連続小説MIA (91) | Chapter Ⅴ
話を今に戻そう。オリビア達のいるシドニーを発ち、ゴールドコースト、ブリスベン、ヌーサ、バンダバーグ、ブリスベン郊外と旅をした僕は、今またシドニーにいた。チャイナタウンの一角にある、フレデリック・チャンのレンタルビデオ店の2階に居を構えている。日銭を稼ぐための仕事はしていない。生活をするに十分な資金があるからだ。小籠包店のキュートな売り子に挨拶をしたいために紀伊國屋シドニー店へ行き、吟味した結果「使える!指差し中国語会話」を購入した。シドニーには、沢山の人がいる。もちろん日本人も多くいるが、時折耳に入ってくる母国語に振り向くことは無くなっていた。全ての人には、行き先があり、何かのタスクをこなすために動いているのだろうが、僕にはこれといって目的はなかった。だから、僕は、よくハイドパークで時間を過ごした。小道を歩き、いくつかのベンチが見える。たいてい人が座っているが時折空いた場所を見つけることができる。しばらく歩くと空いているベンチを見つけた。リカーショップで買った瓶のVBを開けて、紀伊國屋の包みを剥がした。さっき購入した中国語会話の本を眺め、疲れた背中をベンチに持たせかける。公園から見える雲にはあの日見た飛行機雲によく似たそれがあり、今日もまた誰かがこの国から離れたことに思いを馳せた。僕はソフィのことを思い出す。もはや、過ぎ去った過去であり、今ここに無いなら、それは既に無かったことでもあるのだけれど、それでも思い出した。僕は唇を歯で噛んでみた。存在しない物質。立証できない過去。ただの記憶。しかし、僕の唇には生々しいほどのソフィを思い起こさせた。ここに居なくても思い出せるならば、もし彼女がここに居たならばどれだけの安らぎを得られるだろう。けれど、僕は彼女にあれほどの安らぎを差し出せるだろうか。わからない。僕は中国語会話の本を閉じた。どうにもならないことを考えても自分を落ち込ませるだけだった。過ぎ去った過去は慰めにしかならない。ベンチから立ち上がり、すでに冷めているであろう小籠包の袋を持ってチャイナタウンへの家路を辿った。
つづく(※平日の正午ごろに連載を更新します)
(*The series will be updated around noon on weekdays * I stopped translating into English)