![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162629019/rectangle_large_type_2_36c2a756942ae7091c2295f64674d625.png?width=1200)
hanamizuki
さて、久しぶりにゆっくりと座ってnoteに何か書こうと思い、
そしてプレイリストから好きな音楽をかけた。
シャッフルの設定にして。
そしてまず流れてきたのが一青窈さんの「ハナミズキ」
好きな歌ではあれど、すごく思い入れがあるとか、特別な思い出があるとか
そういうことではないのに、急に父のことを思い出した。
そして会いたくなって涙が出てきた。
父は健全で電話をかけるといつも決まってロッキングチェアでゆっくりしている。
でもアメリカと日本ではあまりにも遠くて、すぐに会えなくて気弱になるのだ。
実際会ったって、数日もすれば喧嘩が始まるのに。
父や母を思い出すとただの娘として責任も何もなくただ愛されるだけの立場でいられた時代を思い出した。
子供の時は自分が親に愛されているなんて、あまり感じなかった。
もちろん知ってはいたけど。
門限はあるし、躾にも厳しい方で、親とも丁寧語で会話をする。
もちろん楽しい時に、少し砕けて話すことはあったし、反抗期には暴言も吐いた。
でも、いつも穏やかに、生きてこれたのは両親のおかげと心から思えるのは
45歳になって自分の子供も少し大きくなってひとり時間で今と向き合えるようになってから。
父と母がかけてくれた言葉の隅々に愛が詰まっていたなんて子供にはわからなかった。
結婚してからだって、父と夫は馬が合わず、夫の常識は父の非常識で、
私が至らなかったこともあってその溝は埋まることがなかった。
夫は私の家族は自分の家族と、当然受け入れられることを求めたが
父は自分の家族は唯一無二の妻と子供2人だったから、夫を尊重し、歓迎こそすれ彼を父にとっての家族の枠組みには入れなかったのだと思う。
私はそう理解しているけど、夫には拒絶としか思えないようで
この溝は離れて暮らしていてすぐに埋まるものではない。
さて、本題からずれてしまったけれど、
なぜ「ハナミズキ」から父を思い出したのか。
それは、子供の頃のある日、父と外を歩いた時ハナミズキの花が咲いていると
父は、
その度に立ち止まって、「これが花水木だよ」
また立ち止まって、「ほら、花水木が咲いてる」
そして、立ち止まり、「この花の名前は、なんだっけ?覚えてる?」
というやりとりがあったから。
あの時、多分小学生だったと思う。あの日初めてハナミズキという花を知った。
その後、ずいぶん長いことハナミズキなんてどうでもよく、思い出しもしなかったけれど初めてアメリカにきた2011年に綺麗に咲き誇るハナミズキを見て
そのことを思い出したのだった。
それ以来、ハナミズキはずっと好きな花で、
一青窈さんのあの歌を聞くのも好きだった。
そんな歌が、思いがけなく突然流れてきたのでついつい感傷的に聞いてしまって
全然予定になかったことをこうしてnoteに書いてしまっているのだ。
最後に、結婚してからの私は2−3年に一度は引っ越しをする生活をしている。
いわゆる転勤族だから。
でも、持ち家を持ったら、庭にハナミズキを植えたいと思っていたのだった。
これから少し長くなるであろうアメリカ滞在で家を買ったので、その願いが叶うように、早速やることリストに付け加えた。さっき慌てて調べたら、今の時期が植えるのにはちょうどいいらしい。
長く寒い冬が待つこの地でうまく育つかなど、ちょっと調べてみて早速行動に起こそう。