟向いてないな」とか思って、なんとなく落ち込んだりもした。
狩猟期間が終わるとすぐに、次の狩猟期間が待ち遠しくなる。今期のいろんな悔やまれごとが竜巻のように頭の中をかきまわす。その竜巻の大半を構成しているのが、おびただしい数の鹿のタンだった。タンだけに限らず、狩猟で後悔したことや心残りなことって、なんであんなに頭から離れないんだろう。自分のちっぽけさが、山の中では露骨にむき出しになるからかもしれない。恥ずかしくて、悔しい気持ちにもなる。そう思うことがそもそもちっぽけで、悔しいと思えば思うほど、自分が小さく小さくなってゆくようにも感じる。鹿のタンを食べなくたって、命を粗末にしていることにはならないと思う。でもタンを経験しない限り、自分が次へいけないんじゃないかと思い込んでいる自分がいる。錯覚に囚われて狩猟欲を増幅し、次の猟期の準備へと向かわせる。猟奇的。これは非常によくない狩猟スタンスだ。でも振り返ると、そうだった。
いよいよ狩猟2年目。今年も鹿が罠にかかってくれた。獲物がかかると、妻に報告したくなる。すごいねって言ってほしくなる。父ちゃんやったよ!っていう感じになる。大きな食料を持ち帰るのは、昔の人の暮らしを追体験できているような気がして誇らしかった。このあと本業のライター業があるのに、ひと仕事成し遂げた気分だった。さっそくわが家のお肉にするために解体する。いよいよタンを取り出す。くちびるに刃を入れる時、あれだけぞわっとしていたにも関わらず、不思議と平気だった。やるってモードになってるからか、ぞわっともせず、心臓、レバー、気管、そしてタンを一連で摘出することができた。解体する前に、何度も何度もこの動画をみた。片桐邦雄さんという猟師さんの解体のようすだ。この動画をみると、こわいとか、グロいとか、そういう感覚が消えていく。そんなことより何万倍も大切なことが、手際良く解体する片桐さんの姿を通じて伝わってくるからだと思う。
個人的には、狩猟をする前は、「とめ刺し」や「解体」といった言葉と、「痛み」という言葉は比較的近い場所にあるのかと思っていたけど、狩猟において「痛み」というのは、そんなに近い概念ではないと、狩猟をはじめて気づいた気がする。「痛そうだからやめておく」というのは、本質的ではないというか。それはなんだか「怒られそうだからやめておく」という感じに似ているというか。ちょっと何言ってるのかわからなくなってきたので鹿のタンを調理してみよう。
これが鹿のタンを真空パックにしたもの。
このまま輪切りにする人もいるけど、僕は外側の白い皮のような部分をとりのぞく。半解凍の状態でカットするとシャリっと刃が入ってやりやすい。
で、塩胡椒して焼いて、レモン汁とねぎをぱらぱらと。
いただく。これが動画ならもれなく「これはやばい」「美味すぎる」というテロップが出るやつだ。はじめて食べたときの感想は、冗談抜きで「なにこれ、やば、うま」と妻と目をまるくした。牛のタンよりもトロっととろけるような柔らかさでジューシー。それでいて食感はちゃんとタンしてくれてて、歯応えもあってほんとにやばくて美味すぎる。
舌なので1頭からとれるのは当然1本。はじめて鹿タンを味わってからというもの、大切に、丁寧にお肉にして、余すことなくいただいている。