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町の人と喋る。

前回に引き続き、あったことをそのままに書く。

人がこないときは、逆に人とたくさん喋れる。地元のお母さんというかお婆さんに豚のホルモン食うか?と誘われて、食いたいです!とお返事して食べに行った。素敵なお家で、地面には石が敷き詰められた、いい感じの地面。いろんな種類の木が植えられた庭。紅葉は全部落ち切ってから狩るんだ、とそのお婆さんは言っていた。庭にベンチがあって、休憩してから食うかとタバコを取り出す。おいしそうにタバコを吸うので、僕も一本いただいた。素敵な庭についていろいろ教えてくれた。

地面の石は全部捨てられるやつなんだよ、と。木も欲しいやつは買ったけど、あとは捨てられるやつだよ、と。家も今はみんな捨てるけど、それじゃあダメでしょっていろいろやってんだよ、とそんな話をした。

家の中に入らせてもらった。ちょっと待ってろなと言われたけど家の中が素敵すぎてうろちょろしていた。椅子もテーブルも置物も全てが素敵。キッチンでホルモンを焼きながら味噌汁を作ってくれているのが見えた。この旅の道中、外食か、宿泊先でつくるパスタくらいで、味噌汁を食べる機会がなかったので、それがめちゃくちゃ嬉しかった。

出来上がったご飯。

食べかけ御免

10月にコロナにかかって、いまだ嗅覚が戻り切っていない。鼻を近づけて思い切り吸うことでやっとふんわり匂いを感じる程度だ。でも、この婆さんの料理はすごかった。まず味噌汁がとんでもなくうまかった。自家製の味噌らしいが、うますぎてちょっと泣きそうになった。豚のホルモンも塩と醤油でシンプルに味付けされていた。うまかったなあ。そしていぶりがっこも当然。全部うまかった。僕はいままで食べた料理でも1位に君臨させようと思った。このとき食べたご飯を忘れたくない。

ご飯を食べながらいろいろお話をした。出てくるもの出てくるもの全てセンスの塊みたいな感じだったので、これどうやって勉強するですか、とかちょっとバカみたいな質問をしてしまったのだけど、その婆さんは、工夫=勉強って言ってた。昔の人がやってたこと、それをそのまま今に戻すのは難しい、と。たとえばおむつ。おむつだって昔はムーニーマンだとかじゃなくて布だったと。自分で布のオムツを作るところからやってたと。でも、それをそのままやるのは難しいから、どうやったらそれに近いことができるかな?と考えて、工夫する。そのひとつひとつの積み重ねだよ、と言われた。ま、その前に布でおむつやってたことを知るところが大事だけどな、とも。

ごはん一粒残すな、とは僕も言われたけど、釜に残ったごはんの粒まで残すなって昔の人は言ってたんだよ、と、教えてくれた。たくさん炊いてくれてて、僕が全部平らげてしまったんだけど(それくらいごはんがうますぎた)、その釜を洗ってるときに、そんなことを喋りながら水道水でうるかしたごはんをその婆さんは食べていた。そういうところからはじまってるんだなあ、と思う。

顔に一粒ご飯をつけて、おこめついてますよ状態になりながらそのお婆さんはいろんなことを教えてくれた。前の日にコンビニに行こうと思って、外に出た。商店街なので、家と家の間を通り抜けながら近道できる。家の横すぎて若干よくないかもなあとか思いながらコンビニに行ったのだけど、なんかたのしくて、帰りとは別の細道で宿に帰ろうとした。ここいけそうかも、と思って通ろうとすると、ちょうど玄関から出てきた女の人とはち合わせになった。僕はびっくりしてわっ!と言ったのだけど、向こうは冷静で顔色ひとつ変えない。「誰ですか!?」と言われて、焦ってしまった僕は、すみません!と謝りながら来た道を引き返してしまった。後ろから「どういうことですか!?」と追撃の声が聞こえたのだが、もう怖くて無視。やばいやばい、と思いながら逃げた。

と、そんな話をその婆さんにしたのだけど、その婆さんは「あんた、なんでそこでちゃんと喋らないのよ、ばかだね〜」と言われた。あのね、私はよく言うんだけど渡る世間に鬼はいないよ、と。ちゃんとこちらから門を叩いて誠意を持って答えればわかってくれるんだよ。第一この辺の人にそんな怖い人いないから、と言ってくれて、すごくよくないことをしたなあと反省した。聞いてくれそうな人にだけ喋る、みたいなスタンスでやってきすぎたせいで、人のことを信じて無さすぎるというか、どうせ伝わらんしなあ、みたいなことを一番最初に思ってしまう。だから、咄嗟のとき僕は逃げるんだな、と思った。
ちょっと大きな話になってしまうけど、世界に対して開いている状態、閉じている状態というのがあると思う。全開もダメだし全閉もダメだ。僕はそのバランスをいつも間違えているような気がする。細道に行く思い切りと、そこで怒られるかもしれないことへの考えてなさ、そしていざその状況になったときの自分の対応。そのへんのバランスがすべてダサいなあ。細道を行く思い切りと、怒られた時の素直な謝罪。逃げるという選択肢は必要だけれど、世界はもっと優しいものなんだと信じたいな、と思ったのだった。

その夜、六日町の商店街でお店をやっている方に夜ご飯を誘われて、町にあるバーのような場所に行った。なんでも自分で作ってしまう爺さん(と言ったら怒られるか)マスターのやってるバー。自分でものを作るのなら田舎に結構どこでもいる。でもその人が一味違うのは音楽やらの創作までやってるところだろうな。今ピアノ練習中なんだ、とセカンドストリートで3000円で売っていたらしいキーボードを出して教えてくれた。「これ!という曲を見つけて100回練習するんだよ。そしたらできるから」「そして人前でやる。人前でやると全然違うから」などなど。いいなあ、最高だなあと思いながらお話を聞いていた。

そのマスターとだけでなく誘っていただいた方ともたくさんお話した。商店街で生きるってすごいなあ。その前の日には商店街でお店をやっているご夫婦の娘さんが誕生日だということでみんなで誕生日パーティをしたのだけど、町ぐるみでお子さんを育てているような感じがしてとってもいいなあとおもっていて。この日はこの日でその方がどんな思いで商店街で店を構えているのかという話も聞けたりして、すごくなんていうか、店だとか、商店街だとか、人なんかの概念が広がったような気がする。

そんなこんなでいろいろ話を聞いていると、栗原に茅葺きの古民家で暮らしている陶芸家がいるという話をしてくれた。とにかく厳しくていい人なんだ、と。僕の展示会に来てくれた狩猟者さんが、その陶芸家の方と付き合いがあるらしく、ちょうどその人から連絡が来てたのもあって、狩猟者の方のお家に行ってみて、もし都合合えば陶芸家の方にも合わせてくれるかも?みたいな流れが浮上してきた。流れてますね〜開かれてますね〜と思いながら流れに身を任せてその狩猟者の方のお家に次の日行くことになった。

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