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【DTMクラシック】J.N.フンメル/七重奏曲第2番ハ長調,Op.114『軍隊風』

Johann Nepomuk Hummel / Septet No.2 in C,Op.114《Military》
for Piano, Flute, clarinet, Trumpet, Violin, Cello, Contrabass
Programed by Hummel Note
Daw&Sequencer:SSW10 Lite & Music Pro Windows Plus
Sound:GARRITAN PERSONAL ORCHESTRA
Mix & Mastering:SSW10 Lite

フンメルの2曲の七重奏曲について

七重奏曲 第1番 ニ短調,Op.74は1816年にウィーンのアルタリア社からオーストリア大公妃マリー・ルイーズに献呈されて出版され、ウイーンでは大反響を巻き起こしました。カール・ツェルニー によれば、人々は路上で立ち止まり、国家的重要行事であるかのように真剣にこの曲について話し合ったと伝えています。

シューベルトの「鱒五重奏曲」は、七重奏曲第1番の五重奏曲編曲版に多大の影響を受けて生み出されたものでした。その他にもカレクブレンナー、リース、先の証言者ツェルニー、メンデルスゾーンなどが触発されて作曲しています。リストはピアノソロ用に編曲もしています。

七重奏曲第2番.Op.114について

前作第1番はピアノ、フルート 、オーボエ、ホルン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの七重奏曲でしたが、ハ長調の七重奏曲第2番はピアノ、フルート、クラリネット、トランペット、ヴァイオリン、チェロ、コントラバスとなっており、しかもトランペットを室内楽に取り入れた音楽史上最初の曲でもあります。

フンメルの七重奏曲第2番 ハ長調 『軍隊風』,Op.114は1829年にヨーロッパ各地で出版され、英国のピアニストアンダーソン夫人に献呈されました。

このアンダーソン夫人とは、ルーシー・アンダーソン夫人(旧姓フィルポット) 1797-1878のことで、彼女はフィルハーモニック協会のコンサートでこの曲を初演した女性ピアニストでした。彼女はモリ氏(バイオリン)、リンドレー氏(チェロ)、ドラゴネッティ氏(ベース)、ニコルソン 氏(フルート)、ウィルマン氏(クラリネット)、T. ハーパー・シニア氏(トランペット)とともに、1831 年シーズンの最初のコンサートでキングス劇場で行われたフィルハーモニック協会の唯一の公演でこの七重奏曲を初演した人物です。

第1楽章冒頭の小節の威厳あるユニゾンとトランペットの目立ち具合で、すぐに「軍隊的」な雰囲気が醸し出されますが、フンメルのトランペット協奏曲のような技巧性はなく、アクセントのみの平易な方法で扱われています。

7つの楽器のアンサンブルは、特にクラリネットで始まる魅力的な第2主題と、変化に富んだ再現部において、想像力豊かで色鮮やかな曲調となっています。

第2楽章ではトランペットは完全休止で六重奏曲となっていますが、弦楽器とフルート、クラリネットのハーモニーに彩られたハーモニーの中で上昇するピアノが織りなす幻想的なこの曲はフンメルの抒情楽章の中でも最も美しい曲の一つと言えます。

第3楽章はスケルツォ的なテンポの速いハ短調のメヌエット、対照的な温和なハ長調のトリオが印象的です。
打ち込みではアクセントの強いトランペットの音色を使用しました。

軽快なテーマからはじまるテンポの速い終楽章は、3つの主題からなるソナタ形式であり、そのうち最も重要で聴く者に印象植え付けるのは、対位法的に展開されていく第2主題以降でしょう。最後はピアニッシモで終わります。

個人的には人気も演奏機会も多いOp.74の第1番よりこの曲のセンスにとても惹かれていて、フンメルの最も好きな曲の一つです。

フンメルについて

1778 年11月14日にプレスブルク(現在のブラティスラヴァ) に生まれ、1837年10月17日にワイマールで亡くなっ たヨハン・ネポムク・フンメルは、生前はベートーヴェンと並ぶ巨匠として評価されていましたが、死後はしばらくの間、同時代人のルイ・シュポーアと同様、現在では数少ない作品と、モーツァルトの弟子でありベートーヴェンの同僚であったという事実でしか知られてきませんでしたが、近年再復興を果たし、かなりの作品が記録され、演奏されるようになりました。それでも特に日本ではまだまだ知名度が低く、その作品の価値も正当に評価されているとは言えない状況です。

フンメルは名ピアニストであり、著名な教育者(3巻からなるピアノ教本『ピアノのための理論的・実践的 指導法』は、1828年の出版後数日で数千部を売り上げたと言われています)であり、流暢な作曲家でもあり、7つの協奏曲と多数のピアノ独奏曲やソナタを作曲しており、他の楽器の組み合わせや声楽曲の作品も数多く残しています。 1804年から1811年 にかけて、彼はエステルハージ家の楽長としてハイドンの地位を引き継ぎ、その後シュトゥットガルト(1816年から1818年)とワイマール(1819年から死去するまで)でも同様の役職を務めながら広範囲の国々に渡ってコンサートツアーを続け名声を確固たるものとしました。

フンメルは1830年代初めまでコンサートピアニストとして活躍ていましたが、室内楽作品としては、ピアノ三重奏曲が7曲、弦楽四重奏曲3曲、 ピアノ四重奏曲と五重奏曲が各1曲、ピアノと弦楽器と管楽器の様々な組み合わせによる七重奏曲が2曲、そのほかにもフルート、ヴァイオリンなどのソナタが多数あります。


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