僕の「謎解きイベントに行くための情熱の種火」は消えました

この投稿は上記記事の続きです。
そして、これを執筆するにあたってどうしても
「謎解きイベントたるものの根幹」に関わることを書かなきゃいけません。
「直近5年で、この男の頭の中が変わってしまったんだな」という気持ちで見ていただいた方がいいと思います。
謎解きを楽しんでる人は、とことんまで楽しんで欲しいし、あまりこの記事見ない方がいいです。ブラウザバック。
あ、それでも読む?あ、そう。闇深いぞ?見るの?じゃあご勝手に。





今年の夏、リアル脱出ゲーム吉祥寺で開催されていた、逃走中グレートミッションとのコラボ「クロノスランドからの脱出」をプレイした。
これは所謂、店内に置かれてるパネルを元に謎解きをする「周遊系謎解き」とされるもの。LINEで情報登録してからプレイする。
実働30分くらいでクリアして、LINEに「脱出成功」のメッセージ(と、その他もろもろの画像とかなんやら)が届いた。
それで思ったのは

「僕がこれまで求めてたものって『成功』という2文字でしかないんだ」

その「文字」では、もう僕は嬉しくなれなかった。その瞬間、僕の謎解きに対しての情熱は消えた。

思えば、近年で触れることが出来なくなったものがあまりにも増えてしまっていた。
まず、自分の頭がアニメ・漫画・ドラマを受け入れられない。「あーた、コスプレすんのにアニメ・漫画がダメってコスプレイヤーとして致命傷じゃねえの?」と思うだろうが、普段僕がやってるコスプレは基本ボーカロイドなのでその範囲からは外れている。
クイズ答えるし、作る方もやるのでストーリーくらいは抑えとかないといけないが、あらすじの文字情報を見ただけでもウッとなってしまう。Amazonプライムビデオで配信されてる「推しの子」実写版のCMを見るのも怖い。
ドラマで言うと「スカッとジャパン」的などんでん返しストーリーと「分かっていたとしても」前段の追い詰められていくゾーンを観るのが怖い。起承転結の「起承転」が辛い。その辛いところを少しの時間の「結」では捲りきれない。
全体通して、「ストーリーとしての起伏」が怖い。そしてその恐怖を抱えた状態で翌週へ行けない、CMまたげない。だから「まず、触れない」になってしまう。
1話完結のオムニバスシステムなアニメ・漫画ならまだ観れる・読めるが、それでもドラマはキツイ。
僕自身、それをすることは絶対にないが「映画を観たり小説を読む前にネタバレを見る」という人の気持ちそのものはよく分かる。そりゃそうだ、精神的地雷があったら残りの時間は何のためにそこに居なきゃ行けないか分からなくなる。

そして昨今の「イマーシブ・没入型の公演・演劇」も、案内を見た瞬間にゾワッとなってしまう。
鬱が酷くなって全く動けなかった時期に、「これ以上踏み込まれたくない」のラインが厳しくなった。演劇におけるいわゆる「第四の壁」を越えてくるのが怖い。「そのチケット種別ならただ観てるだけですよ」だとしても、その関与してる光景を観るのも怖い。

どうも、「この世界に普通に生まれて、普通に過ごしているのであれば、この身に起こらない事柄に、外から入って『外の世界の自分の状態で』体感する」ってのが苦手なようだ。自分の中で「その世界の中に『自分という存在』がいるわけがない」と思うのが先行してしまう。そしてその「世界」の中に謎解きイベントも入っている。

そんなこと言ってる割に逃走中では逃走者として出たいと言うが、それは「そのゲームの中では間違いなく自分自身が駒だから」である。何かに成り代わってるのではない。今、プレイヤーは自分の身であるからやりたい。でも、正直なところ初島の回で、ぱーてぃーちゃんが絡んでくるあたりは怖かった。ミッションにも絡まないのにいるということ自体に対して。

絶対5年くらい前の僕ならこんなこと思ってもないし考えてもない。その頃を見ていたであろう付き合いのある(あった)みなさんにお伝えするなら、

2013年から2019年あたりの僕は死んでしまいました。

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