夜の星はシュガーラスク
夜空に光る星が本当はシュガーラスクについた砂糖の一粒ひとつぶだということを、知っている人は、あまり多くありません。
その上、その星くずをモモコが毎晩夜空に散りばめていることは、モモコとくまのランディ、このふたりしか知らないことなのです。
おやすみなさいを言って目を閉じたら、それが合図。2段ベッドの下の段から、夜間飛行ははじまります。
上で眠る妹を、起こさないように。それから、お父さんとお母さんに、モモコが本当は眠っていないことを、ぜったいに気づかれないように。そうっとそうっと、モモコのベッドはふわりと宙に浮いて、音もなく、マンションの10階にある子ども部屋の窓から夜空に飛び出します。
外に出ると、ベッドはおやつに食べたシュガーラスクに姿を変え、昼間は静かなくまのランディもおしゃべりになります。
「やあ、ようやく本当の姿に戻ったぞ」
ランディはぐーっとのびをしたり、腕のつなぎ目をぐるぐると回しながらつぶやきました。
「肩こっちゃって。ぬいぐるみのふりするのも楽じゃないや!」
そこでようやく、モモコも目を開けて大丈夫になるのです。
風のない夏の夜を、ふたりを乗せて音もなく飛ぶシュガーラスク。表面にまぶされた砂糖の粒が尾を引くようにちりちりと流れてゆきます。街明かりのキラキラとにじんでどこまでも綺麗。
みんなが寝静まったころ、モモコとランディはこうしてこっそり夜空を旅しているのです。
ラスクの下をのぞき込むと、いつも歩いたり走ったりする道や、よく行く文房具屋さん前のガチャガチャが、小さく小さく見えます。
「手を伸ばすと、そわーってするよ」
ラスクから身を乗り出して流れる空気に手をひたすと、ちょっと怖くて、ちょっとドキドキして、楽しいのでした。
「どれ、ぼくもやってみっかな」
ランディもまねして手を伸ばすと、そのままバランスをくずしてくるっと落ちていったので、モモコはあわててランディの右足をつかみました。
「もう!あぶないったら!」
「ねえモモコ、あれ見てよ」
ランディはおかまいなしに、夜空にぶら下がったままのかっこうで遠くを指さしています。
そっとランディを抱きかかえながら彼の指さした方向を見ると、そこには小さな公園がありました。一本の街灯だけではしからはしまで照らしてしまえるほどこぢんまりとしていて、置いてあるものといえば、ぞうのすべり台と、バネのついたかえるの遊具、それに小さなベンチがひとつだけ。
今よりずっと小さいころ、モモコはよくこの公園で遊んでいました。決して広くはないものの、だからこそ秘密基地のような気がしてとてもワクワクするのです。でも、もう少し歩いたところにもっと広くてもっとたくさん遊具のある公園ができてからというもの、友だちはみんなそちらで遊ぶようになり、気づけばモモコもあまり来なくなっていました。
ランディが言っているのは、ぞうのすべり台と、バネのついたかえるの遊具のことでしょう。これはどこの公園でもいっしょのことなのですが、子どもたちがみんな帰って誰もいなくなると、遊具たちはおしゃべりをはじめるのです。ちょうどこのランディのように。
そのときも、ぞうのすべり台とかえるの遊具が、なにやら話をしていました。
ふたりはぐんと公園の近く、話が聞こえるところまで飛んでいきました。
「今日もおれ、乗せたの3人ぽっちだったよ」
かえるの遊具がギコギコ揺れながら、つまらなそうに口をとがらせています。
「そんな日もあるでしょう」
それに対してぞうのすべり台は、どっしりとかまえた大きな体に、おだやかな笑みを浮かべています。
「そうは言ったってさ。毎日毎日、遊んでくれるのをただじっと待ってさ。ようやく遊んでくれたと思っても、おれは進むことも戻ることもできずに、ずーっと同じ場所でただ前後に揺れるだけ」
「それがあなたの魅力なんですから。じっさい、あなたと遊んでいた3人は、とてもしあわせそうな笑顔でしたよ」
「まあ、それを言われちゃあ、ねえ」
かえるの遊具は、まんざらでもなさそうに言いました。
「でも、あなたなんて、おれみたいに揺れることもできない。ずっと同じ景色で、退屈になったりしないの?」
「ええ」
ぞうのすべり台は、退屈という言葉の意味がわからないみたいにほほえみました。
「ずっと同じだからこそ、ひとつも同じじゃないことがわかるんですよ」
「どういうこと?」
こっそり話を聞いていたモモコとランディも、顔を見合わせて首をかしげました。
ぞうのすべり台は、落ちついた様子で話をつづけました。
「私からはちょうど、きみと、ベンチと、いちょうの木が見える。たしかにそれだけです。でもね、ただじっとそれだけを見ているとね、ただの1秒も同じ景色じゃないって気づくんです」
かえるの遊具が、あいづちを打つみたいに前後に揺れました。
「たとえば朝から夜にかけて、お日さまの場所が変われば、きみの色も輝き方も変わりますね。季節によっても全然ちがうんですよ。夏のお昼間のきみはハッとするくらい鮮やかだし、冬の明け方のきみは今にもすきとおりそうなくらい、繊細で、美しいんです」
虫の声も聞こえない静かな夜に、優しいぞうのすべり台の声が、それ自体がもう、ひとつの綺麗な景色であるかのように空気に溶けてゆきます。
「晴れた春の夕方に吹く風は、枝豆のにおいがします。秋には虫たちが毎晩短い物語を聞かせてくれます。雨は細いのとどしゃ降りとで性格がちがいますし、水たまりが残れば、そこに映った雲の形を楽しむことができる。ほんとうに、ほんとうに、1秒だって同じ瞬間はないんです」
気づけば、モモコもランディも、ぞうのすべり台の話に聞き入っていました。それどころか、その場にいる、草や、土や、空気までもが、息をひそめて彼の話に耳をかたむけていました。
「それにね、知らないことは、いろんな生きものたちが教えてくれるんです。いちょうの木は風に音があるのを教えてくれるし、鳥たちのさえずりは、空の高さを教えてくれる。きみがいつでもそばにいてくれるし、まったく、退屈どころか、私はいちばんのしあわせ者なんじゃないかと思うくらいなんですよ」
かえるの遊具は、照れくさいのか、うれしいのか、大きく揺れてみせると、
「まあ、そういうことなら、おれの方がしあわせだろうけど」
と強がるように言いました。ぞうのすべり台はそれを聞いて、またふっくらと笑いました。
むわっとした夏のおもたい空気いっぱいにしあわせが満ちたそのとき、突然ランディのおなかがぐうっと鳴りました。
「あ」
ランディが思わず声をあげておなかをおさえると、遊具たちはあわてて口をつぐんで、ぴたりとその動きを止めてしまいました。
「モモコ、ぼく、おなかすいちゃったよ」
「もう、しょうがないんだから!」
モモコはシュガーラスクでふたりのいるところまで飛んでいきました。
「ごめんなさい、思わず聞いちゃったの」
近くにいたのがモモコたちだったとわかると、かえるの遊具とぞうのすべり台はほっとしたようにまたしゃべりだしました。
「なんだよ、いるならはじめっからそうと言ってくれればいいのにさ」
「モモコちゃん、お久しぶりですね」
「ぼくもいるよ!」
ランディはちょっぴりふてくされたように手をあげてみせます。
「そうでしたね、ランディ君。お元気でしたか?」
「今ちょっとおなかが空いてて元気がないな」
「そうだった」
モモコはあわててシュガーラスクのかけらを割ると、ランディと半分こして食べました。
ラスクは淡い夢みたいな味がしました。
「よーし、元気いっぱいだ!遊ぶぞー!」
ランディはふくらんだおなかをぽんと叩くと、シュガーラスクから降りて、かえるの遊具にまたがりました。
そして、まあるくふくらんだお月さまを指さして、
「ぼくは荒野のカウボーイ。さあ、白銀の毛並みをたなびかせ、満月めがけて駆けぬけろ!」
と叫びました。かえるの遊具はにやりと笑って
「せいぜいふり落とされんなよ!」
と言うと、ものすごい勢いで前後に揺れはじめました。
「ひゃっはー!」
ランディはカウボーイになりきって、縄をくるくる回す仕草をしています。
「あんまりはしゃぐとまた汚れちゃうんだからね!」
それを見て、モモコが注意をします。
「モモコちゃんは、お姉さんになりましたね」
ぞうのすべり台は、嬉しそうに言いました。
「モモコがここで遊んでたときのこと、覚えてるの?」
「ええ、もちろんですよ。モモコちゃんが来ると、この公園は七つの海に浮かぶ島になったり、サバンナの草原になったり、いろんな場所に変わるもんですから、私は次はどこに連れて行ってくれるんだろうって、とても楽しみにしていたんです」
「でも、近ごろあんまり来なくなっちゃったから・・・」
「ここに来なくなるということは、それだけモモコちゃんの世界が広くなっているということです。ドキドキすることや、うれしくってしょうがないこと、きっとたくさんの宝物と、毎日出会っているんでしょう」
「うん」
モモコは大きくうなずきました。
「いつか、そのたくさんの宝物みたいな思い出を、心の中からとりだしてながめるときにね、そのひとつに、この公園で一緒に遊んだことがまざってたらいいな。それがもし、空にかざしたビー玉みたいにキラキラしていたらうれしいな。それが、私たち公園の遊具の、いちばんの願いなんです」
「大丈夫、モモコ、絶対に忘れないよ」
「ありがとう。モモコちゃんが大人になっても、おばあさんになっても、私たちはずっとここにいますから。いつでも来てくださいね」
モモコは、大きなお月さまを見上げました。心の中にあったかい気持ちがたくさんあって、ひとつもなくしたくない大切なものがあまりにもたくさんあって、なんだか、とてもしあわせなのに泣きそうな気がするのでした。
ふとランディたちに目をやると、あいかわらず、ふたりとも夢中になって遊んでいました。バネが前にうしろに、いえ、それどころか横にななめに、ぐわんぐわんと激しさを増していく中、カウボーイの叫び声が夏の夜に響きます。
「さあ、西部一のあばれ馬!ぼくを乗せてどこまでも走れ!」
「ヒヒヒーン!」
「青い月が輝くかぎり、正義は不滅なのだ!」
楽しいあまり大きくばんざいをすると、バネの勢いそのままに、ランディは空にふっとんでいきました。
すっぽーん。
くるくるっ。
高く高く空にのぼっていくランディのシルエットが満月にくっきりと浮かび、それはそれは、とても綺麗でした。
モモコは、大慌てでシュガーラスクから飛び降りると、両手を伸ばして、のんきに落ちてくるくまを受け止めました。
「もう!危ないったら!」
怒るモモコの腕の中で、ランディはにこにこして言いました。
「大丈夫なんだよ。だって、モモコがかならず受け止めてくれるから」
モモコは困ったようにため息をつくと、ランディをぎゅっと抱きしめました。
「ね、いつまでもこうしてぼくを受け止めていてね」
モモコは泣きそうなのをがまんして、大きくうなずきました。そして、深呼吸をくり返して気持ちを落ちつかせると、抱きしめていた腕をほどいてにっこり笑いました。
「さ、帰ろっか」
小さなくまは、こくんとうなずきました。
さて、ふたりのひみつの冒険も、どうやら今日はここまでのようです。
砂糖の粒をキラキラと夜空に散りばめながら、シュガーラスクはふたたび夏の夜空をすべってゆきます。さっきよりもずいぶん小さく見える遊具たちに手を振ると、かえるの遊具が揺れ返してくれたのがわかりました。ここからは見えないけれど、ぞうのすべり台も、きっとほほえんでくれている。想像することは、とてもしあわせなことでした。
マンションが見えてくるころ、モモコはそうっと目を閉じます。
子ども部屋の窓をくぐれば、何もかもが元どおり。シュガーラスクはベッドに姿を変え、ランディは動きを止めます。そしてモモコは、ぐっすりと眠っているみたい。
それでも、ぜんぶが夢だったかのようなこの冒険が、そうではないということは、たくさんの星に姿を変えたシュガーラスクの粒たちと、この夜を優しく照らすお月さまが、ちゃんと知っているのでした。