見返り美人の顔は見えなかったけれど。
先週の土曜日の朝に伯母が亡くなり、昨日葬儀を終えた。
人の生き死にと土用は別物なのだけれど、いかんせん「繁忙のような土用の連休中」であったので、恐ろしい忙しさだった。
伯母は、最近の流行り病ではなく、長く意識のない状態で入院しており、最期は誤嚥性肺炎だったらしい。(ゆっくり話を聞く間もない慌ただしさで、身内だけの葬儀だったことから、故人の略歴紹介も何もなく進行していて訊ねるタイミングを逃した)
伯母は享年88歳。私の記憶では気風の良い姉御肌のひとで、お酒も煙草もたしなみ(……たしなむっていうレベル以上だった)、麻雀とパチンコが大好きだった。伯母が作ったビーズバッグをもらったことがあるので、手先が器用だったのだろう。作っているところは、見たことがないけど。伯母夫婦には子供がおらず、私は可愛がってもらった。
しかし、伯母の夫と私の父が仲違いしてからは疎遠になっていたので、伯母が入院してもお見舞いに行くことはなく、世間はコロナ禍になり、今回の葬儀まで会わず仕舞いだった。最後に顔を見たのは、十年ほど前に入所していた施設の納涼祭の時だったかなあと思う。
伯母の湯灌のとき、仕上げのお化粧を施してくれた湯灌師さん(女性)が、「可愛らしい、日本画の女性みたいな方ですね」と言った。私は口紅の色を選んで(湯灌師さんから「どなたか口紅の色を選んでください」と声がかかったときに、みんなが自信なさそうに腰が引けていたので、化粧品は私が専門だな……と、しゃしゃった)、メイクの具合を見届けるためにそばに座っていた。その言葉を聞いた時に、ふっと、しなを作った見返り美人みたいな映像が見えて、「踊りの先生だったんです」と口から出た。それまで、伯母が踊りの先生だったことなど、全く思い出しもしなかったのに。
湯灌師さんが「ああ、そう。そうなのねー……」とうなずいて伯母の顔を見たのを見て、「あ、この人、”視える” か ”聴こえる” の人だ」と思った。湯灌師さんには、湯灌中に故人の人生が視えるひとがたまにいるので、この人もそうなんだろうなあと。
伯母は、綺麗な着物を着て踊っていた自分が好きだったから、そのことに触れて欲しかったのだろうか。その頃が一番楽しかったのだろうか。
伯母の若い頃の話を、本人の口から聞いたことはない。戦中生まれで、たくさんの弟たちを育てるために一生懸命だったから、苦労が多くてあまり思い出したくなかったのだろうか。
伯母が踊りの先生をしていたという話は聞いたことがあるだけで、目の前で踊っているのを見たことはない。小学生くらいの頃にたった一度だけ、テレビのニュースで踊りを教えている姿がチラッと流れたのを見たことがある。いまさら過ぎるのだけれど、一度くらい踊ってみせてもらえばよかったなあと思う。教えてもらってもよかったかもしれない。……まあ、子供のころは伯母の踊りに興味がなかったのだから、仕方ないか……。
長いこと会わずにいたせいか、亡くなった実感がまだ湧かなくて、あまり悲しくもなくて、自分でも不思議な気持ちでいる。
ただやっぱり、「いなくなってから悔やむ」ことが多いことを思い出した。
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ところで。
土用の最後っ屁警報が、発令されています。
残り約三日、気を緩めずにいきましょう。