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いつか会いたい

エニアグラムの記事で

紹介したサイトに、MBTIの記事もあった。

このサイトでは、INFPは理想主義ブロックに属するハクチョウ型と名付けられていた。美しいイメージ。

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芸術家でもヒーラーでもないけれど、多分それに近い世界にいたいとは思っている……気がする。

詳しい記事が、こちら。

興味深かったのは、INFPの、エニアグラムタイプ4とエニアグラムタイプ9の違い。

おそらく、INFPの中に生きづらさを感じる人たちは、感受性が強すぎるのでしょう。どのタイプも生きづらさや息苦しさを感じますが、INFP型は、そのタイプの性質ゆえに、その意味や理由について深く考えてしまうのだと考えています。                  特に、エニアグラムのタイプ4+INFP型には、この傾向が見受けられます。生きづらさや心地の悪さを感じることで、そこに自分らしさを見出している傾向があります。一方で、タイプ9+INFPには、人生を楽天的に捉えています。

エニアグラムタイプ4の生きづらさって、なんだろう?

改めて考えると、「なんだか自分は、人とは違うかもしれない」という気持ち。有名な「みんなちがって みんないい」を聞いて、安心するような気持ち。帰属欲求は低いので、「みんなと同じになりたい」わけじゃない。「違うまま」で認められたい。賞賛はそれほど欲しくないので、存在は許して欲しい。

ただ、まわりと違うと色々めんどくさいので、上手く擬態したい。

違うままの自分でいられることが、おそらく自分の中の理想であるのに、「ありのままの自分を愛して欲しい」みたいな話を聞くと、「いや、努力しないで、変わろうとしないで、認めてくれっていうのはムシが良すぎませんか?」と、反射的に思う。

きっと、この「努力」は、私にとっては「擬態すること」なのだろう。だって、ここまできても、みんなと同じにはなれていないし、同じ人間なんていないってことも知っている。だから、せめて足並み揃える努力くらいしましょうよ、と。

私が子供の頃は「過ぎた個性」を尊重してくれる風潮は、まだあまりなかったように思う。しかも両親は真面目な人たちなので、社会の枠から外れないように育ててくれたのだろう。母は、金子みすゞが流行っていた頃、「”みんなちがって みんないい” の意味がわからない」と、よく言っていた。その意味を皮膚感覚で理解する私は、母にそれを伝える言葉を持っておらず、今日までそのままになっている。

そんな両親のおかげで、(自分的には)大きくドロップアウトすることもなく生きてこれました。


「ありのままでいい」という理想と「擬態する努力」は、ちょっと矛盾するかもしれない。多分、自分の在り方の根底にかかわることだから、けっこうしんどい気がする。実は、文章にしてみて初めて「あれ? しんどくない?」と思った次第。この矛盾とかなり長いこと共に生きてきているので、とりあえずつらさは感じていない。……これをつらいと認識すると「生きづらい」? ただ、私は本気で変わろうとはしていなくて、擬態なので、心底つらくはないのかもしれない。

違うものになろうとする人は、多分本気でしんどいだろう。

時々擬態しながら、基本的に好きなことをして生きている私は、幸運なのだろう。きちんとした社会生活を送っている方々とくらべたら、自由度が高いことは間違いない。あの、「みんなとちょっと違うかも」から、何も抜け出せていない。

それでも、どうにかなっているところを見ると、「同じでなくていいんだな」という結論を得た。

大切なのは、自分の外界と繋がるコミュニケーション能力。私のようなタイプは偏りすぎていて、「自分ひとりで出来ること」が少ない。生きていくためには、他者との関わりと助けが必要。

そして、世間の常識にシンデレラフィットした社会生活生活を送っていても、「INFP+エニアグラム4」の心は誰にも想像出来ないくらい自由だと思う。

そんな「INFP+エニアグラム4」と会って、話してみたい。





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