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公園に行こう!>横網町公園
両国から蔵前に向かう。
「旧安田庭園」をつっきって、裏側から横網町公園に入った。
慰霊堂が見えてきた。
慰霊堂のひさしを入れてスカイツリーの写真を撮った。
これは何とも象徴的な写真かも知れない‥‥と、後から思った。
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慰霊堂の正面に「二〇二三年 関東大震災一〇〇年」との垂れ幕がかかっていた。
――そうか、関東大震災は1923年9月1日に起きた。
来年は、そこから100年目にあたる。
関東大震災の遭難死者、そしてそのあと起きた東京大空襲の戦災遭難者の霊と遺骨をあわせて奉安しているのが、この『慰霊堂』なのだ。
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横網町公園の一画に『東京復興記念館』があることを思いだし、足が向いた。
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レトロ渋い、りっぱな外観だ。柱の装飾、重厚な扉。
以前にも来たことがあるのだが、それは東日本大震災を経験する前だったし、大きな戦争も無かったし、どこか自分事にして観ることができていなかったのかも‥‥。
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今回、とても新鮮に観ることができて、胸が苦しくなるような、泣き出してしまいそうな、気持ちになった。
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一番ショッキングだったのは、道路に転がる焼死体をおさめた写真だ。
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自粛してモザイクをかけたが、掲示されてる写真は、もちろんそのまま写っている。
上は親子の焼死体。下は台東区浅草花川戸で撮られたものだそうだが、奥にも炭化した人体とおぼしきものがあって、横を歩く人々も写りこんでいる。
どちらも東京大空襲を捉えた写真だ。
〝Wikipedia〟で調べたら、東京大空襲は、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されたそうだ。
東京は、1944年11月24日から1945年8月15日まで100回を超える空襲を受けたという。(by Wikipedia)
ここで想うことは、1923年の震災からようやく復興した東京が、その22年後には再び焼け野原になってしまったという、くり返された惨禍である。
そしてさらに想う、ここは――『東京復興記念館』――だ。
震災、戦災の悲惨さを伝えるだけでなく、そこから立ち上がった人々を讃え、記念するものだ。
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地震で平地になってしまった土地に街を作りなおしたのに、25年――四半世紀も経たないうちに戦争で焦土と化してしまう‥‥。
想像に絶する絶望感だ。
でも‥‥、人々はそこからまた立ち上がり、街を起こした。
人は、偉大な自然の前に無力で、人同士のあいだでは愚かに殺し合いもする。――けれど強く、たくましい。
東京スカイツリーの竣工が2012年。戦後67年で東京はここまで復興したのだ。
冒頭の慰霊堂とスカイツリーの写真で「象徴的」と言ったのは、そう云った意味合いだ。
慰霊堂からすっきりと見える位置に東京スカイツリーが立つことで、そこに眠る被災者たちに復興を遂げた旨の報告をしたことになったのでは‥‥、いやいや、考えすぎ。
自分が「東京復興記念館」を出るとき、入れちがいに大学生くらいの若者3人組が談笑しながら入って行った。
彼らは、あの転がった焼死体の写真をみて、何を想うだろうか?
記念館の外にも戦火の遺物が展示されている。
入館無料、多くの人に観てもらいたい記念館である。
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横網町公園の片隅に曼珠沙華――彼岸花が群生してた。
何だろうね。これまた災禍の死者を悼むような‥‥。
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ただの散歩だったのに、不意にずっしりと重たい感慨を抱えてしまった。
けれど、これもまた散歩の醍醐味にちがいない。
――みんなも、公園に行こう! 想いもしない発見があるかも。
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