街という生き物

街というのは、生き物。それを初めて体験した街は愛知県大府市だ。ここで、私は街というものを初めて体験した。
この文章を書いて、その考えがはっきりした。

街にはいろんな居所や生業がある、よそ行きの居所だったり、日常の生業、あられもない欲望の生業と居所。
街は、その中に住む人々に必要な居所や生業を与えてくれる。愛知県大府市という街で体験した。

私がこの街で暮らしていたころ、ある駅の近くに10人も入ればいっぱいになるような酒場があった。何かの拍子に、その店の常連になり、日々の憂さをはらすため、酒を浴びるように飲むようになった。
酒場で常連仲間と酒の話をよくしていた。常連の一人が「あの橋を渡ったところにある、いつも閉まっている店は実は~曜日に開いていて、そこで~~~というキノコを買える。これが実に美味い。」
常連との話が楽しくうっかりと話し込みたらふく飲んで、終電を逃してしまい、仕方なく一駅歩くこともあった。そのときに、全く気付かなかったレストランを見つけた。そこは、美しい宝石の様な料理を食べて日々の活力を得るための居所になった。
図書館からの帰り道に、見つけたマッサージ屋に入ってみると、そこで美しい異国の人に施術を受けて、そこから少しだけ良い事があった。
毎日を過ごしている街には狙っていかないと気付かないような部分がある。それは、今の自分に必要ないかもしれないが、その街の誰かに必要な部分だと…初めて体験した。

この文章を書いていて、街は居所や生業が集まって成っていく。そして、今度は街の方が、人に居所や生業へと導く。そんな事が起こっているのではと思った。
その体験のきっかけは、心を病んでしまったときに起こった。人の目が気になって、夜の闇に隠れてしか、表に出れなくなったとき…働いている人達の姿が自分のふがいなさを笑っているように見えていた。その中で、うろついているときに酒場をみつける。誘蛾灯に誘われる蝶の様に、そこで酒を飲んでいた。
私が病んだとき、私には新たな居所が必要だった。街がそれを察して、私をいるべき居所へと導いたのだと思った。街には、その人が必要な場所を持っている。あるいは、人の集まるところには何か必要な居所や生業が発生して街となっているのでは、そう思う。

結局、私は街を去ることになってしまった。それは、私の在り方が街に合わなくなったからなのだと思う。引っ越しをする前週の土曜日、あの酒場で酒を飲んできた。いつもの常連仲間が珍しい酒をもってきて、私が街を去ることを「門出だ」と言って…祝ってくれた。今、思えば街が私を新しい街に送り出してくれたのだ。

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